夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

8月に初めて内定が出た女の話①

 

 副題をつけるのならば、『6月末に青山霊園で自殺を決意したけど、太宰治に救われた女』でもあるし、『5月から8月、毎週夜行バスに乗った女』でもあるし、『友人に就活楽勝だね、と言われて勘違いした哀れな就活生』でもある。

 

 就活は6月が本番。それは、大手の企業面接が解禁されるからでも、内定がドッと出るからでもない。それらにはじき出された、選ばれなかった私たちNNT(無い内定)が、己の生きる意味と選ばれなかった無価値な命と向き合うことを意味する。

 

 これから就活を続けで、どうなるんだろう。何十社も落とされた私に価値などあるのかな?奨学金の返済金額は400万円。私が死ねば払わなくて済む。どうせまともな職に就けないのだから、せめて親の負担は少なくありたい。

 

 今の私に、奨学金と同等の価値はあるのだろうか。選ばれない私は、生きていてもさほど意味なんかないんじゃないか。大きな『ふつう』の波に乗れず、一般のラベルを貼られなかった例外な私は、これから幸せになれるんだろうか。そして、見栄だけは一丁前に生きてきたせいで、誰にも相談できないし、企業のレベルも下げれない。周囲や親戚の期待は裏切れない。

 

 周囲が感じる私と、私が思う私。この二つがどうしようも無く乖離してしまって、面接が上手くいかない。そして、本当の私は理解されないし、選ばれない。

 

 以上の私の言葉に、少しでも共感できる人。そして今、就職活動に追い詰められて死にたいと思っている人に届けば幸いです。あまりに就活が辛過ぎて、ほとんど記憶が無いのだけど、思い出しながら体験談を書いて、ここに残そうと思います。

 

8月に初めて内定が出た女の話①

 

①私のスペック

 

 私のスペックをざっと紹介します。偏差値50くらいの高校から頑張って県外地方国立(駅弁)に入った文系。ヨーロッパが好き。大学二年生の時にヨーロッパ七か国をバックパッカーして2カ月歩いたが、英語はゴミ。サークルは辞めた。バイトは食堂で4年間。おしゃべりクソ野郎。「有機栽培みたいな人間初めて見た」って言われる。きっと馬鹿にされてる。同性の友達はわんさかいる。人と付き合ったことが無いオタク。

 

 自分で打ってて悲しくなる薄さだな。

 

 沈黙が大の苦手だったので、よくしゃべってました。海外をぶらぶらしてたからかもしれないけど、友人たちから「有機栽培はぜってい就活楽勝」と言われてました。そしてそれを鵜呑みにしました。昔から「個性的だよね」と言われてました。それを鵜呑みにしました。「自分は田舎で燻ってるのは似合わない」、「自分は価値ある人間で、みんなの中心に立つ人間だ」、「何かを変える力がある人間」だと思ってました。思い込みました。だって誰も私を否定しないから、そう勘違いしていました。それが就活を苦しめる大前提だったのだと思います。

 

 己の実力を見誤る、就活で一番起こしてはいけないものです。だから自己分析があるのだと、気づいたのが遅すぎました。

 

ガクチカについて

 

 有機栽培は北陸の大学にいたので、金沢の大きな説明会に行ったのが初めての就職活動になります。インターンは県庁に10日間ほど行ってました。3年生前半までは公務員志望だったのですが、専門分野がからっきしで後半には民間志望人間でした。

 

 大学のキャリアセンターでガクチカは添削してもらいました。その時の内容は『バイトの中でムードメーカーとしてみんなの輪を構築した』的なことを書いてました。何故海外のことを書かなかったのでしょうか、答えは明白です。勘違いされたくないから。

 

 海外に行ったのはあくまで私の趣味です。中学生の頃からお金を貯めて、全ての旅程を自分で決めて宿を予約して、大冒険したのは私の趣味です。だから自己アピールになるものだとは思いませんでした。なにより「行動力のある人材」と思われたくなかった。だってそれは私ではないのです。私は好きなことにだけ、莫大な熱量をもって努力し、無限の勇気を溢れさせれる人でした。でも苦手なことは逃げたいしやる気もない。コミュニケーションも好きではない、道なき道は開きたくない。もし、勘違いされてそんな部署に置かれては困る、そう考えたのです。

 

 だから普遍的なガクチカになってました。本当は嫌でも海外経験をアピールすべきだったのです。そうしたら、もしかしたら、と思ってしまう。同時に、嘘でも盛ってたら今頃やめてると新社会人の自分が警鐘を鳴らしています。とにかく、就活生としては愚策でした。大人が求めるエピソードを話して内定をもらえばよかった。変なプライドで「海外経験なんて趣味だし、私のアピールポイントではない」と思わなきゃよかった。

 

 

 

③就活の条件

 

 さっき言った通り、金沢のでっかい就活イベントで開幕。4月のエントリー開始の時は、マイナビリクナビの風潮に脅されたとおりに、0時にパソコン前に待機したものです。その時の私が企業に求める条件はこちら

 

・食品か印刷メーカーか防災メーカー(生活必需品ならどんなときも売れる)

・あとその業界でトップシェア(潰れない)

・寡占業界(潰れない)

・メーカーかBtoB(金の価値は無くなっても、物の価値は下がらない)

・124日の年間休暇

・18万円の基本給

・住宅補助(出来たら借り上げ寮で全額)

・全国転勤あり

・女でも差別されない

・本社は東京(西日本が怖い、できたら地元に支店)

・創業50年以上(潰れにくい実績)

・小売業、IT、銀行、保険、証券はぜっっったいに嫌(死ぬ)

・ルート営業希望(飛び込みダメ、絶対)

・総合職(1人で自分の人生における生命活動の面倒をみたかったため)

 

みたいな感じでした。今思っても欲しがりすぎててウケる。けど、このぐらいの環境が無いと生活できないのも事実だよね。

 

 

 

④4月5月の就活ダイジェスト

 

 

 

 東京本社でやっている説明会に行く交通費が無いので、サイトから応募出来る大手を受けてました。まあ落ちる落ちる!!すごい落ちる!!!SPIとかちょっと齧ったけどマジでわからない!!!解けない!!!夜行バス明けの八重洲のスタバとかで、午前の説明会開始前にウェブテスト解いてたんで、集中してもワイファイ切れて接続切れる!!辛い!!!

 

「理系男子にSPIやってもらった~~」とかいうアカウントや友人が出てくる。それに対して「頼めるコミュ力を御社は見ている」「頼れないお前がぼっち乙」みたいな反応も出てくる。でも気にしないで欲しい。そこで頼ったやつら、全員新社会人になって自己責任で仕事始めた時に、自力でSPIで得点取ったやつらとの自頭や努力の差に苦しめられて、「私ってホントバカ」ってインスタとか上げてるから。無能って思われてるだろうから。そう思うと気分がいいでしょう。

 

 話がそれた。まぁでも何個か書類が通知するものも出てきます。この時5月初め。ITやベンチャーは4月や5月で内定がではじめますが、メーカー総合職の内定がで始めるのは5月から6月です。なのでまあ、妥当かなって思いながら東京へ出ました。

 

 まあ面接で落ちる!!!!!!!素で話せと言われたので話せば落ちる!!!!!!!

 

 何社も受けたせいで殆ど覚えていないため、強烈に記憶に残った面接をご紹介。ここで紹介したもの以外のエントリーシートもわんさか書いてるし、面接も多い日で一日3回受けてた。

 

 ・北陸の印刷会社①

 やりたいことでもあるし、趣味に近い会社で絶対受かりたかったが、面接で隣の女性が海外でワーキングホリデーの経験者。少し海外のことでも言おうかと持ったが言おうかと持ったが見事にガクチカが被る。そりゃ魅力的で言語も達者な彼女が受かると決まっている。そう思っていたら他の会社の説明会でばったり会った。「行動的なところをアピールしたら落ちた」らしい。どんな人材取ったんだ御社。

 

・北陸の印刷会社②

 北陸のとある中小メーカー。思うんだけど北陸の会社って女だけ制服導入してる会社多くないですか?「制服は女性だけですか?何故導入しているのですか?」って聞いたら、人事の人が困ったように笑ってごまかされた。いや答えをくれよ。

 

・北陸の有名なメーカー

 一次面接が初めての面接だった思い出。しかも好感触で、面接中にナイショだけどって最終面接を確約される。最初にこれだったので、自分もしかして有能なんじゃないかと錯覚を起こした。最終面接は雰囲気がガラッと変わり撃沈。何回も「女に営業は誰もいない」「それでもいいのか?」って言われた。北陸の会社は大体女の営業はいないし、それを良いように思わせるために「君が弊社で初の女性営業に!」って言ってくるよね。後東京の老舗メーカー。女性の営業が定着しない現状を恥じろや。

・にほんナントカっていう食品会社

 なんか急にグループディスカッションが説明会の終わりに始まって笑った。連絡されてないのか、それとも私が話しを聞いていなかったのか。説明会終わりに突然選考試験する会社はつぶれて欲しい。それがグループディスカッションだと最悪だよね。落ちてこのやろーって思ったけど、ブラックと聞いて安心した。地方で説明会と一次選考してくれるはありがたかった。

 

・北陸のとある中小メーカー

  社長面接してたら途中から説教が始める。

 

「営業は取ると言ったが、北陸で女の営業はあくまで補助」

「行動力のある女は扱いにくい」

「女性は家庭を第一に考えるべき」

「一歩下がって男性社員を支えることを女性社員に望んでいる」

 

えっ??大卒総合職を望んでるのに??突然の性差別!!!!

 

 言葉はうろ覚えなので違ってるかもしれないけど、とにかく不快だった。こういうビジョンを持ってて、こんな風に働きたいと言ったら女はガツガツ前に出るなと言われた感じ。お前は一生ペッパーくんでも雇ってろ。ここら辺で北陸の女は主役じゃない、結婚こそが女の幸せであり役目みたいな古い考えが大嫌いになって、絶対東京に行こうと思った。幸福度が高いと北陸の人に自慢されるけど、それはそう思い込まないとやっていけないんじゃない?だって外界を知らないでしょう、と今も思っている。言わないけど。家を持ってるという安心感が、むしろ外に出れない足かせになってるのではないか。だから今ある現状を、幸せと思い込んでるでしょ。

 

 あと北陸御社たちは総じて僻地にあるから、行くのが大変。バス停から歩いて30分とかざらにある。流石車社会。あと県外出身者はどうせ地元帰るだろって視線で見てくる。なんで勝手に人生設計予測されなきゃいけないのか、紙切れ一枚でよくわかるな。 

 

 

・東京の砂糖の御社

 

 ここから東京編。ここは初めて交通費が出た会社。しかも一次面接から!素晴らしい!!しかも駅から近い!嬉しい!!そう思えたのは面接開始まででした。

 

面接官「将来結婚を考えていますか?」

私「結婚するつもりはありません。自分の力で生きるために、総合職を志望しています。全国転勤も大丈夫です。」

面接官「結婚をしない?若いうちからそのように決めつけてはいけません。結婚というのは……(以下結婚はいかに素晴らしいのかプレゼン)」

 

しらねぇ~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!

 

ワタシハ メンセツノタメニ トウキョウキタ ナゼ? オマエノ ジンセイカン キカサレナキャ ナラナイノ???????

 

 これが就活中多発した。結婚したくないというと、目の色を変えて説得してくる人事のおじさん。なんなんだ。メーカーのおじさんは過去を思い出して結婚しか楽しいことがなかったのか?結婚しないことは重罪なのか。そもそも、結婚するかどうかって集団面接で女性にしか聞かないけど、そこは性差別ではないのだろうか。

 

 そして、見事に落ちる。結婚関連で否定してきた会社全部落ちたんですが、やっぱ曖昧に笑って意見に従属してくれる柔和な女性が受かるんですかね。そういう女性は大体心の中で、人事おじさんのはらわた抉ってるし車で轢いてるからな。女として生まれた以上、少数派の意見を言ってはいけない。本心と違っても笑顔でごまかす。そういうスキルが大切なんだと学びました。絶対許さないけどな。

 

 何も決めれないゆとり世代が嫌いだって就活サイトが警告したから、ちゃんとビジョンを持って、人生についてずっと考えてこうしますって決めたのに、嫌煙されちゃうって笑っちゃうな!!男だったらよかったのかな!!!

 

そういや5月に丸山くんの主演舞台あったんですよ。行けるわけがない。

 

・とある食品会社

 社訓だがなんかが試験に出て笑った。それぐらいしか覚えてない。試験のためだけに東京に呼ぶな。交通費をくれ。

 

・他の食品会社の子会社

  説明会だと聞いてたのに最後にエントリーシートかかされた。大きなホールに説明会を受ける人が集められるんだけど、女性ばっかで驚いた。そして班ができており、そこに座らされサラダ食べて、説明受けて落ちた。帰りに武者小路実篤記念館に行けた。楽しかった。

 

  周りの子たちの大学を聞いたら関東近郊ばかりだった。大企業以外を地方民が受けるのは馬鹿げてるんだなって察した。というか、そもそも金銭的な余裕で東京で就職できない。特に今のご時世は数撃ちゃ当たる就活がトレンドだ。そんな中で説明会、学力試験、一次面接、二次面接、最終面接がある。つまり最低5回は東京に出てこないといけない。

 

 人手不足だ、人材の質が低下していると企業が嘆いている。しかし、そもそも地方の学生を呼ぼうとしないで何が人手不足なのだろか。あなた方が学生だった頃、交通費は支給されただろうに。出たくでも出れないから、優秀な人材は地方のまぁまぁな企業で燻る。なんかもう、東京への一極集中を防ぎたい政府の陰謀なんじゃないかとさえ思った。まぁ、地方から出てきても内定貰えない私がいたんですけどね。人や時代や企業のせいにもしたくはなるさ。

 ・Sから始まる運輸業

 地方であった面接は会議室とかじゃなくて、事業所内の空きスペースで行った。思わず二度見した。面接官の方が女性で、駅弁の話で意気投合し絶賛され本社面接へ。そこで考えが甘いと怒られる。いやもう叱るエネルギーも無駄なんだから無言で落として欲しい。すっごい僻地にあって、その上とても暑い日だったのでパンプスはじりじり焼ける。あと面接まで凄い待たされた。クロネコヤマト派になりました。

 

・名古屋の食品会社

 

 説明会にエントリーシート持参ってのもやめて欲しいですよね。知らないよ、説明会受けてないんだからさ!!(説明会でエントリーシート配るなって叫んでたのに矛盾)

 

 モーニング食べながら必死に手書きでびっしり自己PRを書いて、名古屋駅を全力ダッシュして説明会に行くも、見事落ちる。全力疾走したのが悪い印象を与えたんだと思う。もしこれを見ている就活生がいるならば、履歴書は志望動機以外は全部埋めた状態で10枚ぐらいストックしておくべき。印鑑も最初に押印しておかないと、最後に失敗して説明会30分前に泣くことになるゾ。

 

日本橋あたりメーカーの御社

 すごい家庭事情について質問され、めっちゃべた褒めしてくる。「いいねぇ!行動力があるねぇ!!」「君みたいな人は絶対向いてるよ!!」「欲しいなぁ!!」とフランクに個人面接で言ってくれるので、嬉しくてこっちも饒舌になる。そして落ちる。人間不信になるわ!!!!のちに家族のことを質問する会社は総じてクソと知る。

 

 ・東京タワー爆死大事件

 面接が終わった5月末の有機栽培。根拠がない自信のおかげか足取りは軽いものの、スマホの充電が無くて死んでいた。土地勘のない地方民にとって、スマホの充電は命そのもの。でもお金が無いため気軽に入れないのが悩みの種。かろうじて残った充電を駆使して調べると、東京タワーには太陽光発電によって無料で充電できるスポットがあるらしい。思えば東京タワーに行ったのは、小学校5年生の時に家族で一度だけ遊びに行ったディズニーランドの帰り以来。それなら行ってみるかと数キロ歩いてみることにした。

 

 東京タワーは赤くそびえたっているから、地図が無くても向かうことが出来る。ここ数カ月の間、スマホ片手に知らない土地の御社を探し回る生活をしていたので、小さな冒険みたいで好奇心が疼いた。気持ちは、初めて東京をこの目で見た小学5年生にすっかり戻っている。歩いてる途中でカフェを見つけて、昔ながらのホットケーキに四角いバターがちょこんと乗っているものを食べた。美味しい。まさに有頂天。

 

 スカイツリーになれた目には、どうしても見劣りしてしまうけど、東京タワーなんて捨てたもんじゃないな。スカイツリーの人工物感に比べて、東京タワーの温かみがある赤はやさしい。と、急斜面を上りながら考えていると目的地に到達した。充電スポットには外国の方が何人かいたけれど、自分の分は確保できた。真下から空を見上げて、昔見たことわざ辞典の灯台元暮らしの挿絵みたいだなって思っていた。天気は五月晴れ、気分は爽快だった。

 

電源が入ったスマートフォンはヴヴヴとバイブ音を鳴らして、私を現実に引き戻す。どうせ、いつもの公式アカウントからの通知かなっと画面を撫でる。

 

 

「厳正なる選考を重ねましたところ、今回はご期待に沿えない結果となりましたので、ご通知申し上げます。」

 

「今後一層のご活躍をお祈り申し上げます」

 

「お祈り申し上げます」「お祈り申し上げます」「お祈り申し上げます」「お祈り申し上げます」

 

 

 

 第一志望軍、入りたかった業界からのお祈りメールだった。それも5御社分。手持ちの会社が全部なくなった瞬間だった。目の前が真っ白になる。涙を堪えながら、駅まで無言でツカツカ歩いた。大切な思い出は真っ黒になった。これ以降、私は東京タワーには誘われても行かないようにしている。方違いだったとしてもこんなひどいことある?平安貴族もびっくりだよ。

 

 

⑤就活時期の一日のスケジュール

 

 なかなか過密な毎日を過ごしていたので、ご紹介。これが地方のクソ就活生だ!!

 

6:00 東京八重洲口到着

 夜行バスは4列シート。一番しんどかったのは就活の兼ね合いで、東京→北陸→東京→東北→東京→北陸 みたいな移動をし続けて、一週間夜行バスの席でしか睡眠をとれなかった時。揺れない平地で寝れることがいかに幸せか学んだ。

 東京が近づいたら顔面を揉みしだき、少しでもむくみを取る。着いたら八重洲地下街のセブン近くのトイレでスーツに着替えメイクをして、ロッカーにキャリーケースを預ける。早朝の東京は就活生がままいるが、新宿よりましだし、すいてるトイレを把握してれば快適。6月末からは就活生もいないので、確保しやすかった。

 

7:30 東京八重洲上島珈琲店にて履歴書

 モーニングががっつりしてて好き。黒糖ミルクをよく飲んでた。ここで今日提出の履歴書か、締め切りの履歴書を仕上げる。ボールペンは字が汚くてもそれっぽく見えるSARASAを愛用していた。ここで2社分ぐらい終わらせられたら優秀。あとはこれからの面接の志望動機を暗記する。

 

10:00  面接

 大体集団面接。7月になると個人面接が多い印象。大体面接官とケンカするか、人生観を押し付けられて終わる。悲しい。

 

12:30 昼

 なんてものを食べる時間は無い。大体午前の面接と説明会は延長してくる。ウィダーをかっ込んでレッドブルを飲むんだ。

 

13:00 説明会

 説明会に参加しないとエントリーシートをくれない会社がほとんどなので、参加せざるを得ない。ぶっちゃけいいことしか言わないので眠い。でも他の日に企業研究をするのは疲れるので、必死にメモを取る。大体同じ業界を受けてるので、聞きながら他の会社との差異を感じてこれ言うかとか決めたり、この自己PRがいいかなとか戦略を立てる。

 

15:00 説明会or面接

 疲労困憊だが行かねば交通費が無駄になる。少しでも手持ちが欲しいので、二本目のレッドブルを投入して説明会に走るか、心を無にして面接へ。でも疲れてるから印象が悪い。そりゃそうだ

 

17:00 カフェに入って履歴書

 履歴書は終わんない!!だって手持ちの御社が無くなったら、不安で眠れなくなってしまうから!!それならばまだ、『選考待ち』という不確定な未来に生殺しにされていた方が、心はまだ耐えられる。

 

20:00 新宿の大きな郵便局に駆け込む

 履歴書郵送系の御社あるある『当日消印有効』神話。何とか滑り込んで押してもらえればなんとかなるってやつ。都会の郵便局はのりもボールペンもハサミも貸してくれないので、コンビニで毎回買ってしまい気が付いたら文房具に囲まれてる。証明写真は常に財布にストックしておこうね。

 

21:00 酒

 飲まないとやってられない。特に帰りが4列シート夜行バスだった場合、酒で無理矢理寝ないと地獄を見る。最初は居酒屋に行ったりもしていたが、最後は歩きながら氷結ストロングのロング缶が睡眠薬代わりだった。

 

23:00 馬喰横山のゲストハウスor 夜行バス で休む

 馬喰横山は朝総武線に載って東京駅に行くときに、キャリーバックもって乗ると本当に申し訳ないごめんなさいって思うけど、便利です。就活生は3000円で泊まれた気がするので、金のない就活生は是非!!寝落ちするまで就活垢で死にたいなって呟いて就寝。夢の中で面接受けて、ドッと疲れて起きることが多々あるので気つけろ。

 

  今書いてても中々過密スケジュールで笑う。この中でパンプスで早朝熱田神宮に行ったり、閉館ぎりぎりの東京国立博物館大包平みたり、松尾芭蕉記念館とか国立西洋美術館ミケランジェロ展とかも見てました。体力おばけか。衝動で生き過ぎである。

 

 あと4年生なのに水曜日に学芸員資格会得のための授業があって、極力受けるようにしていた。先生がやさしかったので休んでもよかったのだけど、実習を後に受ける身としては受けておきたかったので。このおかげで夜行バス生活がかなりハードになったのは内緒だぞ。

 

 そして研究室の教授は就活に理解があって、私が就活を終わらせるまで卒論を全くしなかったのを許してくれた。ありがとう…。その後地獄を見たのは、また別の記事で。

 

 

 

 ふーー、長くなったのでここで一度終わります。東京タワーお祈り多発事件は私の中で屈指のトラウマとして心に残っています。次は『最悪の6月。太宰治がいなかった今頃腐葉土』であった就活病み真っ盛り編です。今週末新幹線移動をしているので、そこらへんに書き終わったらいいな。

 

 

 

 

 近況報告としては、今日車で耐えられなくて新社会人になって初めて泣きました。

 

 先輩方が私に気をつかわないように無理して頑張って、明るい新規職員を演じてました。人に質問するのが大の苦手なんだけど、新人はどんどん質問しろって言われるし、しなきゃ仕事が全く進まないんで勇気を出して質問してました。若手のチームではやりたくないけどリーダーもやっていて、新生活にギリギリの状況で食らいついていました。

 

 私は気が利きません。周りの人間の機嫌は全く察知できないし、書類箱に書類が入ってるとか気が付きません。まぁ書類箱私の背後にあって、普通に仕事してたらみれないんだけどね。人が忙しそうなのもよくわかりません。それをやんわり咎めてくる上司がいて、気を付けようと思っていました。初めての業務ばかりだから必死にやってて周りが見えなくて、来客者に気づかないのも私の悪いところです。

 

 そんな私が目障りで、煩わしいんでしょうね。春に比べて、話しかけられる機会が減ったので「あっこの上司、私を見限ったな」って気づきました。私はおしゃべりで、鈍感なところはありますが、自分に向けられた悪意には人一倍敏感です。嫌われたな、おっそうか。胃が痛くなりました。朝ご飯を口に含むと吐きそうになったので食べませんでした。

 

 今日、この部署に前にいた人が来ていました。人気者な人なので、昔話に部署の人たちが花を咲かせていました。残業を1時間したし帰っていいだろうと思って、挨拶して帰りました。でも忘れ物をしてしまった。

 

 急いで戻って、荷物を取って出ていきました。その時確かに「よくもわるくもマイペース」って聞こえました。例の上司が、前の人に話していました。前の人の業務のほとんどは私が引き継いでいます。職場で帰ってのは私だけ。つまり私に対しての評価なんだなって、直ぐに理解できました。

 

『マイペース』。あなたはどんな時にこの言葉を使いますか?良くも悪くもマイペース。大人がその言葉を使う時、それは侮蔑的な意味で使われます。自己中心的で、気配りができない人間に使われます。これ打っててまた涙出てきた。2カ月で、そう思われてたんでしょうね。私の努力は全て空回りだったんでしょうね。

 

 明日からどうやって仕事をすればいいんだろう。どうやって職場の席に座ればいいんだろう。もう会話なんてできません。いるだけで煩わしいと思わせてしまうなら、いない方が良いのではないでしょうか。でも地方公務員で生きていけなかったら、民間なんて絶対無理だって分かってるので、どうしようもできない。ニートなんてもってのほか、だって失業保険がでない。

 

 今日初めて泣いて、自分がどれだけ追い詰められていたかようやくわかりました。思えば就活期の6月もこんな感じだった。面接のトラウマなのか、自分に否定的な言葉を聞くとどうしようもなく死にたくなります。社会に馴染めない瞬間に出くわすと、もっと早く前に死ねばよかったと後悔してしまう。でも死ぬ勇気はない。親に申し訳ない。

 

 ここであと40年も勤めるのかと思うと気が遠くなってきた。あぁ明日が来たら、発言の本人に挨拶しないといけない。明るいのが目障りというならば、明日から寡黙キャラで元気も覇気も無いようにすれば満足していただけるのかな。大人しくて、ニコニコうんうん従属的な後輩を想定してたのか。すまんな。どうやったら許していただけるのでしょうか。

 

 生き地獄生き地獄。30前には死にたい。そんな話をこの前友人としてて、そういえば私の周りは安楽死制度を迎合するやつらしかいないなって思いました。ファミレスで死にたいとかって普通言わないらしいよ。

 

 しにたがりが死ぬまでこうご期待。全てが誤解で、私の思い込みであったらいいのに。就活の記事書き終わるまでは仕事してるかなぁ。でも夏の関ジャニのライブは行きたいなぁ。

 

 居心地の悪い天国より、居心地のいい地獄を望む私にとって、いまの職場は生殺し。お疲れ様でした、お先失礼します。