夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

8月に初めて内定が出た女の話④

 前回の話から1年が経過しました。久しぶりです。有機栽培です。

 

 まずは感謝を。「8月に内定が出た女の話」シリーズをたくさんの人に読んでいただき、本当にありがとうござました。あれは19卒の女の話なので、もう2年前の出来事になります。同時に、それでも今なお読まれているということは就職活動の辛さというものは変わらず存在し続けるのでしょう。それが悔しいです。

 

 成功を謳う就活ブログは星の数あれど、敗者のブログ記事というものは今までになかったかと思います。就活に敗れて、辛くて、死にたくて、自殺したくて。毎晩SNSで内定をとって遊んでる友人たちを見て、自分は就活垢に引きこもる。春先なんてまだよくて、6月を過ぎてから勝者と敗者の線引きがなされて、敗者は質問箱に煽られながら懸命に面接に向かう。そんなリアルが、たくさんの人に知ってもらえたことがなによりでした。

 

 就活が辛かった人は沢山いて、一人ではないということ。そのことで少しでも救われた気持ちになる人がいたら、このブログを書いた意味がありました。

 

 今日、三浦しをんさんの「舟を編む」を読んでいました。辞書編集という難題に立ち向かった人たちの話です。その本を読みながら私は過去の自分に対して猛烈な後悔を感じました。「貴方だからできた仕事」「貴方じゃなきゃできない仕事」をしたかった。私は地方のしがない公務員であり、仕事にも熱量などありません。公務員を選ばずに、内定を持っていた営業職になっていたならば、私という個が尊重された仕事ができたかもしれない。そんな後悔に押しつぶされそうになったのです。

 

 私は公務員になって、誰にも感謝されず、何も功績も名前も残さず死んでいく。でも、この選択をしたのは2年前の私で、それがベストだと信じてやまなかったのでしょう。

 

 これは8月に初めて内定が出た女が、公務員を選ぶまでの話です。後日談のような話になります。

 

 

※2年前の記憶を呼び起こして書くので曖昧です。

※あくまで私の就活の話です。

※今までの記事は以下の通りです。

 

muriyada444.hatenablog.com

muriyada444.hatenablog.com

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①内定が出た

 

 8月の初め、静岡のさわやかハンバーグに並んでいた時に内定が出てから、今までの就活が嘘だったかのように内定が出ました。合計3社。1つ目は段ボール会社の営業、2社目は防災大手企業の営業、3つ目は大きな印刷会社。どれも全国転勤の可能性があり、本社は東京でした。

 

 どの会社もよかった。でも一つ難点をつけるのであれば、住宅補助が30歳でなくなてしまうことでした。結婚する予定のない私は、一人分の給料で東京に死ぬまで生き続けなきゃいけない。頼れるものは己しかいなかった。それを考えると給与も低い会社で、住宅補助もなく生きるのは心もとなかった。

 

 なによりまだ公務員試験が残っていました。公務員になれば安月給なれど実家に住めば生きていける。地元の同級生は都会に出ているから、知り合いとすれ違うことなんて無い。ドーナッツのように周囲に散らばってくれていました。

 

 悩みに悩んだ私は、とりあえず遊ぶことにしました。就活に本腰を入れた4月からほとんど人とも連絡を取っていませんでしたから、周囲にも心配をかけていました。とりあえず地元の親友と酒を飲み、どうせだからと花火をしました。

 

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思えば数年ぶりの花火。大学生の時欠かさず行っていた花火大会は、就活のせいで行けず仕舞いでした。火がついてないと思ってロケット花火に近づけば、突然音を立てて発火して逃げ惑う。当時の動画が残っていたので見返したのですが、本当に楽しそうだった。「はぁん激しい!?」「死んだ!?」「五変(色代わり)…」「ごんべん…」「にんべん…」「ぎょうにんべん……」って最終的に部首の名前を呟いてました。


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 あと線香花火したんです。最初は「線香花火に似合わない曲選手権」をしてたんですが、ウルフルズのバンザイ~ってのとUSA(どっちかの夜は昼間しか覚えてない)を歌ってました。親友が「福士蒼汰と花火したい」といった瞬間に火種が落ちて、花火からキャンセル喰らってたのが面白かった。


久しぶりに馬鹿笑い。大学最後の夏休みを、何とか取り戻していたのでした。

 

②博物館実習

 

 公務員試験の最終試験まで時間があっても、大学4年生に遊ぶ暇なんてない。2回目の博物館実習へ向かいます。県外の大学進学を親に許される条件の1つが、「何かしらの資格を取る」でした。教員免許は単位が卒業単位に含まれないと聞いていたので、早々に諦めてしまってた。そんな私に残されたのは「学芸員」の資格会得の道のみ。

 

 学芸員の資格に必要な単位は運よく卒業単位に含めてくれたし、授業も楽しかったので気が付けば東京の展覧会まで足を運ぶ博物館好きになっていました。でも博物館実習と就活の平行はかなり難しい。特に公務員を目指している人間は地獄を見ることになる。

 

 博物館実習か行われるのは夏休み。そのほとんどが公務員試験の二次試験の予定日とかぶってしまう。私もかぶってしまっていたので、自力で博物館と交渉して日にちをずらして貰った。感謝してもしきれない。

 

 4年間博物館について学んだ人は、諦めずに博物館と交渉して何とか実習に行って資格を取ってほしい。実習は座学と全然違くて、本物の資料と触れ合う機会はとても貴重だ。そして博物館がとっても好きになる。資料保存のため、資料公開のため今日も頑張ってくれる学芸員さんには頭が上がらない。今はコロナで博物館も締まっている。だからこそ、開いたら日本中の展覧会に足を延ばすつもりだ。

 

 私の2回目の博物館実習は、朝5時起床、7時から登山を開始して8時に博物館に着くというとんでも実習でした。博物館が山の上にあるから仕方ない。でも夢だった日本刀の手入れもできたし、学芸員さんも話すと楽しくて、有意義な一週間でした。私も専門が日本史だったら、院まで行って学問を究めるのもありだったかもしれない。就職活動ですり減った大人への信頼感が、少し回復した日々でした。

 

 

③公務員試験

 

 親に受けろと言われたし、何故か筆記が通ってしまったから仕方ない。どうせ受けるなら受かって方が精神衛生上いいし、他の内定が家賃補助に期待できない今最後の希望でもありました。公務員になって自己破産することは無いだろうと考えたのです。

 

 準備期間の3日間。面接の受け答えの想定問答集を作成するのは民間とは変わりません。何より熱心に行ったことは、総合計画を暗記するレベルで読み込んだこと。そして自治体の弱点を箇条書きにして、自分なりに答えを作ることでした。

 

 新聞も熱心に読まないし、大学でも西洋史の勉強ばかりしていた自分です。大学で地方自治についてゼミしてた人物に適うわけがない。そんな自分が専門の学生に勝てることは国内旅行の多さでした。必死に旅した街を思い出して、すごいなって思ったところを取り込んで自分だけの自治体の指針を作りました。自分だけの武器は徹夜の付け焼刃でしたが、ないよりましです。

 

 試験内容は作文と面接、そしてグループワークでした。まずは作文。自治体が将来どうなってほしいかを書く内容でした。おお!進研ゼミで学んだぞ!という感覚はこういうものか、妙に納得していたのを覚えています。だって前日に対策しましたから。

 

 次に面接。小さな自治体の試験ですから、職員が緊張をほぐすために最初に話しかけてくれます。最初は総務課との面接、次首長クラスとの面接です。ここで私は気づきました。面接が緩い。毎週東京の企業で面接を受けてきた私です。そこら辺の公務員専願の緩い人間とはわけが違う。第一線で就活してきた私です。これは後のグループワークではっきりしたことなのですが、地方の自治体の面接はコミュ障がライバルなのではっきり言って楽です。ねらい目です。民間で就活経験がある人はかなり有利だと断言できます。だって彼らは10何回も面接などした来ないからです。

 

 また、地方自治体の面接というのはその道のプロが行うものではありません。人事異動でたまたま職員担当になった職員が行います。そのためかなり優しく、普通のことしか聞きません。また、首長級課長級の面接も圧迫などありません。見てるのは「職場に適応できるか」「ストレス耐性があるか」「長く務めるか」の3点です。なのでアピールすることは決まっています。

 

 私は元気溌剌とした印象を与え、精神を病まないような人間であることを意識しました。ストレス耐性の問いには「就活で辛かったときや、腹が立った時は東京駅の八重洲口のトイレで5分上を向いて耐えれば大丈夫でした」と笑いました。そして自分が旅行が好きで多趣味であり、仕事ばかりでない人間であることや休みが欲しいことを伝えました。そして長く務められるか?との問いに「趣味と公務員の生活サイクルが合致しているから」とアピールしました。我ながら完璧な面接でした。

 

 あとはいかにおもしろい人間かということを意識づけるかです。好きな本の話、ヨーロッパ6か国を歩き回った話、国内旅行の話。趣味に走り続けた4年間は就活においては無価値なものだったかもしれないけど、面白そうな人間としては成長させてくれました。エピソードトークができる人間は強い。

 

 そしてグループワーク。首長の前で話し合って街の改善点を決めます。内容は作文に書いたことをもとに話し合う。パッと面接を受ける人間の顔を伺うと、全員緊張している模様。グループワークのリーダーは何回もしたことあるからいいやとリーダーに。あとは全員を褒めながら満遍なく意見を聞いてまとめて終わりです。途中でタイムキーパーが時間を忘れてしまってて焦ったけどね。その時確信しました。公務員試験は民間を最初から眼中に入れていない、就活初心者の巣窟だと。

 

 公務員は今変革の時代です。頭の固い高卒の団塊世代が欲しがった無個性の業務処理マシンのような人間では、社会の大きな問題を解決できないと分かってしまった。欲しがる人材は民間でも生きていける行動的で、巻き込む力のある人間です。学力など筆記試験さえ合格すればいい。現に公務員試験での筆記の点数の割合は年々下がってきています。おもしろい人間であるならば、安定を求めるならば、就活が辛くて思うような結果が出ていないならば、夏にある地方自治体の公務員試験を受けるのもアリだと思います。

 

 協調性と学力は最低限でいい。そんなもの、この夏の就活を頑張った僕たちには備わっている。最後の希望だと思ってみてください。

 

 

④決断の日

 

 就活は、9月7日の関ジャニ∞のライブまでと前から決めていました。同じように、内定を得ていた会社からは内定確約を迫られていました。公務員試験の結果が出る前に、民間を一社に絞り、御社に断りの電話を入れなければならないのです。

 

 これが非常に悩みました。自分は食品業界を最初に目指していたのですが、そこから食品包装へ目を向け、段ボールに目をつけました。物流が盛んな時代、段ボールは絶対に無くならない商材です。そして、色んな会社に営業に行けるという楽しみもありました。しかし業界の工場環境が劣悪であることを知り、それを踏み台にしてまで営業はしたくないなと思って断りの連絡を入れました。面接で静岡まで連れてってもらい、交通費まで支給してくれたやさしい御社でした。人事の人の顔一生忘れない。

 

 次に連絡を入れたのは防災の御社でした。これも迷った。私は前述したとおり学芸員の資格を取るぐらい博物館が好きでした。だから日本中の博物館や美術館、神社仏閣などの歴史的な遺産の防災のために働けたらどんなに幸せなのだろうかと考えました。なにせ、一次面接だけで内定を得た会社です。相性もいいはずだし、あっちは私が欲しいのだろうという意思も感じました。でも、オリンピックの後の建築バブルの終息を考えると、今のまま企業が存続するのは難しいかもしれないと思い、お断りの連絡を入れました。でも、いい会社だったし、いま叶うならばここにお世話になりたい。

 

 最後に残ったのは印刷の会社と、地方自治体。他の2社にはライブ前に、東京ドームシティで電話しました。すこしすっきりした気持ちで友人たちとライブに望んで、自担に就活がいったん終わったことを念を通して報告しました。とても楽しかった。

 

 そして次の週。公務員合格の連絡が届きました。

 

 印刷会社に連絡を入れました。大きなビルの上の方に本社があって、きれいな女の人が優しかった御社。昔から漫画や本が好きだったから、創作物に携わりたいと思い受けた会社でした。もしこの会社に入っていたら、東京でОLとしてバリバリに働いていたのでしょう。でも、業績悪化していたし、公務員の魅力には勝てなかった。

 

 東京で一人で生きる勇気は私には無かったのです。数か月間の間、夜行バスとゲストハウスを駆使して一人で就活を続けていました。それでも何人かのフォロワーさんとご飯を食べたりしながら、人に支えられて生きていました。じゃあ一人で社会人になったらどうなるのだろう。こんなに東京にいらないと祈られ続けた私は、果たして一人で生きていくことができるのだろうか。そう思うと怖くなってしまった。就活すら耐えられなかった私が、一人で社会人生活を耐えきれるはずがないと。

 

 選んだのは、田舎の地方公務員でした。私は就活で仕事というものが心から嫌になっていました。私にしかできない仕事がしたいし、私の名前を社会に残したかった。根拠のない自信と、プライドだけが私を突き動かして、名誉のために就活をしては祈られていました。大手病にかかって、身分不相応な就活を続けては心を病みました。

 

 この就活で学んだこと、それは「有能なフリをするのはやめよう」ということでした。自分には可能性があると信じて、就活をして得たものは精神的な疲労と何処までも弱い自分でした。弱い自分でも生きていける社会はどこだろうか。そんな時思い付いたのが公務員でした。

 

 私には趣味がありました。ジャニーズを追うこと、旅行をすること、博物館に行くこと、歴史の勉強をすること、地方にいる友人に会うこと、本を読むこと、アニメを見ること。一生困らない職業とお金を得て、中の下の人生をぼんやり歩むのも悪くないんじゃないかと。公務員は基本土日が休みですから、休みがあれば自分は好きに生きれると思いました。自治体も仕事も好きじゃないけど、無理なく生きることこそが幸せなんじゃないか。どうせ一人で生きていき、一人で死ぬ運命です。一人の人間にとって、社会からのストレスは私を殺すのに十分なものでした。これが定年まで続くのは耐えられないと、判断したのです。

 

 金と精神、あと休日。私の人生は仕事が全てではなく、余暇こそが人生の中心であると。友人と週末飲んで、日本中の美味しいものを食べて、美しい本物をこの目で見る。歴史の勉強を続けて、教養深い人間になろう。だから私は、東京を諦めました。こうなったら、最強のおひとりさまになってやると。

 

 なにより、面接で一番素だったのが公務員の試験でした。素を出した面接で内定を得ているから、一番自分が合っていると思ったのです。会社に入ったらどうせ繕えないんだから、それが一番いいと。

 

 高校生の頃に、意味もなく書いた将来の夢は「公務員」でした。公務員になれば、就活を通して私がなれなかったふつうになれると思ったのです。

 

 9月のとある日、友人と遊ぶ前の金沢駅で断りの連絡を入れました。「どうして御社はダメだったのですか」と人事の人に聞かれたので、曖昧に返事をしました。この判断を将来の私は逃げと笑うのでしょうか。でも私は、今の私にとってこの判断はベストだったのです。

 

 2月から説明会に出席しました。3月には好きな店員さんが駅からいなくなって落ち込み、4月には東京の大手にエントリーシートを書きました。5月から夜行バス生活を始めて、6月に青山霊園をさまよって就活自殺をしそうになって、7月に病みながら灼熱の東京に通って、8月に内定が出ました。そして9月。リクルートスーツをクリーニングに出しました。

 

 就活が終わりました。

 

 

 

⑤就活とはなんだったのか

 

 私の就職活動の遍歴はこんな感じです。精神がおかしくなるのは6月で、一番つらかったのは7月でした。周囲の友人の誰よりも頑張っていたから、余計にしんどかったことを覚えています。プライドが高いから誰にも頼れなくて、一人で抱え込んで死にたくなってました。でも、誰かに相談したからと言って不安が無くなるわけでもないし、相手の幸せに嫉妬するのは今だって変わらないから、孤独なのは正解だったと思います。でも親友に自殺したかったと後に白状したら、びっくりして酔って吐かせてしまったのは申し訳なかった。人に頼る、弱音を吐くということがうまくできませんでした。

 

 私はこどものままでいたかった。大人になんてなりたくなくて、ずっと好きな勉強や趣味や好きな友人に囲まれて今まで生きてきました。そのせいで対人関係のいろはや社会のことが全く分からなくて、それが余計に就活を苦しめたのだと思います。気遣いなんて知らないよ。相手が喜ぶことばなんて、機嫌なんてわからない。浮いてるやつが社会に認めれるのは小説の中の話でしかなくて、異分子は就活で淘汰されて死ぬんだと知りました。

 

 早いうちに現実というゲームに手を出しておけばよかった。そうすればみんなみたいに攻略法も分かったかもしれない。現実逃避をつづけた人間にとって、就活は過去の清算でした。それは新社会人になった今でも変わらなくて、私は精神を病んでうつ病になってADHDが発覚して服薬生活を送っています。あんなに大丈夫だと思った公務員生活もうまくいかなくて、過去の自分の判断に後悔しながらアルコールで騙し騙し生きています。絶対転職してやるからな。

 

 私に責任があるにしても、それでも就活はクソだったと声を大にして言えます。人の気まぐれに左右され、命をすり減らすことなんてあってはいけないことです。一緒に働きたいか、組織にとって有益か、好きか嫌いかという点においてのみ私たちは評価され、少しでも気に障ると容赦なく落とされます。大学4年生までに就活というゲームに相応しい人間にならないと、この日本ではふつうの幸せを手に入れることはできないのです。

 

 今の日本のふつうの幸せは結婚して子供を産むことがスタンダードです。でも見落とされがちですが、いい会社に就職するということが大前提になっています。そこに気づけない学生は4年間遊んで死ぬ。勉強して死にます。大学を就職養成学校とみなすならば、もう必修科目にしてくれ就職活動を。てかそもそも、大学は勉強をするところであって、就職のための機関ではないだろうに。

 

 なんだかなぁ。この世界のちぐはぐなところに怒りが湧いてくる。人事が学生だった頃はどうだったんだろうか。遊んでたっていうじゃないか。簡単に就職できたっていうじゃないか。私たちはどうやったら幸せになれるんだろうか。いい会社に入れなくても死ぬ、入っても死ぬ、どうしてみんなそんなに強いの?私には耐えられなかった。

 

 人に選ばれないと、会社に選ばれないと、社会に選ばれないと人は簡単に脱落します。人に否定されて、会社に否定されて、社会に否定されると人は簡単に死にます。人の気まぐれで、会社からの紙切れ一枚で私たちの心ははち切れるほど痛んで、積み重なった重みで消えます。

 

 周りのみんなが一足先にとリクルートスーツを脱いでいくのが、羨ましくて仕方なかった。灼熱の中、嫌なのに上着を着こんで、コンクリートの暑さでゆがむ駅で靴のゴムが灼ける感覚を知った就活生はいったい何人いるのだろうか。砂浜で一人、面接終わりに知らない砂浜でストロングゼロを一気飲みした就活生が何人いたのだろうか。泣きながら傘もささずに、青山霊園を歩き続けた就活生がいったい何人いたのだろうか。

 

 ふつうになりたかった。ふつうに説明会数社で終わらせて、「就職楽勝だったわ~」と6月ぐらいに笑いたかった。数社受けて面接落ちても支えてくれる友人がいてさ、支えてくれる恋人がいて、大手に受かって「春から東京~」ってSNSにあげたかったし、大学最後の一年を卒論とかに費やしたかった。

 

 私は就活で得たものは現実に非情さ。東京と、就活を特に苦労してないのに今楽しく働いているであろう友人たちへのコンプレックス、爪弾きされ社会から脱落した人間という確信、ふつうへの喉が焼けるほどの憧れです。もう怖くて大人と2人きり対面で話すこともできなくなった。自分に夢なんか持てなくなった。何者にもなれなかった。

 

 就活なんてなにもいいことなかった。これから定年まで40年、死ぬまでの間ずっと私はこのコンプレックスを抱えて生きていくんでしょう。

 

 

 就活なんてクソくらえだ。

 

 

 

 

⑥いま戦ってる就活生へ

 

 今この記事を書いている2020年4月はコロナウイルスで大変なことになっているから、きっと私がしていた就活より酷く不透明なものになっているでしょう。21卒はそれなのに周りで内定が出始めて、焦って自暴自棄になっているかもしれません。地方から東京に就活に出る人は、自分の将来設計がうまくいかないかもしれなくて、危惧しているかもしれません。

 

 まず、就活の本番は6月です。今焦っても仕方ない。春先に見かけた内定もった人たちはみんな変なとこに就職したと思っておこう。思うのは自由だから口には出さないでね。そして6月過ぎても内定が無くて、7月に入りそうになったら私の記事でも読んでみてくれ。過去に8月まで内定が出なかった女がいたんだと笑ってくれ。内定が出ない人間は一定数いるから、どうか不安にならないで。

 

 みんな内定を複数持っているのに自分だけ内定が無いと、焦燥感に駆られてしまったら落ち着いてみて。たくさんの女に言い寄られても、本命に振り向いてもらえなきゃ意味がないと。どんなにモテてる人間より、最愛の一人がいる人間の方がずっと幸せなんだってことを思い出してほしい。

 

 一人きりで就活していて、孤独で死にそうだったらさ、友人に通話して弱音を吐くのもありなんじゃないかな。押しつぶされて死ぬんだったら、少しの恥をかなぐり捨ててラインを開いてたすけてって送ろう。話すのが嫌だったら映画に誘って、映画の感想だけをだらだら話そう。一人じゃないって思えるから。おんなじ映画を見てくれる人がいるから。

 

 自分を否定され続けて、死んじゃいたいって思ったら一万円を握りしめよう。そのまま自棄になって墓場にはいかないように。その代わり美味しい寿司を食べて、銭湯に浸かって、漫画読んで酒飲んで寝よう。少しの時間でいいから、美味しさでも面白さでもいいから何かに没頭してみて、少しでも就活から頭を離させるんだ。

 

 自分の味方になれるのは自分だけだからね。自分は世界で一番ゴミなやつだ、こんな人間受かるわけがないと思ったら、太宰治人間失格を読もう。そいつよりはマシだって、自分より最低な人間がいるって笑おう。就活垢作ってさ、同じような人は全国にいるんだって思うのもいいかもしれない。

 

 ポジティブな人間じゃないと人に魅力的に映らないから、せめて自分だけは味方でいてあげてね。呼吸をしてる、履歴書書いている、就活に向かっている。それだけで十分に偉いんだ。涙が出るぐらい偉いんだ。奨学金とか将来の不安はあるけどさ、君は今現実というゲームに真正面から向き合っている。それだけで立派だよ。

 

 私たちは今日を生きている。こんなくそったれな世界で、くそったれな就活をしている。頭ではおかしいとわかりながら、社会に適応するために頑張っている。それだけで、十分に尊いことじゃないか。

 

 だから本当に約束して欲しい。自分だけは自分自身の味方でいてくれ。どんなに世間から弾かれて、否定されても、自分だけは自分の好きなところを忘れないでほしい。誰も味方になってくれない分、自分だけは自分を愛してやってほしい。愛するために何をするか、美味しい飯を食べて風呂入って寝よう。いつも通りの健康な日々が、明日の活力になるから。

 

 これは19卒の、8月に初めて内定が出た女の話である。大人になりたくなくて、笑っちゃうぐらい就活がうまくいかなくて、死にたくなった女の話である。選んだ公務員生活もうまくいってないし、心は散り散りになりそうだけど。それでも、それでも私だけは私の味方でいてくれるから。それを学んだ就活でした。

 

 みんなが自分の好きな会社に就職できますように。老兵はここで去ります。皆さん達者で、笑って酒でも飲みましょう。  

 

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内定祝いで食べた刺身。10000字書きました!お疲れ様。楽しい人生が待ってますように。