2026/5/31 日曜日
茶の間ファンという言葉がある。現場には行かず、テレビで応援するファンのことを指す言葉だ。ファンクラブには入らないが、テレビで見かけたらリモコンを動かす手を止める。録画はしないが、大型音楽番組に出たら家族で見る。ゆるい熱量のファンのことだ。
茶の間というより、リビングで嵐を知った。リビング出の嵐ファンである。それは母親が見ていたドラマからかもしれないし、音楽番組かもしれないし、バラエティかもしれない。明確な出会いは覚えていない。
ひみつの嵐ちゃん、嵐の宿題くん、嵐にしやがれ、VS嵐といったバラエティ番組が目白押しで、嵐を見かけない日はなかった。うたばん、Mステ、HEYHEYHEY、CDTV、とにかく沢山の音楽番組があった。嵐は5人が主演を晴れる俳優陣でもあるので、毎シーズンドラマで見かける。木更津キャッツアイ、山田太郎物語、魔王、流星の絆、特上カバチ、怪物くん、鍵のかかった部屋、マイガール、貴族探偵、フリーター家を買う、失恋ショコラティエ、ごくせんと花男。今Spotifyで曲を聞いてたら、曲ごとに色んなドラマが思い浮かぶ。
うろ覚えなのにばーーっと脳裏に浮かんでくる。サビだけは聞いたことがある不思議。避けることが難しいほど、嵐に彩られた日々だった。
小学校高学年になった私にとって、嵐はテレビに出ている格好よくて優しそうな仲のいいお兄さん達だった。母親は茶の間の極みのようなジャニーズ好きだったが、親が好きな東山紀之とキムタクの擁するSMAPはカリスマ感があり手の届かない存在だった。歳の近い、にこにこしたお兄さん達の方が好きになりやすかった。
クリスマスプレゼントで、timeのアルバムをサンタさんから貰った。夜9時以降起きることを禁止されてたから、花男は知らない。まだこの時はメンバーも覚えてなかったと思うが、初めて手に入れたCDが嬉しくて嬉しくて、歌詞カードを眺めてラジカセで聞いていた。お陰で、Love so sweetだけは歌詞を見ずに歌うことができる。
家にケーブルテレビがやってきて、環境が変わった。今まで家にやってきたノートパソコンでこっそり違法のPVを見るだけだったが、スペースシャワーTVやエムオンで嵐のPVをずっと見ることができた。勢いがあらランキング上位を占領していたのがよかった。Believeの櫻井くんのラップを覚えた。
嵐によって沢山の友達ができるようになる。中学、高校、大学。私たちの世代の共通の話題は嵐だった。知ってる人がいない学校へ飛び込んでも、少し話して「嵐だったら誰が好き?」で仲良くなれた。魔法の言葉だった。
今は野球の話をしている友人は、櫻井くんが好きだった。よくお酒を飲む友人は、ニノが好きで虹について話した。声優さんの話をする友人は、松潤の筋金入りのファンだった。今でも初めて会った人に「学生時代、嵐は誰が好きでしたか?」と話すことがある。相葉ちゃんはスーパーアイドルだってカラオケで教えてくれた友人はソシャゲが好きだ。違うジャンルにいても、人格形成の過程で嵐を取り込んできた人生だった。世代だった。
ファンクラブに入るお金もないし、ライブには行けなかったけど。紅白で司会する姿をハラハラしながら見たり、夏の音楽番組のメドレーにドキドキしたり。24時間テレビもよく見た。正月の特番は嵐がマストだった。
ゲオで借りた5×10をウォークマンに入れて、通学路で聞いていた。嵐だからってauの携帯をねだっては怒られて。近所の嵐ファンのご家族が、国立に行くからってジャポニカ学習帳みたいな嵐グッズを買ってきてくれた。
カラーボールペンでメンバーの色と一緒に名前を書いた。みんないい名前してるよねぇって授業中しみじみと書いた文字を指でなぞった。茶化すとき、ニノのことはニノミヤカズナリとフルネームで呼ぶ。SHO SAKURAI は賞賛する時。相葉ちゃんはずっと相葉ちゃんで、動物番組は我が家の定番になっていた。
MJ!!クイズ松本潤大好きだったなあ。怖そうなイメージだったのに、凝り性なら末っ子だと思ったら可愛くて仕方ない。松潤のオタクに伝えたら、そうなんだよ!!松潤は可愛いの!!って怒られた。嵐にしやがれのMJ企画も面白かった。壁を突き破る櫻井翔が特に笑える。年末にやってたマネージャーに暴露される姿。ソース、これはステーキソース!
反抗期で部屋に閉じこもってても、母親が1階から叫ぶ。「嵐出てるわよーー」「はーい」と返事をして、しぶしぶ部屋から出てリビングにいく。リビングにしかテレビがないからだ。嵐を見て、松潤が好きな母親がニコニコしてテレビを見ている。仲の悪い兄も何となくいる時がある。父親に嵐のメンバーの名前を覚えさせようと頑張ったなあ。その時やってるドラマによって父の記憶がまちまちだった。面白かった。
人とコミュニケーションをとる時。一人で寂しくて辛い時。嵐はそっと助けてくれた。受験生の時、ウォークマンで聞いていた。カラオケで、歌詞を指しながら歌ってた。友人が踊って、腹を抱えて笑った。
ニコニコ動画にファンがあげてくれたバラエティまとめを見て、やるせない夜を少し明るくすることができた。ダブルパーカー、相葉丈、相葉すごろく、クイズ松本潤。まだ全然笑える。大学の友達といっしよに、Cの嵐の動画を見たなあ。低予算スペシャル、乳首開きTシャツ。マネキン5。イカダで海に行くのも好きだった!!
最後のライブが決まってから、配信があるだろうと推測した。都内でよく集まる友人たち2人に声をかけて、友人の家で見ることになった。配信方法を調べ、ファイアースティックとパソコンを繋げる2つの方法で試すことを決めた。前日にはチケットを買った。職場の櫻井担に「松潤がもっと早く買ってって言ってたよ!」と叱られたが、オタクは万年金欠なので仕方ない。
テザリングできるように会社の携帯と自分の携帯の2台体制で望む。参加者の元ジャニオタはテレビがダメだったようにそれぞれチケットを買っていた。日本の経済がぐるぐる回る。中島健人のペンライトを持ってきた強者もいた。
準備万端。気づいたら参加者が増えて5人の大所帯になった。嵐も5人、こっちも5人。タイマンはれるね。
当日、早く起きたのでYouTubeでアラフェスを流して家事をした。いつもは昼まで寝てるのに、テキパキと身体が動く。全ては、嵐を万全な体制で見るために。洗濯物を2回回して、常備菜も沢山作った。月曜日を迎えるための心残りは無くなった。季節外れの暑さの中、友人の家へ行こう。
会場の同居者がとっておきのスピーカーを貸してくれて、万全の環境が整った。みんなで持ち寄った惣菜とお菓子を食べて、15時からの特別映像を見た。最初は繋がらなくて、回線も弱い。ユーネクスト一般チケットとパソコン直接繋ぎで安定した。昔の映像とMVが流れると、現場に行ったことがある松潤のオタクたちがすすり泣いていた。
赤ワインで乾杯していたら、あっという間に18時になった。馬券を買ってたのに、嵐に夢中で日本ダービーを見逃した。同じ映像なのに、目が離せない。グッズがダサい、ここからチケットが当たらなくなった。この頃は中学生だったねぇ、なんて取り留めのない話が盛り上がる。
みんなでファミクラの写真を買い漁った。松潤のオタクたちは可愛い松潤を探し、70点近くになったらしい。もう売らないかもしれないからって思うと、5人の写真が欲しくなる。チャラい頃の櫻井翔格好よくない?オレンジの上着の松潤がかわいい。お花と写ってる写真買わなくていいの??
初めてジャニショに行った時、紙を片手に嵐の写真も買った。今はネットで買える。職場の古参ファンの方は郵便局でチケットを買ってたという。テクノロジーが進んでる。
でも18時にからはみんな黙った。すすり泣く声しか聞こえない。トラブルメーカー辺りでようやく数回話したぐらい。静かな前半戦だった。通夜なのかミサなのか。始まったら終わるという友人の言葉がいやでも脳裏によぎる。始まったら終わるのだ。
いらっしゃいませーーっとニノが叫ぶ。相葉ちゃんがあざとく問う。櫻井さんに調子を聞かれる。上の方をやけに気にしてくれる。前は無観客だったから違和感があったけど、これは普通のツアーのオーラスのようで自然で。MCもゆるっとしてて、勝手に器具を使って怒られた相葉ちゃんに笑う。意外と小さいでしょ?とチョケる大野さんできが抜ける。いつものテレビで見てた嵐だ。
みんな律儀にセトリを見てこなかったので、新鮮な悲鳴が上がる。YES?NO?の時、「もしかして踊る!?」と声が上がる。休止期間を感じない身のこなし方、綺麗なターンと足さばき。子供の頃から好きな嵐がいた。ずっと好きだった大野さんが帰ってきた。
truthのサビ、謎めいて~の振りが好きだった。体育の時間、50m走の合間にみんなで指の振りを練習したことがある。自分の中に残っている、かなり古い記憶だ。いつもぼんやり笑っている人が、キレキレのダンスと爽やかな高音で魅了する。truthとMonsterで大野さんの虜になって、それからずっと好きだった。
嵐で誰が好き?大野くんかなーって答えてたのが、成長とともに大野さんと呼び名が変わった。軽やかなステップが好きだった。5人並んでもすぐわかる。飄々として、無重力で。そのままどこかへいってしまった人。もう戻らなくても誰も責めないのに、律儀に帰ってきてくれた人。誠意というのは、嵐の覚悟なんだと思う。
私にとってアイドルの入口だった人。song fo meも曇のち快晴も好きだった。真ん中を割り切って飛んでくるMonsterの入り、祈るようなLove so sweetの落ちサビ。Step and go のサビも好きだった。seasonの入りもいいなあ。爽やかで透明で、スーッと光のように真っ直ぐ届く声色が胸に刺さる。
大野さんが帰ってきた。あの頃と違わない実力で、カメラの前でステージの上で歌って踊って跳ねている。ターンを決めて、軽い身のこなしで高音をビタっと決めて。MCでまた気の抜けたような声が聞こえた。それだけでぐっとくる。写真を沢山買おうと決めた。
P・A・R・A・D・O・Xに湧くオタクたち。GUTSの振りが完璧なオタクたち。Oh Yeah!で両手を挙げて手を振るオタクたち。たのしー!!てか友人たち泣きながらなのに凄い。
ムービングステージが割れるのも初めて見た。制御ペンラも綺麗で、いつか行きたかったなあと悔しい気持ちになる。嵐のライブはディズニーランドだと言っていた。華やかで綺麗でずっと楽しい夢の舞台。推しは推せる時に推せと痛感する。
truthとMonsterあたりから、もう大野さんの姿も歌声も聞くことはないのか?と我に返る。1曲ずつ、最初で最後ってこと??酔った脳みそが冷静になって、残り時間を考えてしまう。始まるってことは終わる。会場に入った人がアンコールがなかったといっていた。終わる。終わる???迷宮ラブソングで膝まづく嵐にはしゃぐ心と、終わることへの動揺。誰ももう終わる?とは口に出せない。察していても、言えやしない。
ここまで泣いてなかった。最初の方で大野さんと櫻井さんが抱きしめあった時に弱ったけど耐えた。むしろ、涙の相葉ちゃんを見て冷静になったぐらい。とうとう最後の挨拶が始まった。目に涙を溜めて、メンバーが想いを伝える。揺れるペンライトと拍手が響く。熱い想いでメンバーを抱きしめる松潤、ジャニーズとしての矜恃と誇りを胸にしたニノ、真っ直ぐな感謝を伝えてくれた相葉ちゃん。
できるできないじゃない、やるやらないという言葉に感銘を受ける社会人たち。まじでそのぐらいのキリキリした感覚で生きるべきなんだと納得しか無かった。
ライトが当たって、大野さんが出てくる。耐えるように寄せられた眉と震える声。メンバーの方を見て、感謝の言葉を伝えた時。メンバーの顔が移ると穏やかな顔をした櫻井さんがいる。ここで涙腺が緩んでしまう。幕を下ろすことを決めた男たちの、26年半走りきった覚悟と歴史。
今日はずっと、櫻井さんは穏やかな顔をしていた。ちょっとしかインタビューを見ていないけど、ずっと嵐を続けたかった人だ。どこか吹っ切れているような、めいっぱい楽しもうとしているような。慈愛の顔で松潤を抱きしめて、浮かれて、調子を聞いてくれている。会社で仲のいい人が櫻井翔さんが好きだから、最近はよく見るようになった。あの人は今どんな気持ちで、この配信を見ているんだろう。
櫻井さんが挨拶の際、声が詰まって、耐えて絞り出した「大野智」という名前。年長の2人組。山というコンビ。天才肌と努力型。振る舞いが不器用な人と言葉以外が不器用な人。嵐じゃなかったら会わなかった2人。にわかファンの私が知らないであろう沢山のエピソード。2人にしか分からない沢山の日々と出来事。
何も知らないけどさ。少しだけしか知らないけど。覚悟を決めてずっと走り続けた人達が、流す涙は綺麗で。ありがとうしか出てこない。ありがとう。急に集められて、ハワイに行って。色んな奇跡が重なって、偶然、たまたま、運命的に集まった5人。本当にありがとう。こんな時、ありがとうって言える曲があるって素敵だ。
5人が歌った時にピッタリハマる歌声。親より聞いた声かもしれない。すごいんだよ嵐って。凄かったんだよ、嵐って。沢山のジュニアを引き連れて踊った姿はジャニーズのど真ん中だった。ジャニーズが作った最高のエンターテインメントだった。ずっとあると思ったけど、5人で終わらせてくれることはとっても幸せなことだよね。
ライブが終わって、アンコールがなかった。メンバーのサインが並んだ画像のまま、呆然とした。ワンチャンあるかもねって、会場の音が消えても眺めていた。一時間ぐらいずっと放置して、画面が消えたらまたつけて。
ネットで現地やオタクの声を探した。最後に階段を登る時に誰が変な挙動をしているなあって思ったら、相葉ちゃんが機材を跨いでたらしい。足長いな!!泣いてないと思ってたニノが冒頭泣いてたらしい。色んなコメントがひとしきり流れたあと、自分と嵐の思い出や物語が流れるようになった。
終わってしまった。でもずっと嵐はある。これからも5人が集まることもある。でもアイドルな姿は宝箱にしまう事になった。また5人でお酒を飲む日は来るかな。終演後、東京ドームで5人だけでお酒を飲んだらしい。ずっとバースデーの映像で酒が写ってたけれど、みんな飲むんだよね。それがまた、楽しそうで愛しい。
1つの時代の幕が閉じる時を、一人で過ごさなくてよかった。受け止められなくて、呆然としてしまうよね。帰り道、友人とそんな話をしながら歩いた。我々は今地元を離れて東京にいるけれど、嵐を一緒に見てくれる友人が近くにいるってありがたいことだよね。
職場の人は、会社の嵐ファンの繋がりで知らない人とカラオケに集まるらしい。誰もが受け止められなくて、支え合ってこの目に5人の姿を納めようとしている。公演中、リア垢のタイムラインには誰もいなかった。みんな釘付けだった。
ずっと嵐が隣にいた。私の多感な青春と呼ばれた期間はずっと嵐とあった。テレビラジオインターネット、携帯パソコン雑誌や写真。全てのメディアとテクノロジーが進化して、真ん中に嵐が映ってた。それはとても幸福なことだったと思う。年齢と出来事と嵐がリンクする。
高校生の頃、Oh Yeah!を歌いながら自転車を二人乗りして坂を下った。怖いトンネルを通る時、原付に乗りながらlove so sweetで己を鼓舞した。海の方へドライブする時、車内でA・RA・SHIを熱唱した。いやになって泣いた時も、今日死んでいいって楽しい想いが天井を超えた時も、感情に火をつけてくれるのは嵐だった。悲しい気待ちを消してくれるし、嬉しい気持ちは増長させてくれる。
震災で知ってる土地がめちゃくちゃになって、県外に出たら被災者って言われた時期は、中高生だった。どうせこの世は良くない方に転がっていくんだろう。これからずっと地震のことを聞かれるんだろう。別に津波はこない地域だったのに、東京の人から見たら県民・地域みんな一色単に被災者扱いという風潮があった。本当はもっと濃いグラデーションがあったのに。
全国大会とかでも家が流されてないのに苦労したみたいな台本を渡されるし、それを周りの大人が望んでいる。悲しさに負けない学生になる必要があった。とても反吐が出る気持ちになった。家族が亡くなったり、家が流されてないのに大人が求めてるコメントをしなければならないことがどうしても嫌だった。
なんでここに生まれたんだろう、この時期に学生なんだろう。大人が欲しい言葉を書いて話して、いつかこの街を出ないとなって思って、そのまま出てった。でも、嵐が地元に来たんだよ。震災の時からテレビの特番では来てたけど、大規模なライブをしに。あの時の近所のおばさんたちの明るさを覚えてる。ファンクラブに入ってないから見に行けないけど、嵐が来るってだけで嬉しかった。お母さんが新聞を指さして笑っていた。嵐の後ろで踊った友人たちが何人もいる。
あれは祭りだった。社会現象だった。宮城でやらなくてもいいことを、宮城でやってくれてありがとう。今も、沢山のアーティストがライブで来てくれる。そのきっかけを作ってくれてありがとう。私は少し、地元が誇らしくなりました。
きっと大丈夫っていう曲が好きで、社会人になった時によく聞いていた。力強く歌われる「きっと大丈夫!」という歌詞を、カラオケでみんなで歌う時、生きてていいことあるよなって思える。
誰か結婚したら嵐の曲を踊るしかないねぇって友人たちと言って。花男メドレーやるしかないよねーって。そしたらゼクシィの曲に嵐が決まって。愛を叫べを披露する機会はなかったけど、町内会の会館とか借りて練習したいねって息巻いていたなあ。甲子園も嵐の曲が決まって嬉しかったー!夏疾風!!熱闘甲子園大好きだから嬉しかった!
悲しくて暗くて呪うような曲が多い中、ずっと未来を信れるような音楽を沢山ありがとう。愛や恋を信じられる曲、友情を尊ぶ曲をありがとう。今日まで真っ直ぐ生きてこれて、優しくあれたのも嵐のおかげかもしれない。
一番好きな歌詞は、love so sweetの「こんな好きな人に 出会う季節二度とない」です。ずっとみんなお前が言うな!!こっちのセリフじゃ!!って思ってるから。カラオケで指さして笑ってる。こんなに好きにさせてくれてありがとう。ライブも行ってないし、ファンクラブにも入ってないのに、想いが止まらない。26年半、お疲れ様でした。
人のことを思いやるときの語彙って、嵐から学んだかもしれない。好きという感情表現も未来への希望も、嵐の歌に支えられて生きてきた。ありがとう!嵐!!そして沢山の友達をありがとう!!私の人生をありがとう!!何より、大野智さん。あなたのおかげで、アイドルを好きになる楽しさを知りました。ずっとずっと、幸せでいてください。
こんなに人の幸せを祝う季節なんて二度とないよ。嵐の5人の人生が、よりよいものでありますように。お疲れ様でした。最高のライブをありがとうございました。一生忘れない景色が見れました。