夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

惚気てやろうじゃねぇか

お疲れ様です、有機栽培です。

 

前回の記事の反響の大きさにとても驚いています。それと同時に「幸せそうなんでブロックします」とか、「ファッション鬱」だったんですねとか、そんな言葉もよく届くようになりました。よかったな、私が愛されてる無敵感を帯びていて。通常だったら君は死因で、君の言葉で女が夜中に首を吊ってたよ。不幸なアカウントだったので、下に見ていた人間がいきなり幸福になったのが気に入らないのでしょう。おわり。

 

さてさて、付き合うとなって二週間が経ちました。一言で言おう、幸せだ。恋愛の無敵感はすごいね。何を言われてもプライベートと仕事を切り離して考えることができるから、仕事で怒られても私個人のパーソナルな部分は傷つかなくなった。仕事中も休んでるときも暇さえあれば相手のことを考えるので、必要以上に自分を責めて落ち込むことが無くなった。

 

私と彼の家はまぁまぁ遠いから週末しか会えない。だから週末が待ち遠しい。

 

会う機会が少ないから、会った時に嬉しかったこと残そうと思う。

 

前は二人で孤独のグルメを見てて、大阪回を見ながら大阪をちゃんと観光したことがない話をしてた。二人とも旅行が好きなのに、大阪は友人と会ったり通過するイメージが強くて、観光らしい観光をしたことないからGWに行きたいねって笑った。そして、串カツが食べたくなった。

 

夕方に彼の家から串カツ田中に向かう。早い時間なのにお店にはお客さんが沢山いたが、席は準備してもらえた。

 

「どうせメガハイ頼むから、俺にとってチンチロリンはメリットしかない」と彼は笑って初手でサイコロを振るう。会った時は互いが敬語で一人称が私だったのに、気が付いたら俺になってたことに初めて気づいた。恥ずかしいから、私もサイコロを振るった。メガハイボールが二つ来る。

 

恥ずかしいことをもう一つ。私の食の好みはおっさん臭い。メガハイだって飲むし、串カツはノーマルが好きだ。もつ煮が心の底から大好きで、鳥皮ポン酢や梅水晶で日本酒をちびちび飲める。味の濃い、癖の強いものはみんな大好きだ。塩辛あん肝レバーよろしく。女の子らしいパンケーキには程遠い。

 

「どて煮あるよ、食べたいって言ってたでしょう」と、笑いながらメニューを差し出す彼。私が孤独のグルメで反応してたのに気づいてたらしい。甘えていいですか、と言えば彼は紅しょうが串と一緒に頼んだ。キャベツもこっそりおかわりしてくれた。プルームテックを吸いたいから、外まで付き合ってと甘える姿もかわいらしい。さり気なく私の唇に滑り込ませるのも、愛だった。煙を吐くと微笑まれる。

 

私はお酒にまま強い。メガハイ一杯だけで引かれるだろうに、もう一回チンチロリンしていいかなって聞いたら彼は残したら俺が飲む酔って笑ってくれた。ポテトサラダもすりつぶしてくれた。串カツ田中、凄まじいな。告白された次の日だけど、私はこの飲み屋一軒で十分に彼に惚れ直していた。食の好みの一致と許容範囲が素晴らしい。なにより、「おっさん臭い」「女の子がそんなに飲んじゃだめだよ」という禁句ワードを一切発さなかった。

 

サイゼリヤに行くことが恋人にとって一つの挑戦だと言われるが、串カツ田中こそ女が男を見極めるのに最適な場所だと思いました。

 

 あと前回の彼氏ができた話を罪悪感から彼氏に読ませたら「恥ずかしいね、でも文章好きだよ」って笑ってくれた。

 

田中を後にして、バス停から帰りのバスに乗るとき。寒いからって屋内に行って、人気のない非常階段で堪らずこちらからキスしてしまったのは内緒だ。愛しかったし、別れが名残惜しかったのだ。

 

 

 最初は平日の中日だけだった通話が、互いに寂しくて毎日になった。この前は声を聴きながら眠りに落ちた。

 

彼と私の家はまぁまぁ距離はあるし、公共交通機関を使うと金曜日の夜は向かうことができない。そんな中で彼は言う「もしよかったら、無理じゃなかったら、車で来て」と。車の運転は大嫌いだ。夜道の運転なんてもっと嫌いだし、雨の日なんてハンドルを握りたくない。でも、願われたら行くしかなかった。

 

コンビニで眠気覚ましのコーヒーを飲んで、アメリカンドックで腹ごなしをする。初めて行く道を古いナビに入力して、アクセルを踏んだ。サカナクションを爆音で流しながら覚悟を決めた金曜日。愛する男のためなら、何キロだって走ってやるよ。

 

最寄り駅のロータリーを通り過ぎてしまって、慌てて交差点を戻った。寒空の下で待った彼と運転を代わって、スーパーで寿司を買い込む。ご飯を食べて、お酒を飲んで、タバコ吸うでしょってライターで火をつけてもらって、何回も頑張ったねって褒められた。私の香水に気づいて耳元に顔をうずめ、そのまま寝た。

 

 朝起きて抱かれて、血が出ないことに心底安心した。初めてシたその日から、私のソコは出血してしまう。自分で触ったことが無いから、狭いのは重々承知していたけど、それでも血が出てしまうのは申し訳なかった。男の人は血が苦手というし、処女は面倒くさいとか思われたくなかった。布団とバスタオルに残る赤い染み、シャワーを浴びるときに鼻腔をくすぐる鉄の匂い。全てから解き放たれた安心感に、この日を記念日にしたいぐらい喜んだ。嫌われたくないんだ。

 

昨日買いすぎたお惣菜と、彼の家にあった高めのレトルトカレーでお昼にした。彼の食べるカレーは辛くて、一口貰って無理だなって呟いた。メイクして、メイクしたのをバレて、笑って車に乗り込んだ。運転はもちろん彼。時計は三時をまわっていたが、天文台へ向かった。バック駐車がお上手で、隣でずっと拍手喝采でした。

 

人生で初めて来た天文台センター試験地学本編受験者の私のテンションが上がる。ケプラーの法則に苦しめられた思い出は一生忘れない。彼が博識で、一緒に展示を見てるだけで楽しかった。同じ熱で、展示を見てくれる人がいる嬉しさたるや。かに座とやぎ座のコンビだから、神話が格好悪いね。夜のプラネタリウムまで時間があったから、本屋で時間をつぶした。ずっと手を繋いでた。

 

プラネタリウムは子供向けだったけど、私は一人で感動していた。「子供の頃の疑問が解決したんだよ!私頭よくなったわ」ってハイテンションで終わった瞬間振り向いたら、よかったね、俺もだよと言ってくれるのが嬉しかった。

 

ボランティアさんの天体望遠鏡を覗かせてもらった。月のクレーターを初めて見た。xの文字が浮かんで見える今日は珍しいらしくて、ラッキーだなぁって笑いあった。天体ボランティアさんはやさしくて、すばるも見してもらった。今の望遠鏡は、パソコンで見たい星に標準を合わせてくれるみたい。ふたご座もみせてもらった。そして、大きな天体望遠鏡で青と金色に輝く二つの星を見た。色合いが好きだった。

 

 運転中、ずっと手を握っていた。彼が握るときに私の指を平を擦るから真似てたら、「積極的になったね」と微笑まれる。抜かせ。私にとって初めての彼氏なんだから、参考文献は貴方しかいないのよ。信号で止まった時もそうだがずっとこっちを見てくる癖もやめてほしい。恥ずかしくていたたまれない。「照れてるの?」照れてるわ。

 

初めて牛角に行った。いつも行く焼肉きんぐよりおいしく感じるのはなんでだろう。噂のネギご飯にカルビをバウンドさせる。おすすめされたジンギスカンのクオリティがすごい。あぁ、お気に入りになってしまう。二人ともお酒は飲まなかったけど、美味しかった。彼がクッパはスープだと思ってビビンバと注文して後悔してるのを見てるのが楽しかった。相談してくれたら教えたのに。でも全部食べるから偉いよね。

 

 彼の家の近くのコンビニの駐車場に車を止める。この時時間は22時半。さすがに眠くて帰り道が心配だったのでコーヒーを飲んだ。暖房をつけた車内で、まだ帰りたくなかったので取り留めのない会話をする。彼の差し出したプルームテックを、もう慣れたよって加えた。紫煙が揺れる。

 

「付き合って二週間だけどさ。友達になって二年ぐらいたってから付き合った感じがするんだけど」

「分かる。安心感とウマの合い方がおかしいよね」

「今日楽しかった。終わらないでほしいと思うぐらいに」

「俺もそう思うよ、泊ればいいのに」

「なんか、帰り道死にそう。死亡フラグみたいな会話だね」

「帰ったら絶対無事についたってLINEを送ってね」

 

店員さんに見つからないように何回かキスして、さよならした。今日を逃すと、次会うのに少し時間が空いてしまう。多幸感に包まれながら、深夜に車を飛ばして家に帰った。さっきの会話が嬉しくて、頭の中で何度も反芻した。幸福というのは、絶対的な味方がいる今を指すのだろう。私の一挙一動に喜んでくれる人がいることは、ありがたい状況なのだろう。そして、相手の一挙一動に嬉しくなれる自分も。

 

今日は久しぶりに一日ぽっかり空いた。朝起きたタイミングで彼からLINEが来てメッセージを返す。彼を見習って部屋に掃除機をかけた。次会える日を予定帳に書きこんで、なんとなく手持ち無沙汰になった。思い起こされるのは昨日のデートのこと、3月に行く旅館のこと、中々会えない2月のこと。

 

会えないときに会いたいと思うことが、好きな証拠ということでどうでしょうか。前よりは進歩したと思うんですよね。休日にコンビニに行くまでの5分間、何回彼のことを思い出したのか、それが愛ってことでいいじゃないですか。LINEの名前呼びに、ちょっとときめいてる自分は恋してるんじゃないかな。あんなにスマホ中毒だったのに、あなたと居たら時間も忘れてしまうの。知らんけど。相手が喜ぶことは何でもしたいし、初めてが多すぎて感情が揺れ動いて疲れちゃう私は、恋愛を真っ当に初級からこなしている。

 

そんな二週間でした。人に言う機会もないので惚気てしまった。これからはいちいちブログに残さなくても、この多幸感が自然体で当たり前なものだって思えるようになりたいです。嬉しくて忘れたくなくて、ついつい記事にしてしまいました。ごめんね彼氏、恥ずかしいよね。褒めてるから許してね。

 

好きだよと面と向かって言えないけど、一緒にいて楽しいのは貴方です。それだけは感情が嘘をつかない。楽しくて寂しくて名残惜しくて会いたいのは、貴方です。次はいつ会おうかな。

 

このブログのタイトル「夏さ、また」は映画恋は雨上がりのようにの主題歌、フロントメモリーのサビの歌詞からとっています。「そして夏さまた RECした風景は 再生せずにNewBeatは 朝はとても 夏SUMMERTime 8月駅降りて 田んぼで叫んだりして」。私の遅れてきた青春にも、そんな衝動的な日がやってくるのかな。

 

まずは夏まで、この関係が続けばいい。叫んじゃったりするぐらい、好きでいさせてほしい。がんばろっかな、今日は。

 

 

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人生で初めて彼氏ができた

人生何が起こるかわからないですね。有機栽培です。

 

端的に言おう、彼氏ができた!!22年間彼氏はおろか、ここ数年では同世代の異性と話すことすら片手で数えるほどの私に、彼氏ができた。できたのだ。3日前に。

 

でもいつ振られるか分からないので、ここ2週間の備忘録を残したい。初めては人生で一度きり。初めて彼氏ができたこの心境を残しておきたいのだ。これで彼にブログが見つかったら笑えない。

 

あと、彼氏ができたとツイートしたらいいねが500を超えた。私はどれだけの人間に心配されていたのだろうか。日頃の行いを反省しなさい、自分。

 

 

 

 

さて、彼と出会ったのはマッチングアプリだった。東京での転職を孤独感によって諦めた私は自暴自棄になっていた。もう人生は劇的に変わることは無く、田舎で一生嫌いな仕事をしながら低空飛行で生を終わらせるのだろうという予感を感じていた。でも、どうしても人生を諦めたくなくて、諦めていた恋愛に手を出したのだ。

 

ここで小さく自己紹介。私有機栽培はジャニオタアニオタ夢女子の3重苦を背負いしクソオタクだ。高校時代までは一人称が俺、今は私に落ち着いたが素になると僕が出てしまう。高身長のため服装もボーイッシュでショートヘアーな人間である。高校3年間の中、2年間を女子だけのクラスで過ごし、大学4年間はほぼ女子しかいないゼミで楽しくオタ活をしていた。恋愛などしたことない。告白されたことすらないブスだった。つまり、まったく恋愛とはかけ離れた人生を歩んでいたのだ。

 

しかし転職を諦めた22歳にとって、人生を変えてくれるものは恋愛しか思いつかなかった。最近までしていた就職活動みたいなノリで、選ばれなかったらそこまでだろうと、安易にマッチングアプリをダウンロードしてみる。

 

まずはTinder。顔面偏差値は高いがヤリモク相手しか見つからない。次にタップル、設定をミスって北海道の人ばかり表示されるし、北海道の人ばかりタイプだ。距離的に無理がある。最後にペアーズ。趣味が細かく設定できるのでいいとお勧めされて使ってみた。そんなペアーズでただ一人会話が続く人がいた。LINE無精の私でも、長文が打てる。それが彼だった。

 

とんとん拍子で話が進み、会ってみることにした。ここまで大体2週間。丁度持病の鬱っぽさも出てきて無気力に苛まれていた頃だった。年末年始に昔からの友人たちと会う機会が多かったせいか、幸せそうな友人と苦しい自分を比較して辛くなっていたのだ。自暴自棄の人間は無敵である。ここ数年男と会話したことないのに、ばっちりメイクをして駅へ繰り出したのだった。傷つくならつけばいい、一種の自傷行為だ。

 

結論を言うと、めっちゃ盛り上がった。互いにマッチングアプリの人に会うのは初めてという初心者同士。行きたかった居酒屋はやってなくて、街をぐるぐる歩いたけど、それでも楽しかった。飲む酒の順番も似てるし、ビールは太るからハイボールで妥協する点とか一緒だったし、あん肝を食べたがるところは共感しかなかった。あと甲子園の健大高崎の機動破壊の話題で盛り上がれる相手なんて、今までいたことなかったのだ。

 

彼は言う。「本当に付き合ってほしいから、次はデートしてくれませんか」

私は言う。「待ってデートって何するの?」と。

 

本当だから仕方ない。人と付き合ったこともなければ、読んだことのある少女漫画はハチミツとクローバー。全員片思いの漫画にデートの情報など存在しない。

 

そんなこんなで来週会う約束をして解散。楽しい思い出を抱えた私はウキウキで帰宅した。同世代の男性と普通に会話できたのだから。すごいぜ自分大きな進歩だ、と的外れな箇所でガッツポーズをしていた。

 

再来週、彼に会った。翌週が飛んだのは、ちょうど生理になってしまい当日キャンセルをしてしまったからだ。生理痛がひどい私は公共交通機関に乗る自信が無かったのだ。それでも紳士的な対応をする彼、神か?

 

お昼に合流して水族館に行った。前はちゃんとスカートを履いたけど、女子らしい自分を好きになってもらったら困るとパンツスタイルに好きなメイクで会うことにした。水族館ではずっとどの魚が美味しいか話し合い、伊東四朗みたいな魚を見つけ、ペンギンの餌やりにマジになっていた。あと海洋堂制作のガチャガチャで私の欲しいエイを彼が当ててて心底羨ましかった。相手がブラックコーヒーが飲めないことを知った。

 

 早い時間からお酒を飲む。前に行って開いてなかった私のおすすめの居酒屋。店員さんがフレンドリーでありがたかった。ずっと美味しいご飯の感想を語ってた気がする。ディズニーランド行きたいとか、友人が交わすような会話。

 

私の街の冬は寒いから、足早に2件目に向かう。次は囲炉裏の火が目の前で揺れるお店。前の店が禁煙だったから、ピースを咥えたらすぐに火をつけてくれた。ホストかよっていえば、違うとプルームテックから煙を吐かれた。お腹はいっぱいだったので、お通しを食べながら取り留めのない会話を続ける。

 

突然彼が真剣な顔で「付き合ってほしい」というから、「いいけど、付き合ったことないから正解が分からないよ」と返す。それでもいいからというから、私の欠点をつらつら述べた。

 

「LINE返すのすごく遅いよ」「1日1回でいいよ」「毎週は会えないよ」「2週に1回会えたら十分」「ADHDってこの前診断されたよ」「教員免許持ってるから理解ある」「仕事辞めたいよ」「俺が養うから」「恋人とか分からないよ」「それでもいい」

 

テニスのラリーかなってぐらい言えばすぐに打ち返される。マジかよって思ってたら彼が申し訳なさそうに「転勤が東京とかいくつか候補地がある」と言うので、引っ越し万々歳の私は「ついてくよ」と返すと嬉しそうに笑った。仕方ない、それらは人生で一度住みたい都市だった。

 

私の家は遠いので、いいやと思って親に「友人の家に泊まるから」と連絡した。昼から一緒にいるけどもうちょっと喋りたかったからだ。タバコも切れたし。

 

喋りながら電車に乗る。彼の家に着く前にドラックストアでコンタクトの洗浄液と化粧落としを買った。すっぴんを見て落ち込まれたらそれまでの関係だろう。

 

 彼の家に着くと、片付いた部屋が覗く。有機栽培的私的理論、男の家の方が物が無くて綺麗論にまた一つ参考文献が増えた。彼が手作りのハイボールを出してくれたので、いえーいとソファに座る。そのままアマゾンプライムで、昔見たきりだったテッドを見た。下ネタで爆笑する2人。好きな映画が一緒だった。

 

見終わった後、沈黙が気まづいのでお勧めされたこの素晴らしい世界に祝福を!を見る。何話か忘れたけどデュラハンの回で声優の安元さんが出る回があった。たまたまそれを見てて「この声安元さんなんだよね、めっちゃ好き」って言おうと思ったらキスされた。人生初のキスは、まさかの推し声優の名前を口にした瞬間だった。私はムードを察せ。

 

みんなが期待するようなことはこの夜は無かった。私がキスに慣れたぐらいである。早く目が覚めたら寝ぼけた彼にめっちゃ抱きしめられて、この人私のこと本当に好きなんだなって吃驚したぐらい。吃驚するのだ。私から頑張って見よう見まねでキスすれば、3倍になって返ってくる。今、私は愛されている。

 

寝る前に可愛いと何回も言われたので、冷静な頭でこの人は本当に私に恋しているんだなとぼんやり思った。対する私は彼が好きかと言われれば5秒ぐらい悩む。けどここ3日仕事中でも彼のことを考えているし、嫌いになる理由がないのできっと好きなんだと思う。

 

彼は急激に私に恋をして、私はゆっくりと彼に恋していくのだろう。

 

格好つけないで、弱さを見せても受け止めてくれる存在は、人生で初めてだった。彼が私を好きということに漬け込んでいる、打算的な嫌な女である自覚はある。だから、少しでも嬉しいと思ったら嬉しいというし、好きだと思ったら好きだと口にしようとは決めた。彼の前では素直でいよう。恥ずかしくて下の名前でなかなか呼べないけど。

 

この記事を書きながら、何故か不安になって電話するぐらいには私は彼を必要としている。ゆるく、長く続けばいい。一生手に入らないと思っていた恋なのだから、死んだと思って恥を捨てて甘えればいい。燃え上がるようなときめく恋じゃなくて、何気ない会話に尊さを感じる恋もありなんじゃないかなって。そう信じてみることにした。

 

日々の生活に色彩をくれた彼に感謝して、少しでも長い夢を願いながら。会話が楽しいと思えた異性は、あなたが初めてでした。

 

私は今、すごく浮かれている。喜ばしい自己肯定感を、恋と呼んでもいいじゃないか。

無気力

お疲れ様です、有機栽培です。

 

無気力です。

 

東京での生活と転職を諦め、今の生活を受け入れることを頑張ろうとして1カ月。無気力すぎて何も面白くない。毎日謎の焦燥感に襲われている。

 

転職のために何も動いてない自分が罪悪感でやられている。動こうとするもやはり気力は起きない。まず何に転職するんだ?編集職は書類で全部落ちた。ライター職は副業禁止の公務員じゃ経験すら積めない。

 

県職員になれば毎日街に寄れるから、人間関係も広がるし住民と関わらなくていいし最高じゃねって思うけど、勉強する元気もない。公務員辞めたいのに、さらに大変な公務員になってどうすればいいんだ私は。もう、とにかく眠いから、さっさと帰って8時には寝ている。休日、人に会わない場合は風呂も入らず歯も磨かず寝てる。寝てたら怖くなって首を掻きむしりたくなる。これも罪悪感。

 

ADHDと診断されたけど、よくなった気もしない。薬もぼちぼちしか飲まないのが悪いんだと思う。というか、どの状況がADHDで、どうなったら完治なのかもわからない。ネットの質問箱にはADHDは治りませんっていう非常なコメントが多く来る。生きやすさを感じることはないんだろう。

 

仕事は今もやめたいが、ド田舎に雇用なんてない。使いもしない福利厚生と、親のメンツのために続けている。モチベーションはない。住民とは関わりたくない。職場の人には国立卒なのに使えないゴミだと思われてると思う。

 

職場で優しくしてくれる人が妊娠したらしく、産休に入ってしまう。2年目になってこの人がいないとなったら、私は誰に相談すればいいんだろう。

 

日々の閉塞感が募ってきたので、人生を変えようと諦めていた恋愛をしようとマッチングアプリを入れた。一人だけ男性と会って、何故か甲子園の健大高崎高校の話題で盛り上がった。本当は今日会うはずで、彼曰く「デート」をするつもりだったんですが、生理痛がひどくて延期してしまった。ゴミ。でも生理一日目に街へ来る出すのはしんどいぜ。

 

ぼんやりと痩せようと思って、必要以上酒を飲まないようにしている。痩せる様子はない。体育すわりをすると、肉が飛び出る。

 

友人に言われるまま派手な新しいコートを買った。緑のチェスターで、チェック模様。友人が買い物に行くたびに「また暗い服を買って!服ぐらい明るくしなさい!!」と言ってくれるので、AZULで買った。私と友人の共通認識は「黒くていい香りの店」です。名前あってるかわからないけど。

 

昨日は無気力の最高潮でBANANAFISH全話見てしまった。貴方が私の唯一の弱点みたいな話に弱いので、一気に引き込まれてしまった。米津玄師のlemonはこの作品にぴったりです。私はチャイニーズのボス、シン・スウ・リンが好きでした。

 

そんな感じの無気力な日々を送っています。仕事辞めたいけど幸せになれる保証はない。全員殺したいし殺されたい。破壊衝動と引きこもり衝動にてんやわんやです。

 

週末には23歳の誕生日を迎える予定ですが、最悪の誕生日になるんだと思います。ごめんなさい昨年の自分。公務員だからって幸せになれないよ。ごめんなさい、子供の頃の自分。誰も祝ってはくれないよ。人に囲まれた誕生日ってのは、お金じゃ変えないほど大切なものだったんだ。

 

最近は無償の愛がほしいです。現実の辛さを見えなくしてくれるぐらいの、大きな愛が。そんなもの、まっとうな人間しか手に入りません。選ばれない側の人間なんだから、そろそろ人生に諦めてもいいのにと自分に呆れています。就活でそれは痛いほど学んだんじゃないか。

 

そういえば成人式でしたね。私は当たり前ですが出席していません。学校なんぞ嫌いだった。二十歳の私は田舎にとどまった彼らを心から軽蔑してた。今、私だけが田舎で不幸になっている。笑っちゃうね。

 

 

 

 

友よ

なぁ友よ 人生って最高だろ だからやめられないんだろう

 

そんな歌詞の歌を好きなアイドルグループが歌ってくれたが、私の2019年は最高とは程遠いものだった。学生から新社会人になった1年間は、壮絶すぎて記憶にあんまり残っていない。忘年会しようと再会したのに、記憶が無くて楽しい日々が無くて、鬱屈とした話題しか提供できなくてごめんなさい。

 

なぁ友よ。でも僕は君にこっそりと独白するよ。2019年何があったのか。クソみたいにどうにもならない世の中で、君たちにすら弱音がはけなくて、必死だった一年間の話を聞いてほしい。人生で最も悪い1年だったけど、友のおかげでどうにか立っている。

 

 

 

 

 

 1月から3月は楽しかったな。地獄の卒業論文で正月を返上して書き上げた。提出日が私の誕生日の前日で、みんなで恨んだな。辛すぎて研究室のホワイトボートにテニミュ立海の「デット・エンド」の歌詞を書いて絶望してた。提出日は2徹でさ、7人ぐらいあつめて飲み会しようって予約したのに、あまりの疲労で集合時間に起きたのは笑えなかったね。2月の口頭試問は思い出したくないかな。

 

 3月は卒業旅行に最後の飲み。私だけが北陸からいなくなるから、毎日別れの飲み会だった。バイトの仲間と10年ぶりにディズニーランドとシーへ行って、ドナルドに惚れて帰ってきた。台湾旅行は楽しかったけど、みんな協力してくれなくてキレて不正出血を起こしたな。あとは四国一周旅行して、友人の仮面ライダーエグゼイドのプレゼンを30分聞いた。楽しかった。ここが人生のサビだと言われたら、私は頷ける。金も気にせず毎日飲んで、お前が居なくなると寂しいと言われる日々は、自己肯定感も高まって幸せだった。理想の生活だった。

 

 4月。定時に帰ったのは1回だけ。あとは全部残業だった。仕事が嫌すぎて、衝撃的なことが多すぎて、ここは日本か?と首を傾げた気がする。 ここから急に記憶がおぼろげになって、何も覚えていたのだ。辛いことだけは覚えている。両隣の部署に新人が居なくて、私だけがフロアで唯一の新人で、私だけがミスし続けていた。好きでもない仕事で、なんとなくなった公務員に割ける熱量なんて持ってないから、このまま何も成し遂げずに死ぬのかという不安がジクジクと体に溜まっていった。

 

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 5月の地獄はこれに詳しい。就職して大学の友人たちに連絡したら、みんな楽しそうで白目をむいた。人生が楽しそうという言葉は私の代名詞だったのに、誰よりも就活を頑張ったはずなのに、誰よりもしょうもない給与で、しょうもない田舎で、しょうもない仕事をして健康を害している自分が情けなくなった。

 

 楽しい話をするならば、サカナクションのライブに行った。後ろの立見席だったけど、レーザーライトがビュンビュン光った。あとはGWに名古屋へ行った。理由は友人たちが本社研修などで名古屋に集合してたからだ。明治村に行って男装したら、あまりの似合いっぷりに友人たちから絶賛された。有名な山ちゃんで手羽先をたくさん食べた。確か夜行バスで向かったので、12時間の旅に身体がバキバキになった思い出。

 

 6月は覚えていない。職場に対する不信感が募っていたんだと思う。どの部署にもやばい人がいるんだって薄々気づき始めて、自分の将来に絶望していた。仕事だと割り切って働けたらどんなにいいのかとため息をつきながら、毎日8時以降に買える生活で5キロ太った。酒しか救いが無かった。

 

 私生活では就活のブログを書いて反響の大きさにびっくりしていた。この時ブログを書かなかったら、自己肯定感の欠如で死んでたと思う。

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大学の友達とNACSの舞台の再演であるLOOSERを見に行って、大江戸博物館と日本近代文学館へ行った。そして地元に友人が遊びに来たので、松島に行った。何とか外に出て、メンタルの平穏を保っていた。家にこもっていたら死んでしまう。

 

 7月は関ジャニ∞のライブがあって、名古屋に行った。大学の友人たち6人で名古屋に乗り込んだのはいい思い出である。神席で丸山さんが格好良かった。これだけが救いであった。他の記憶はやはりない。仕事が辛すぎて帰り道やトイレで突如泣くようになってしまった。弁当も満足に食べれなくなってしまった。身体が、生きることを放棄するようになった。他者から見られる元気な私のイメージと、私の繊細な心と不健康な身体はどんどん病んでいった。

 

 8月は仕事が忙しくて、相変わらず飯を食べることを放棄する代わりに酒を飲むようになった。アルコールしか味方がいなかったのだ。写真フォルダを見る限り、友人が遊びに来てくれたので鳴子温泉に泊まり、翌日東京でトニセンの舞台を鑑賞した。好きな店員さんと再会したのもこの頃である。他には、高校の同級生と郡山に集合して、諸橋美術館のダリと、五色沼を見るために磐梯山をドライブした。車内でハイテンションで嵐の楽曲を歌ったのが懐かしい。

 

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 9月。8月から検査入院していた父の病名が判明した。膵臓がん。一般的に治らないと言われる病気だった。奇跡的に転移は無いけど、大きい腫瘍が見つかった。父は会社を休んだ。放射線治療を始める前に、味覚が変化する前に家族で初めてホテルに泊まってアワビを食べた。人生は有限だと、気づかされた。友とアスレチックに遊びに行って、コメダでメロンソーダーを飲んで少しだけ季節外れの花火をした。

 

 10月。相変わらず飯が食べれなくて、とうとう絶食した。少し怒られるだけで涙が目に滲むようになった。死んだ方がいいかもしれない、奨学金も払わなくていいしという妄想が脳内をノンストップ生中継。小学生が歩く道に、突っ込めば死ねるとぼんやり思う。意味もなく泣きたくなる。おなかは減らない。しんどくなって、泣きながら親に電話して、精神科を予約した。病院の先生に「頑張ったね」と言われて、また涙が止まらなくなった。抑うつ状態だった。

 

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 楽しい話だと、友人と福岡と長崎に旅行に行った。屋台のおじさんたちのおすすめに従って、オカマショーのあんみつ姫で遊んだり、美味しいとんこつラーメンを食べたり、五島列島にわたる船が出ないからって急遽雲仙温泉に足を延ばした。行き当たりばったりの旅は、学生の頃のワクワク感を取り戻すようで嬉しかった。友人とドライブにも行った。

 

 11月は仕事が忙しかった。仕事が嫌で現実逃避をしたくて、毎日転職サイトを眺めては応募した。募集をしている出版社に手書きの履歴書を送りつけたり、毎日5社エントリーしたり。とにかく現実を受け入れたくなくて、楽しい人生のために東京への憧れを募らせていた。命を、削っていた。しかしどれも空回りに終わってしまった。東京で働く覚悟も、好きだったものへの熱意も無くした私に、全てを捨てて1人で飛び込む勇気はなかった。唯一面接を受けた出版社の面接中に、そのことに気づいてしまって恥ずかしくなった。東京に夢を見て、東京をあきらめた。

 

 面接前に上野の美術館を巡って友人と酒を飲んだ。歌舞伎町をキャリーバック片手にぐるぐる歩いて、女同士でラブホに泊まった。一人だったら挫折感でふらふらと倒れそうだったが、隣には友人がいた。

 

 一週間に2人親戚が亡くなり、忌引きをとったら職場の人に嫌味を言われた。どうでもよくなって、仕事を辞めたくなった。トイレでまた泣いた。

 

 12月は無だった。東京をあきらめた私はやる気もなくて、日々を淡々と消化していた。病院の先生からは躁鬱も疑ったが、君はADHDだと言われた。ADHDによる挫折からの抑うつ状態。診断が出た時、今までの人生は何だったのだろうと思った。何をしても目立ってしまうから、後ろ指をさされることが多かった。普通の人が簡単にできることができなかった。変な人だと言われ続けた我が人生。特殊だから、褒められるから、人と違うことをしたかった我が人生。それら全ての原因は病気だった。許された救いと、どうしようもなく凡人で患者な自分。受け入れたくなくて、布団に沈んだ。

 

 女王蜂のライブへ行った。友人と男性用チャイナ服を買って、髪をカラーワックスで青くして、人生初のつけまつげをつけた。ライブが始まる前の客入れの段階で耳に届いた槇原敬之の「どんなときも」の歌詞に刺され、ライブのメッセージ性に殺されながら楽しんだ。外に出るとイルミネーションが綺麗で、磯丸水産で一杯飲んだ。何かを楽しんでいるときも仕事のことが頭から離れなくて楽しめない自分を呪った。

 

 忘年会シーズンだった。新人は余興が強制なので、嫌すぎてだんまりを決め込んだ。でもやる流れになったので、マツケンサンバを1分踊った。来年は絶対忘年会に行かないことを決めた。面接官だった今年定年の人から「面接では皆同じ事しか言わない。でも君は違うことを話した。怒られることもあるかもしれないが、変わらないで進んでほしい」と言われた。少しだけ嬉しかったが、頑張る気は毛頭ないので申し訳なかった。期待に応えられるほどの、器じゃない。

 

 転職も一度諦めたし、病気を治療しないといけない。でも今の現実は嫌なので、人生が変わるといいなという思いでマッチングアプリを入れた。年明けに1人の男性と飲みに行くことになっているが、いったいどうなるんだろうか。

 

 友人と沢山酒を飲んだ。2日連続でカラオケにいって、年末年始料金にびっくりした。今年の自分は頑張ったから、ポールスミスの財布を買った。手触りがよくて、品のいい財布。接客してくれた店員さんが格好いいと、友人とはしゃいだ。どこも開いてないからって、びっくりドンキーでおやつの時間にハンバーグを食べてたね。

 

 

 

 

 

 こんな2019年でした。スマホの画像フォルダを遡りながら、こんなことあったんだ―と思い出して書きました。毎月友人と遊んでたことにびっくりした。友達はたくさんいないし、みんな私より大切な友人や恋人がいるというのに。こんなにも遊んでもらった。辛い生活の中で、情緒不安定な私と遊んでくれたのだ。

 

 私は1人で生きていけないんだと思う。友人がいないと、寂しくて死んでしまう。私にとっての幸せは、友人と酒を飲むこと。しょうもないし、他社に依存した幸せだ。彼女たちが子供を産んだら、ライフステージで転換期が訪れたら壊れてしまう幸せだ。自分勝手で生産性のない生きがいだ。でも、どうしようもないんだ。私は、私の友人たちの幸せを願っている。そして遊ぶことが一番楽しい。

 

 飲んでる間会話は止まってしまうし、心から笑うことも楽しむことも減ってしまった。住む場所もばらばらになった。給与も、社会的地位も、顔の知らない彼氏の存在の有無も、何もかも違う。守るべきものも違うし、他にコミュニティを持っているだろう。つまらない人間になってしまった自覚もある。私より優先されるべきことも多いだろう。でも、会いたくなる。君たちがちょくちょく遊んでくれたから、私は今日も生きている。息をすることができる。

 

 

 

 友よ。人生はクソだな。学生時代は楽しかったな。でも、また遊べるんだったら、それは最高の一日にしようじゃないか。君たちとまた遊べるんだったら、私は人生をやめられそうにないよ。

 

 

 

 

 

東京を諦める旅

 仕事が嫌で、行き詰まって、人生がどうしようもなくなったので、有給をとって東京に行ってきました。見たかった丁度博物館の展示が終わろうとしていたし、ボーナスも出たからと言い訳を作って。本当は出版社の面接と、ここ1ヶ月住みたいと言い続けてきた東京へ下見に出かけたのです。

 

有給申請を渋られながらも会得したのは出発の2日前。そこから友人に連絡して泊めて欲しいと頼み込み、新幹線を予約しました。己の行動力が素晴らしい。

 

でも結果として、私は東京を諦めた。精神科で貰ってる薬を忘れたからかもしれないが、日に日に鬱屈した気分になり、将来の不安が頭から離れなくなってしまい、この街で暮らしている自分がイメージできなかった。この街で寂しくて、死にたくなってる自分しか思いつかなかったのだ。

 

人生はどうしようもなく地続きで、ちょっと行動したからって劇的に状況が変わるわけがない。私が陥った日々の辛さは私の問題で、東京に来たからと解決することはない。それを痛感した3日間でした。

 

 

1日目

 

「博物館のために東京に行くなんて贅沢ね」という親の言葉を聞かないふりをして、早朝の新幹線に乗り込んだ。待ちに待った休みなのだから、気分は高揚していた。だってこの旅で東京への憧れが確信に変わったら、私は本格的に転職活動をしようと思っていたから。

 

カルチャーの中心地、アイドルがひしめく理想郷。東京に何年も勤めている従姉妹に仕事を辞めたいと相談したら「東京はいいよ、自由だから」とおすすめされた。同職の叔父さんは「お前は東京に行くもんだと思っていた。田舎は似合わない」と太鼓判を押した。田舎で生きづらさを感じている私が、きっと適応できる場所トーキョー。ワクワクが止まらなかった。

 

朝からビールなんか飲んじゃって、うきうきで向かう。夕方から友人と会うため、それまで上野で時間を潰すことにした。

 

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まずは国立西洋美術館へ。お目当てはハプスブルク展。昨年からチラシを見かけるほど力の入った展覧会だ。


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入口から凄い。私は卒業論文オーストリア史を扱っていたので、執筆時に来年絶対国立西洋美術館の展覧会行くからな……って思っていた。念願の展覧会だったのだ。

 

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現場で思わずとったメモで失礼する。本当によかった!!!ハプスブルクの歴史に焦点を当てた内容は新鮮!!そして!!フランツ・ヨーゼフ一世の肖像画が最後に出てくるところでは、膝から崩れ落ちそうになった。

 

歴代の王家の肖像画は色鮮やかで、豪華な服を身にまとっている。対して、最後の皇帝であり、ハプスブルクの黄昏を担った彼は暗い部屋の中で着古した軍服を着ていた。それだけで、この国の終わりが予感できるだろう。対するエリザベートは絢爛で鮮やかな色彩の肖像画。この時代においても、彼女の美貌は塞ぎ込んだ社会の中で一際輝いていたのだろう。

 

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上野公園にあったスープの屋台。


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クラムチャウダー。美味しかった。

 

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次に最終日前日のコートールド美術館店のために東京都美術館へ。これもまたすごい人!人!人!!印象派の絵画が好きな人にはたまらない展覧会であった。好きすぎて結果的に画集を買いました。しょうがないんだ……!!とにかく良かった。

 

コートールド美術館が改修工事中だから持ってこれたんだろうな……絶対日本じゃ見れないだろ……って呆然と思うほどのコレクション。是非。ポスターにもなっているマネの晩年の傑作以外も盛りだくさんだった。ただ、残念ながらもう終わっている。


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見かけた警視庁のキャラクター。お菓子をくばっていた。

 

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時間に余裕があったので1人で国立科学館へ。これがいけなかった。家族連れとカップルしかいないのだ。星野源が恋で「この世にいる誰も 二人から」と歌っているように、この世の最小単位は2なんじゃないかと錯覚する。

 

猛烈に襲ってくる寂しさに飲まれそうになった。私は展覧会を見て感想を言い合える相手はいない。実家に住めば親がいる。東京に来たら、1人だ。どんどんと考えが鬱になってきてしまう。そして明確にわかってしまった。私は、東京に住めない。

 

住むことに耐えられない。孤独のまま、不安なまま、自分を持っていない人が住んだら壊れてしまう。実家にいる今ですら寂しいのに、1人になったらどうなってしまうのだろう。全員が他人で、全員が敵。私がきっとここで倒れても、誰も気づかないだろう。そんなことを、太鼓の昔の生き物たちの骨を眺めながら考えていた。みんな2人なのに、私は1人。その現実は、東京に来たらさらに悪化する。私は恋人がいたことがないし、これからもできる予定がない。でも1人は耐えられない。

 

お母さんに会いたかった。 仕事も辛いのに、次は寂しさなんてどうすることも出来ない。心がばらばらになってしまう予感しかなかった。

 

半日いた東京は日常の延長戦だった。私の人生と地続きの場所だった。急速に憧れが消えていく。ネバーランドだと勘違いしていたみたい。沢山の人が怒ってて、笑ってて、不幸で幸せ。人生のるつぼで、交差点だった。来たところで幸せにはなれない街トーキョー。私が憧れていた街。

 


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陰鬱な気分で食べたソフトクリーム。甘さも分かち合う相手はいない。

 

 

 

 

 

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友人と合流して秋葉原にある飲み屋へ。永遠に自分の人生を愚痴っていた気がする。

 

この旅行でわかったことの一つに、私は日々の記憶がほとんどないということの、日常会話が下手くそになっていたことだ。昔は湯水のように話したいことが湧いてでたのに、何を話したらいいのかわからないという人生初の感覚に見舞われた。鬱病の症状なんだろうか。

 


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お酒が美味しい。お酒の紹介が丁寧で好きなお店でした。

 


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浅草のロック座へ移動。人生初のストリップへ!!すごい世界で、常連さんたちが拍手のタイミングや振り付けを完璧にしててびっくりした。女体は美しい。ロココみたいな演出もあったんだけど、何より女学生の百合みたいなショーがありまして!!これが非常によかった!!

 

お酒は持ち込み可能なので行ってみてください!私はまた行きます。


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入口は花でいっぱい。俗的なものではなく、美しいものを見るショーでした。圧倒的な美。体のラインと美しさが光る。そして痩せたくなる。ダイエットしよ……。

 


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そして酒。焼酎飲んで酔っ払った。あん肝が美味しかったんだ……。結果的に友人の家で寝ゲロしてしまった。朝起きたら枕元が濡れてるのは軽くホラーでした。正面を向きながら吐いたらしくて、一歩間違えたら窒息死。友人は笑って許してくれたけど、絶高ものだよ。本当にありがとう……そして酔うほど人生に病んでる私は酒を飲むな。

 

 

 

 

 

 

2日目

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朝の浅草。スカイツリーが正面に見える。コッペパン専門店でハムカツサンドを買うも、昨日の酒が残った体調不良で半分しか食べれないという失態を起こす。ついでに睡眠不足でもある。馬鹿である。

 

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そのままカラオケへ。まねきねこの朝うたは安くていいね!!写真は私が歌った曲。大阪loverを入れた瞬間、自担丸山隆平くんの主演ドラマがWOWWOWで決まるも、家はWOWWOWに入ってないため血の涙を流す。

 

大阪loverは関ジャムで渋谷すばるくんが歌ってから大好きな曲。関ジャニ∞と遠距離恋愛してて、新大阪駅で待ち合わせしている妄想に最適である。情緒不安定で歌い上げた。

 

最近の歌って、弱さかつらさを歌う曲が多いよね。そのせいか、歌詞に影響を受けてまた落ち込んでしまう。明るい歌を歌ったらギャップで心が苦しくなるんだけどね。でも、暗い曲が増えたなぁって思いながら、King Gnuの白日の歌詞を眺めてた。

 

ここで友人とはおさらばした。そして上野駅で高校の同級生で、北関東に住む友人と合流。速攻で体調不良を謝罪した。

 

ゴッホ展へ行く。さっきから博物館が混んでた話しかしなくて恐縮なんだが、ゴッホ展はさらに混んでいた。もう今までの比ではない。入場規制から始まるなんて、国立新美術館のダリ展や京都国立博物館の国宝展以来である。日本人ゴッホ大好きかよ……生きてる時に評価されない人間大好きかよ……と悪態をついていた。

 

結論から言うとゴッホ展最高。ゴッホが絵を描き始めてから、誰に影響を受けてどのように画風を変えていったのか分かりやすく展示されていた。壁には弟テオへの手紙の引用が書かれていて、エモい。ゴッホは人間を絶賛してから、必ず絶交するしどうしようもないけど好きだよ……!!ってなる。

 

最後のコーナーで私たちのよく知る画風に変わったところでは、彼の終わりを予感しながらも頂点に到達した努力を拍手したくなる。命を削った画家、ゴッホ。みんな大好きになる魅力ある画風と人生は、何年経っても人を魅力し続ける。

 

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買ったものたち。全てがお気に入りだ!

 

新宿へ移動してロッカーを探すも見つからず。結果一日キャリーバッグを引き連れることになってしまった。ルミネストで友人の買い物に付き合った。そして飲み屋が見つからなくてぐるぐると新宿の夜を歩き回る。

 

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始めてきた歌舞伎町。友人が赤提灯の居酒屋に行きたいと言うが、歌舞伎町で探すのはウォーリーを探すより難しかった。何とか海鮮系の居酒屋にたどり着いたら、駅の方まで戻っていた。

 

胃がムカムカして疲れていたので、揚げ物も食べないし酒も飲まないという超絶付き合いの悪いやつをしてしまった。申し訳ない。そして口から出るのは東京には住めない、でも仕事は辞めたいという弱音ばかり。申し訳ないの3乗ぐらいの勢いで謝りたい。


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名前だけは聞いたことのあるゴールデン街を歩いた。小さな店がひしめいて日曜日でも看板の灯りがちらほら。外国人のお客さんが多くて、街も変化していってるんだなってぼんやり思う。

 

あと歩いてる途中にこれから出勤するホストとすれ違ったり、同伴の人とすれ違ったりと楽しかった。私は友人たちから「優しくされたら惚れるチョロいやつは言ったら死ぬ」「つまり有機栽培は絶対に行かない方がいい」「貢ぐだろ?すぐに。やめとけ」という言葉を頂いている。

 

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歌舞伎町の入口近くにあるイタリアンで食べた鴨の生ハムが超絶美味しかった。胃が疲れてても食べたくなる美味さ。ここでおでんを食べたい有人に対しておでんが嫌いと言ってしまって機嫌を損なう。

 

あと彼氏持ちの友人が酔えば酔うほどあざといリアクションをするので、「そんなことされても彼氏の代わりはできない」と言ったら「それは求めてない」と言われた。あざとい反応された時の対応は、困る。色んな彼氏持ちの友人がいるが、大半の人は酒飲むとあざとくなるので、これが彼女達の日常なのかと、これまたぼんやりと思っていた。少し、寂しくなった。

 

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友人とラブホに泊まる。女同士なのに通常料金で泊まれるのは嬉しい限り。おすすめしてくれた友人曰く「アメニティがコンタクトケースまであるし、ヘアアイロンとかもあるから手ぶらの東京観光では最強」とのこと。

 

受付で「失礼ですが女性二人でしょうか?」と聞かれたことに対して、友人は「何が失礼なんだ」と怒っていた。私は逆に配慮があっていいなと思った。アメニティ多めにくれたし、私の心が男性でカップルだったら、失礼ですがの枕詞は思いやりだろう。

 

そうそう!年齢イコール彼氏いない歴の私は、初ラブホでした。部屋に入って最初にしたことは、ベットのきしみ具合の確認。次に間接照明のチェック。お風呂のライトもかかさずに。枕元にコンドームがあったので、口で銜えて空けれるかな?チャレンジなど。童貞か。

 

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高校二年生の頃以来、久しぶりに足に履いたぜコンドーム。当時は治安の悪い高校に行った友人がドヤ顔で財布から出したゴムを、夜の公園のベンチで面白半分で足に履いてたら巡回の地域の方がいらっしゃって慌ててゴム履いたままクロックスに足を通した思い出。そのあと大人に夜遅くに何やってるんだって聞かれて、答えに困った。馬鹿である。

 

友人との共通の趣味がKing Gnuの井口さん面白いだったので、King Gnuを聞きながらうだうだして就寝。友人がシャワー浴びてる時に待ってるのが、ちょっとエロくて良かった。童貞かよ。

 

 

 

3日目

 

朝6時に1度起きる。7時、8時と目が覚めて、起床。最近はどんなに寝不足で疲れていても、6時間寝ると目が覚めてしまう。本当は10時間とか寝ていたいのに。そのせいか全く疲れが取れない。調べたら早朝覚醒といううつ病の症状らしい。

 

とにかく憂鬱な朝だった。何故なら編集職の面接があるからだ。この2日間で私は東京なぞ諦めていて、住むには無理だと痛いほどわかっていた。でもドタキャンはマナー違反。ずっと友人に嘆きながら、胃もたれを抱え履歴書を書いた。ラブホで履歴書書くやつもいないわ。

 

履歴書に並ぶ普通という言葉。高校の普通科を卒業して、普通自動車免許を持ってるもいうのに、普通になれない私は履歴書詐称なんじゃないかと自嘲気味に笑った。普通の幸せが手に入らない、普通の人ができることが妥協出来ない、普通のことが出来ない。履歴書は私を普通だと証明するけど、私は普通と程遠い。なり損ないの欠陥品だ。

 

 

 

 

早朝なのに歌舞伎町は元気だった。24時間営業歌舞伎町。友人のご飯の誘いを断わり、中央線に乗り込む。リクルートスーツ、キャリーバッグ、中央線、総武線のロッカー。変わったのは夜行バスが新幹線になったこと。それだけ。成長も何も無い。

 

面接まで体力もないし、時間もあったので神保町の本屋をフラフラしたけどモチベーションが上がらない。結果的にドトールでブログを書いていた。企業研究や編集職についてもっと調べるべきだとわかっているけど、とにかく家に帰りたかった。屍のようだ体と心は、限界に近かった。

 

志望動機がスラスラ言えない。手汗が止まらない。何がしたいのか分からない。憂鬱がぬぐえない。お腹が痛い。東京は住みにくそうで、私はきっと孤独に苛まれる。明日の仕事が嫌だ。帰りの新幹線に間に合うか分からない。こんな状況で面接は、辛いよ。辛い。

 

そして案の定面接はボロボロでした。途中から、私と話してて貰って申し訳ないなって気持ちでいっぱいだった。話も全く弾まない。新卒の就活期はあんなにハキハキ話して、明るくて元気だねって言われたのに。約1年の新社会人生活は、自信を失うのに充分な時間だったんだ思う。なんだか泣きたくなってしまった。

 

会社をあとにして、何も考えたくなくて九段下までヒールで走る。父親に迎えの車を電話で頼む。目の前をけたたましい音を立てながら消防車が走りゆく。東西線に乗り込んで、総武線のロッカーから荷物を取り出して、揚げたての矢場とんを地下で購入して、新幹線に乗り込んでエビスの蓋を開けるまで、ずっと眉間にシワが寄っていた。

 

悔しい。自分が自分じゃないのが悔しい。チャンスを物にできない自分の愚かさが腹立たしい。東京に適応できないと悟ってしまった、自分の気づきが確信に変わったことが虚しい。ここ1ヶ月、転職のことばかり考えて、心の拠り所にしてきた。これから、何を目指せばいいのだろう。

 

私は公務員を辞めたいばかりに、どうせ受からない編集や、行かない東京へ夢を見たんだと思う。スケールの広い金のかかった、無意味な現実逃避。馬鹿みたいだ。実際、馬鹿である。

 

面接受けてて、私ってそんなに本好きじゃないんだなって思った。考えも浅いし、アイデアも平凡だ。面接官の編集の人たちみたいに思考力がないし、アンテナだって乏しい。今が嫌だから本が好きだと思い込んで、アイデアマンだと信じて、東京なら活躍できると妄想しただけだった。愚か。悔しい。

 

挫折した3日間でした。東京に挫折したし、編集職にも挫折した。明日からどうやって生きていこう。何を目指せばい良いのだろう。明日の仕事はどうすればいいんだろう。心の病はいつ治るのだろう。学生時代の溌剌とした私はどこへ行ったんだろう。何もしたくない。寝てたい。終わりたい。

 

東京は夢を見せてくれる街だ。でも、実際は自己責任の街だ。人生も自己責任。私は、自分の人生の責任を負えるほど、強くなかった。1人で生きていけるほど、強くなかった。不安な未来を哀れんで、今を生きることが出来ない人間だった。弱い人間は、狭い空と夢が詰まった街で生きてはいけませんでした。

 

今、私は挫折を感じながら、呆然と新幹線でこのブログを打っている。家に帰ったら、倍量の薬を飲んで明日に脅えて布団の中で泣くのだろう。

 

この1ヶ月。色んな会社の求人にすがりついて、バリバリと働く自分を妄想して、この田舎から抜け出すことを夢見た。その1ヶ月は、ただの現実逃避だった。無意味だったのだ。そして、夢を見れないのに、どうやったら発狂せずに暮らしていけるんだろう。不安だ。どうしようもなく明日が見えない。

 

分かったことは、この旅は東京を諦める旅だったということだ。私は、息すら出来ませんでした。そして今も、不安で窒息しそうだ。どこだったら、上手く息が吸えるのだろう。大きな課題を抱えたまま、陰鬱な気持ちをアルコールで流し込んで、私は新幹線に揺られて帰路につく。

 

東京に、生まれたかった。あの土地に生きる強さが、欲しかった。健全な精神が、欲しかった。

 

母親に言われた「あなたは何にもなりたくないんでしょ」という言葉が、脳内にこだまする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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揚げたてだった矢場とん

 

平日の5日間

話してることが二転三転するので、今週考えたことをまとめる。

 

 

12月9日(月)

 新人強制(強制とは言っていないけどお願いねは強制)の忘年会の出し物が嫌で嫌でたまらない。みんなやる気ないのがラインの文字で分かる。中心人物となってやれと圧力を感じるが、無視している。長年勤務したい人がやればいい。

 

 上司たちがまるで私が来年もその先もここにいるのだと思って話しを進める。私が今辛いのがまったく伝わらない。いまだ面談で「有機栽培さんは明るくていいね」と所属長に言われたことが忘れられない。その時私は精神科に通い始めて、トイレで泣いてたんだぞ。それを察知してくれないところで働いてたら、首つってもバレないんじゃないか。それ以降職場に失望しかないし、だれも信じられない。話すだけ馬鹿だとすら思う。

 

 後ろの席の人が「同じ給与で仕事ができないやつは腹が立つ。全員点数化して、低い奴は辞めさせればいい」と大声ではなしていて、仕事ができない私はメンタルがじくじく痛む。後ろの席の人は常に何かしら話して、他人を中傷している。女は顔だと週に一回聞こえてくる。そんな人の下で働く未来もあるのかと思うと、めまいがする。倒れたい。

 

ボーナスが出た。手取り32万。高いのか低いのか分からないが、賞与ってのは2か月分貰えるのは大変ありがたい。だから転職するときは賞与があるところにした方がいいのだろうけど、私が勤めたい出版社や編プロは賞与が無い場所が多い。それがつらい。一度手にした安定を手放すのは愚策だと人は笑う。私もそう思う。やはり来年、県や国保連などの外郭団体を受ける方が幸せになれるのだろうか。趣味で本を出せばいいだろうと、だれか殴ってくれ。でも来年、今の職場にいたくないんだよな。逃げたいんだよな。

 

昨日ライブに行ったけど、客入れの時にかかってた槇原敬之さんの「どんなときも」の歌詞が突き刺さってダメージを食らう。僕が僕らしくあるために、やるべきことは転職。あと、ライブ行ったら心境の変化が訪れるかなと思ったけど、悩みが深刻化しただけだった。「いつか笑える日がくると」と女王蜂のアヴちゃんが歌ってくれるんだけど、私は笑える日が来るビジョンが見えなくて、泣いた。お先真っ暗。

 

 

 

12月10日(火)

 

 残業はヤバイ、賞与は出ない出版社の書類が通過して面談の連絡が来る。怖くなって、土日とか駄目ですかね?と連絡を出すぐらいに、自分の未来が固まるのが恐ろしい。

 

 同期と話す機会があった。他の地域で公務員をした同期曰く「この自治体は遅れていて、福利厚生以外はゴミ」「休みすら満足に取れないし帰れないのはおかしい」と言っていた。そこでやはり辞めることを決意する。朝の掃除もお茶当番もごみ捨ても、新人が強制な忘年会の出し物も、全部が嫌だ。ついでに勤務時間すら国のを破っている。笑えない。

 

 中学の同級生が高卒で就職して今年の九月に辞めたのだが、辞めるには補佐、課長、そして副自治体の長に話さないといけないらしい。なんで仕事って辞めるの大変なんだろう。辞めたいんだから即辞めさせてくれればいいのに。辞めたい。辞めさせてくれ。履歴書を買えばいいのかな。今日3社ぐらい書類落ちた。応募歓迎というならば、書類通してくれよ。

 

 

12月11日(水)

 仕事が最近落ち着いているから早く帰れる。その分ずっと転職について考えてる。

 

 野球場でご飯を食べてるOLの漫画を読んで、その時間の使い方が羨ましくてしんどくなって車内でうつむいた。駐車場で蹲る。悲しい。私もそんな人生を歩みたい。

 

 東京の出版社にダメもとで送った書類。その一つが丁寧に添書までついて返送された。履歴書まで返送されると、その会社に一分も私はいらなかったんだなって思えて悲しくなるのは、就活時代から変わらない。何で2年間も履歴書を書き続けなければならないんだろう。

 

閉塞感に耐え切れなくて東京行の新幹線をとった。明日有給申請をしたら月曜まで東京にいる。東京お仕事センターでもいこうかしら。

 

 

 

 

12月12日(木)

 

有給申請をしたら、めっちゃ上司が機嫌悪かった。先輩に「あの人は機嫌が悪い時しかないですね」と言ったら、「わかった?」と言われた。あの上司は自分が理性的な人なんだと思ってるんだ。そんな訳ないだろ。

 

部署の飲み会だった。上司の周りに咳を用意される女性陣。なんでや。日本酒飲んでたら「有機栽培は月曜に顔が死んでいる。酒飲んでるからだろー!」って言われたんですが、私は仕事が嫌で職場が嫌で、日曜日は眠れずに泣いているんです。あぁ、酒飲みだと思われて、想像力のないことを言われるんですねと悲しくなった。

 

あと可愛い先輩をべた褒めしてて、それも気持ち悪かった。えっ、酒の席でそういうの許されるの!?みたいな。

 

職場で信頼出来る先輩と、この庁舎は信じられる人がいないって話をした。5年勤めてそう感じるなら、それが答えなのだろう。どの部署にもモンスターがいて、いつその人たちと関わるか分からない。モンスターは自分は仕事をしてると思ってるからやめない。

 

そして先輩に「秋頃にメンタル壊して病院通ってる」「月曜面接」と伝えたら、私もいつまで勤められるかわからないと言ってた。ありがとう。

 

飲み会に行く度にいい話を聞かない。悪いことしか聞かない。辞めたい。辞める。父親に我慢しろって言われたけど、明かりすらない暗闇にいたら死んでしまう。希望すらないのに、何を頑張ればいいの。

 

 

 

12月13日(金)

疲れた。なんかもう疲れた。東京の転職とかどうでもいい。寝てたい。好きなことして寝てたい。職場の人間関係に悩みたくない。怯えて暮らしたくない。

 

職場の同期、体調がみんな悪い。表情が暗い。体調を崩してるし、朝が起きれないと言っている。そんな人しかいない職場。未来はない。

 

昨日の職場の飲み会がストレスすぎて2ヶ月ぶりに生理が来た。お腹は痛いし、余計テンションが低い。おいおい月曜日面接だぞ!?

 

学生時代お世話になった出版社が募集をしてたのに、応募要項の書類を書く元気もない。せっかく応募してたのに、気力がわかない。

 

なんかもう、来年公務員試験受けようかなって思ってる。せっかくあんなに東京へ転職すると言ったのに、毎日書類に落ちてたらメンタルが死んだ。精神科の先生にどう説明しようか。無敵感が無い。マリオのスターをおくれ。

 

こうやってたまに東京に行ってれば、私のメンタルは保てるのかな。30過ぎて東京にいたいとは思わないんだよね。何より寂しい。寂しすぎて、あんなにいらないと思ってた彼氏が欲しい。彼氏という寂しさを紛らわせる機関が欲しい。私の心の隙間を埋めてくれ。有機栽培さんは偉いよって褒めてくれ。味方でいてくれ。

 

明日朝から、東京に遊びに行く。美術館を回って、逆方向なのにお兄さんを探しに行こうかな。ハプスブルク展を見に行こう。

 

どうせ将来課長に怒られる未来ばかり見えている。2年目になったら、怒鳴られる毎日が待っているのだろう。胃が痛い。今から逃げたい。人間関係が旅行で、モンスターのいない職場につきたかった。公務員だからって人格者ばかりじゃないのね。そして、仕事以外で自己肯定感を得たり、人生の目標があったりしないと辛いのね。それを教えて欲しかったな。

 

おわり。

 

 

心もとないね

お疲れ様です。有機栽培です。

 

今私は、本屋で買った「違国日記」を読んでる。今年1番読み返した漫画だ。自尊心やエゴなど結構心にザクザク刺さる内容なんだけど、誰も表面化しなかった内面の問題を取り上げたこの漫画が、世の中に好かれているということは、みんな思っていたことなんだろうなと安心する。

 

安心感。安心感が欲しい。あなたは間違っていないよと、立証してくれる存在を、心の底から求めている。

 

公務員になったのも、「きっとこれが世間一般の幸せに最も近い」だったからだ。世間一般の給与と福利厚生、みんながなりたい職業、クビにならない安定感。

 

公務員を辞めたいと思う。理由は鬱病になったから。でも私はすごく恐ろしい。「安定を捨てて良いのか」という世間の声に逆らう行為が、世界も親も友人も全てを裏切るようで、恐ろしい。相談するとみんな口を揃えて同じことを言う。「なんで辞めたいの?」そして話を続けると最後はこの言葉で締めくくられる。「でも、今辛いなら辞めるべきだよ」。

 

いつも無責任な言葉で終わる。他人の人生だから当たり前だ。そんな時にぼんやりと思う。これが昔だったら、相談せずにやめれたんだろうな。未来に希望が持てた時代なら、転職が簡単な時代なら早々に決断できるだろう。なぜ私はこれほどまで、安心を手放すのが恐ろしいのだろう。年金すら貰えない未来で、一人っきりで生きてるのが怖い。

 

私が生まれてから22年。一度も景気が良いことなんて無かった。テレビには他国の戦争と紛争が流れて、おじさん達は「昔はね」と必ず前置きをしてから、夢のような失われた日々を語る。今の自分の話は、してくれない。

 

私たちはずっと批判され続けた。「最近の若い者は」と必ず前置きをしてから、褒められることは無かった。ゆとり世代と言われ、ゲームが友達と笑われ、好きな飲み物を嘲笑された。メイクを馬鹿にされ、ファッションを嫌われ、言葉だって踏みにじられる。

 

気づいたら大人になっていた。社会人一年目。右も左も分からない。どうやったら幸せになれるのだろう。大人に聞くと、彼らはまた同じように複雑な笑いを浮かべて語る。「昔は大変だったんだよ」「君たちの給与は高くて、羨ましい」「苦労すべきだよ」。

 

清貧という呪い。若者は苦労すべきだという呪い。彼らは苦労したのだろう。苦労した先に、成功が待っていたからだ。今私たちが苦労して、成功はやってくるのだろうか。そんな人見たことない。だって景気が良くないから。将来が不透明すぎる。

 

きっと昔という世界は、根拠の無い自信をみんなが持つことができる時代だったんだと思う。根拠はないけど、やってみれば成功するかも。失敗しても、どうにかなるさ。そんなエネルギーに満ち溢れた時代だったんだろう。東海道新幹線ができた六日後に、オリンピックが出来ちゃう世界だ。この時代には、莫大なエネルギーとお祭り騒ぎがあったのだ。

 

視点を今に戻す。私たちの今の一体どこに、エネルギーがあるのだろう。私たちは現実を見たくない。見たくないから、私たちの文化を作る。好きな服来て、好きな飲み物を飲んで、好きな言葉で暗号のようなお話をする。

 

私たちの文化は、現実逃避の文化だ。現実と文化が乖離している。現実に生きてる大人は、それを指さして笑うのだ。あっちが正しいのだろう。でも、私たちは6畳しかない汚い部屋でYouTubeを見続ける。自分よりキラキラしてる人達の光に夢を見る。

 

新社会人は現実逃避の文化で育った私たちが、現実に帰るタイミングだ。だから渇望する。「将来絶対幸せになれる切符」か欲しくてたまらない。不確定で不安定で不透明なこれからの人生を、ゼロカロリーで生きていかねばならないからだ。

 

もう、仮想現実に夢なんて見れないと冷静に分かっているから。せめて現実逃避先と同じような夢を、こっちの世界でも見させて欲しい。苦労をするから、幸せなる確証が欲しい。成功談を聞かせて欲しい。同じことをするからさ。頼むよ。夢から覚めたら、寒くてたまらないんだ。あまりにも人生が心もとない。フラフラするし、誰もいない。いるのは社会と常識と一般論という敵だらけ。

 

今の私にある将来への閉塞感。この憂鬱はいつ晴れるのだろう。「明るい未来に期待大」なんて心持ちでいられるのは、歌詞の中だけだ。

 

安心感が欲しい。あなたの判断は間違っていないよって強い言葉で抱きしめて欲しい。どうしようもない孤独に打ちひしがれながら、今日も生きている。明るくない未来は、私たちを根拠の無い自信で包み込んではくれないのだ。

 

夢見る時代は終わったの。夢すら見れなくなってしまったの。夢から覚めたら、そこは砂漠だっただけ。そこが南極だっただけ。マッチ売りの少女のように、若者は死んでいく。