夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

週末日記⑨

お疲れ様です、有機栽培です。

 

特に何も書くことがないけど、何か書きたいなって思った時に、この「週末日記」のラベリングは便利だね。と思い出したように書き始めました。

 

最近はどうだろう。仕事は安定しているので、前みたいに死地に赴くような嫌悪感は抱かなくなった。でも将来を考えると辞めたいなと思います。

 

辞めたいとリアルのアカウントで呟いたら、中学の同級生が「私も転職活動してる」「今は求人が少ないけど、でも出したる会社は優良企業」と言っていた。確かにそうだと思う。そうだけど、動けない。

 

友人が病んだ。病んだ友人にどう声をかければわからなくて、「私も薬飲んでるよ」「飲めば楽になるよ」と軽くて薄い言葉しかかけれなかった。本当は遊びに行きたいけど、遊びに行くにはコロナが恐ろしい。一緒に遊んだからかかったんだと言われたら、何も返せなくなってしまう。

 

といいますか、友人と会話する内容がない。週末は彼氏と過ごす、平日は仕事で死んでるからすぐ寝てる。人間としてどんどん薄くなっている気がする。日々を繰り返して、個人を現実に薄ませて、味のないガムになっていくのだろう。

 

実家暮らしをしているのだが、最近母親に怒られた。週末は彼氏の家に泊まりに行くし、平日はすぐに部屋に篭もる。少しはリビングにいていつ死ぬ変わらない膵臓癌の父親と会話しろと訴えてくる。

 

私はリビングが好きじゃない。父親と会話しろと言うが、母親の方が問題だ。母親は声がでかく、主張も大きく、自分が絶対に間違ってないと思っており、絶対全員自分の話を聞いていると信じて疑わない人間だ。そういう人間といると疲れるし、働いてないからそんな風に振る舞えるのだろうと軽蔑してしまう。

 

そんな声のデカい、まるで私が世論だと振る舞う母親の言いなりになって公務員になったのが間違いなのだと思う。部屋が全く片付けられない母親。人が来る時だけ見えるところだけ片付ける母親。その姿すら醜いと思う。自分もこういう厚かましい人間になるかと思うと寒気がする。

 

昔から、廃人とかに興味があった。自分がいつかそうなるのではないかとヒヤヒヤしていたからだ。昭和初期まで文献で頻繁に出てくるよね。発狂して座敷牢とか、廃人になって早死したとか。昔はもっと人は狂いやすくて、現実に過敏で、脆かったはずである。医療の進歩やらでいつからか耐えることが普通とされてしまった。狂えたらどんなに楽か。宗教に帰依すればどんなに楽か。科学や技術は信仰するには軽薄だ。

 

毎日飲むビールがうまい。毎週末会う彼氏が好きだ。それぐらいである。コロナが終われば街で居酒屋に行きたいなって言いながら、毎週末スーパーで惣菜を買い込んでウキウキで食べている。この前は飲みすぎて寝落ちした。起きたら生理が来て布団を汚してしまって、朝5時にパニクってたら優しく許してくれて、洗濯機回してくれて、コンビニにナプキンを買いに行ってくれた。

 

日本の優しいの基準なんですかね。彼氏。そして自分の生理周期すら満足に管理できない私。経血なんて男の人は見たくないものでしょう。

 

普通の人間の幸せに当てはめられている感じがする。幸せなんだけど、これでいいのかと不安になる。もっと早く現実に危機感を持って、焦燥感を持って東京に進出して、私にしかできないことを探す人生を歩むべきなのか。それとも、十分に傷つきながら生きにくい世の中を生きてきたのだから、これからは私を思いやってくれる人と無理せず生きる幸せを手に入れるべきか。

 

分からないね。分からない。現実に蓋をして生きているけど、どうなるか分からない。今日だけはゆっくり寝たい。悪夢を見ずにぐっすり寝たい。明日は来なくていい。それだけは昔から変わらないんだ。

 

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先週見に行った水芭蕉。コロナよ終われ、はよ居酒屋に行かせてくれ。友人と集まらせてくれ。

 

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美味しかった広島焼き