夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

8月に初めて内定が出た女の話③

 

 

お疲れ様です。有機栽培です。

 

私が住んでいる土地にも、本格的に梅雨がやってきました。日曜日に野球を見に行く予定なんですが、これは中止かなぁ。そういえば就活生の頃、最終面接終わりに近くにあったGUで服を一式買い込み、隣の県の駅で友人と合流して中日VSヤクルトの試合を見に行きました。今思えばすごい元気。面接には落ちましたが、京田選手のタオルは今も家にあります。確か、5月ごろの出来事です。

 

梅雨が明けると夏が来ます。夏が来て、灼熱の太陽の光を真っ黒なリクルートスーツが吸い込みます。駅のトイレで着替えるときにパンプス模様の日焼けが出来て、ようやく夏を実感します。夜行バスには平日なのにディズニーランドに行く学生で溢れるので、世間は夏休みだと知ります。そして台風がやってきて、面接終わりに乗ろうと思っていた夜行バスが運休します。世界から就活生が消える代わりに、駅で内定者懇談会終わりのスーツ集団とすれ違います。

 

私の夏は東京駅八重洲口中央に詰まってますし、就活に関わること以外に、季節を感じることはありませんでした。

 

これは8月に初めて内定が出た女の話です。博物館実習に行って、最終面接を受けて、そして公務員に合格し、それを選んだ1人の人間の葛藤の記録です。こんなやつでも、就職活動が終わるんだなって優しい目で見ていただけたら幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

※相変わらず記憶が朧気なので、時系列や日程や内容はあやふやです。

※あやふやすぎるので、フィクション感覚で捉えてください

※あくまで、私の場合の話です。

 

 

※下の記事の続きとなります

muriyada444.hatenablog.com

 

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 ①7月からの就活

 

住んでる場所も、地元も曇天が続いていましたが、東京は7月になると夏が来ることを知りました。私は相変わらず、就職活動を続けていました。履歴書を書いて、説明会に参加して、面接を受けて、ゲストハウスに泊まって、早朝駅のロッカーに荷物を預けて、また説明会に行きます。

 

この時期になると履歴書を送りたいと思える会社はほとんど無くなります。当たり前です。だってみんなが行きたいところは、すでに優秀な人たちが内定の席に座ているのだから。あるのは、彼らが見向きもしなかった企業か、彼らがいらないと蹴った企業です。食べカスに集まる蟻のように、必死でおこぼれに縋りつきました。

 

防災メーカーや、ダンボール製造会社の営業とか見ていました。両方ともこの世からは消えませんし、幅広い企業と接点を持てると思ったからです。保守的な製造業界の中で、多くの会社とつながりのある企業だったら、外からの空気が入りやすく、私でも馴染めるのではないかと考えたからです。

 

地方での採用は、ほとんど残っていません。夏の間に一度だけ、田舎のガスメーターの製造会社の面接を受けに行きました。不便な場所にあったため、2時間に1本しかないバスに揺られてたどり着いたものの、あまりに早く着きすぎてしまって、近くにあった海を呆然と眺めてたことを覚えています。その日は珍しく青空で、日本海は荒れていませんでした。カルピスのボトルアイスを飲みながら、やけにすっきりしている青空に腹を立てながら波の音を聞きました。私の心は曇天なのに、青空の空は眩しくて、バカにされているように感じたからです。

 

説明会は私1人で、地方の就活の速さに驚きました。何度も聞いた「この会社には女性の営業は一人もいない。是非、第一人者として働いてほしい」というお決まりの文句を、少し偉いおじさんがおだてるように発します。こんなときは大体落ちるので、愛想笑いを浮かべておきます。「内定は無いんですか」と聞かれます。正直に答えます。終わったなと思ったので、愛想笑いを浮かべます。

 

 

「内定はどうですか?皆さんもう何社か持ってたりするんじゃないです~?」

 

 

夏の時期、面接前の枕詞は大体これです。持ってないからここに就活生がいるという想像力を、企業に勤めていて面接に駆り出された管理職のおじさんは持っていません。隣の子が「数社内定をもらっていますが、自分の選択肢を増やしたくて…」とハニカミながら答えます。その自信に歯ぎしりをします。私はここしか選択肢がありません。「研究が忙しくて」「部活動で大会があって、最近就職を始めました」と隣の男の子が話し始めます。おかしいな、私は3月からしていたのに内定がありません。

 

 

「ではあなたはどうですか?」

 

 

想像力の無さは、時に残酷です。その言葉に一寸たりとも悪意が混じっていないとしても、私を殺すには十分な鋭利さをもって、心臓をくり抜きます。死人が面接を受けて、受かるはずがありません。自分に自信が無い人間だったけど、何とかここまで生きてきました。それでも「内定」という2文字で世間は2分割され、持たざる者は見えない存在になります。自身も生気もない人間を、欲しいと思ってくれる企業なんて、ありません。

 

 

 

 

 

田舎の御社の面接帰りに、駅まで人事の方が車で駅まで送ってくれました。そして身の上話をしてくれました。

 

「僕は就職活動を舐めていて、バイトをしていたファストフードの飲食店で正社員になった。そこで頑張ったけど、日本の景気が悪くなって、将来が不安になって辞めた。ここは転職で入ったんだ。今の時期まで就職活動をしてて、本当に偉いと思う。だからね、本当に秋まで内定が無かったら連絡を頂戴。そうしたら拾ってあげるから。だから安心して就職活動を続けてね」

 

就活は厳しくて辛くてしんどくて、他人と己を比較して、周囲が全て敵に思えます。孤独との戦いです。でも、たまに、人のやさしさに触れることもあります。もう少しだけ、頑張ることにしました。人の痛みが分かる人間に、なろうと思いました。

 

 

この時期に、大学の友人から連絡がありました。

 

「9月6日の関ジャニの東京ドーム公演当たったから行かん?行ったことないっしょ?」

 

自分の中で明確な目標が生まれました。9月6日までに就職活動を終わらせること。終わらせた状態で、自担丸山隆平さんと初めて向き合うこと。

 

リミットまで、あと少しです。

 

 

 ②灼熱の所沢

 

 東京で就職していて嫌なことは、看板が多くあることです。電車に乗っていると、窓から覗く風景には、たくさんの企業の名前が大量に流れていきます。スマホの充電節約のために、ボーと眺めているのですが、たまに書類で落ちた会社の名前を見かけます。街を歩いていると、突然書類で落ちた本社のビルがあったりします。そこから就活生らしき人が出てくると、もうだめです。あったはずの未来が目の前に会って、苦痛で足早に過ぎ去りました。

 

 履歴書を送って、通過した企業がありました。学力試験を行うので、本社まで来て欲しいとのこと。東京の企業は、学力試験のためにしょっちゅう学生を呼びます。都内の学生ならば1000円以内で受けに行けますから、さほどダメージはありません。しかし、私の住んでいる地は北陸です。そこに行くまでに、桁に0が一つ増えます。疲労もたまります。

 

履歴書が通過してるならばなおさらです。私、住所書いたよな?北陸って書いたよな?えっ場所をご存知ではない?それなのに、学力試験のためだけに来いと?それはつまり、お祈りをする手間も面倒くさいから、勝手に辞退してくれとのことか?あぁん?なら本気度ってのを見せてやろうじゃねぇか!!というマインドが発揮されて、結果的に行くのですが。交通費は、支給されません。「遠いですねー」の一言のねぎらいで、終了です。

 

まぁ都内だったら行けるだろうとグーグルマップを見ると所沢とあります。まぁ埼玉県だからすぐにつくだろうと思ってました。早朝に池袋駅にて、満員電車とは逆方向の車両に乗り込みます。電車に揺られます、揺られて、中々つきません。

 

埼玉って本当に遠いのだとびっくりしました。そして、その場所は駅から2km離れていました。さらに、その日は所沢が日本で1番暑かった日なのです。まだ午前中だったので、ヘトヘトになりながらも本社に着きました。参加したのは、私ともう一人の女の子。説明を受けて、試験を受けて帰ります。数時間のために、私はここまで来たのかと思うと、少し悲しくなりました。

 

試練はここからでした。丁度お昼の時間で、太陽は頭上にありました。灼熱の地獄です。ファンデーションを溶かし、靴擦れを抱えながら2kmの道のりを歩きます。パンツスーツを愛用していたのですが、上着を脱ぐと格好悪くなるので極力脱がないようにしていたした。でも、流石に暑すぎて脱ぎました。空気が歪み、パンプスからはゴムの匂いが立ち上ります。気温は40度近いため、道には誰もいません。重い就活カバンを投げ捨てたくなりました。裸足になって歩いて、火傷にでもなってやろうかと。

 

命からがら駅に着くと、そこから30分以上も電車を待たねばなりませんでした。足元の影の小ささは、今も覚えています。目の前を、夏休みに入った高校生が楽しそうにしています。部活終わりの子供たちが、輪になって話しています。このホームで悩んで辛いのは私だけ。

 

惨めな、昼下がりでした。

 

 

 

この時期は辛くて、就活垢で知り合った友人達と、知らない都会でご飯を食べて帰ってました。就活垢に救われて、何とか人と話す機会を絶やさずに済みました。

 

③公務員一次試験

 

そんな中で、公務員の一次試験がありました。といっても公務員講座の勉強は挫折して、3年生の秋には辞めています。6月ごろにあった県の試験は、専門分野が全く分からなくて白紙で提出して足早に帰りました。

 

もう公務員になる気もなかったのですが、親も焦っていたのか「一次試験だけでも市町村を受けてくれ」と願われ、地元に帰りました。なんとなく何年分か過去問を解いて、ふらふらと試験を受けて帰りました。国立大にまでにはいって、市町村を受けてる自分が嫌でたまりませんでした。今まで見下してきた、中学でも高校でも努力をしてこなかった人間でも入れるようなところに、今の私は縋っている。それがどうしようもなく恥ずかしくて、悔しくて、すぐに試験のことは忘れてしまいました。

 

ほとんど勉強をしてなかったので、油断してました。その数週間後、役所から電話がかかってきました。「一次試験の合格通知を書留で送ったのだが、受け取った通知がない」と。その時私は、次で書きますが博物館実習のために地元に1週間ほど帰省しており、下宿にいませんでした。

 

話を聞くと3日後に2次試験で使用する作文と、履歴書と書類の提出が必要だと知りました。すぐに下宿の方の郵便局に電話して転送手続きをし、役所で作文と履歴書の様式を貰い、実習後の夜に一気に書きました。住んでた土地ですが、まったく詳しくなくて、公式サイトとにらめっこしながら書きました。そして、締め切り日に親に役場まで提出に行ってもらうという失態を起こしながら、とりあえず一つコマを進めました。

 

あとは親に薦められて受けた東京にある社団法人の最終面接に落ちました。おじさん7人対私。何故かお酒の話をされ、盛り上がったのですが落ちました。お酒の話で盛り上がると高確率で落ちるのは何ですかね。時間調整に使われてるんでしょうか。でも、最終まで行きました。すこしだけ、「あれ?公務員系に強いんじゃないか?」と思えました。

 

8月初めに、私の大学がある土地では大きな花火大会があります。テストとか海外旅行とかと被って、今まで一度も見たことがありませんでした。そんな時に、あまり話さない大学の教授が、気を利かせて花火に誘ってくれました。ゼミの子も呼んだ、研究室の窓からは花火が良く見えるから、隣の部屋の教授も来るよ、息抜きにどうですか。

 

直前に面接が決まって、行くのは辞めました。行ったら、数社受けて内定を決めた友人たちを見て劣等感で死にたくなってたかもしれません。でも、孤独だと思っていた自分を誰かが覚えていてくれたという事実は、私の中で今も嬉しかった思い出です。

 

 

 

④博物館実習

 

親からの命で「大学に入ったからには、1つ資格を取ってくれ」と言われていたので、学芸員の資格をとることになっていました。気安く教員の資格を取れという親に対して「教員の単位は卒業単位に含まれない」「一年次から授業を取らなければ教員にはなれない」「社会科教諭は飽和している」と丁寧に説明し、行き着いた場所は学芸員でした。

 

昔から博物館が好きだったので、授業はとても楽しかったです。なれるものならなりたかったですが、私の専門は西洋史。日本に、西洋史を専門にした美術館や博物館はほとんどありません。あったとしても、西洋美術です。いや私の専門19世紀オーストリア

 

そういえば、就職の時期にこの事で酷く苦労をしました。「学校の先生にならないの?」「学芸員にはならないの?」と面接官達は、私の専攻をみて安易に質問します。そんな彼らは、今の教員と学芸員の就職について、どれだけ正しい知識を持っているのでしょうか。話しても話しても、私は勝手に『夢に敗れた』学生として、努力しない人間と扱われてました。頼むから、脳のアップデートをして欲しかったです。

(私は教育系の学生ではありません。史学系でした。)

 

私の大学は優しくないので、博物館実習の斡旋はありませんでした。博物館実習を実施してる博物館には、ほとんどの場合応募条件があります。それは『今通ってる学校がある土地』、または『地元が博物館のある土地で、通うことが可能である』ということです。そして、基本的に地元の大学と博物館は提携してとり、その隙間に入るのは非常に難しいのです。

 

博物館実習の募集は4月頃に行われます。当時勉強はしていなかったのですが、公務員試験を一応受けようと思っていた私は酷く困りました。大学のある土地の博物館が、軒並み公務員の試験予定日と被っているのです。

 

そのため学芸員になるのを諦めた友人が、私の周りには沢山います。でも私は、この4年間で博物館が大好きになったので、受けたいと思いました。そうなると、選択肢は地元県内の博物館です。コネのない者の闘いが、始まりました。

 

基本的に博物館実習の要項はほとんど公開されていません。あっても数年前のものです。そこに電話をします。そして、何とか入れてもらうことになるのです。

 

私の大学は優しくないので、文科省が5日か6日で良いと言っているのに、60時間行かないと資格は出さないと言われました。つまり、9時から5時だと一日7時間。9日間行かねばなりません。8日間の実習を行ってる博物館はほとんどないため、ただでさえ大変だというのに、2館分の実習のアポを取らねばなりません。しかも、日程が被らないように。

 

必死にネットで情報を集め、事情を説明し、提携校以外なのに博物館側のご厚意で受けることが出来ました。日程まで配慮していただいて、本当にありがたかったです。実習は楽しいものでした。自分の好きなものにずっと触れられる時間というものは、本当に幸せでした。刀剣乱舞審神者よろしく、名だたる武将の刀の手入れもしました。マジの書状に触れて、専門の機械で写真を撮りました。子供たちに、何故かフェリペ2世クイズを出しました。みんなが文化財が好きで、何を質問してもすぐ答えてくれる。知識がどんどん深まる。夢のような時間でした。でも私の大学だけ日誌に書く文量が異常に多かったのは許さないからな、教務。

 

地元の県は基本3年生が実習を受けているらしく、たまたまいた県外の大学に通う4年生の男の子と仲良くなり、話しました。彼は国家公務員を目指しているらしく、バックには特許庁のパンフレットが入っていました。そこでちょっと悲しくなったのは内緒です。この空間で、来年の居場所があやふやなのは私だけでした。

 

 就活と公務員試験と並行して行ったため、忙しさは断トツな時期でしたが、楽しかったです。良い息抜きになりました。小さい博物館や私立の博物館、募集要項を出していない博物館でも、実習を行っている場合があります。諦めずに電話してみてください。実習の後、私は博物館という場所がさらに好きになりましたし、展示から学芸員の皆様の工夫やメッセージを少しですが感じ取ることができるようになりました。4年間真面目に単位を取ったのならば、就活を理由に諦めないでください。そして、みんな博物館に行こうね。

 

 

⑤約束の地、静岡 

ここの話はこの記事に詳しいので、詳細に知りたい人はこちらを読んでみてください。

 

muriyada444.hatenablog.com

 

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書いたときはまだ就活中だったので、異常なハイテンションが痛々しいですが。とにかく、こちらはダイジェスト版でお送りします。

 

名古屋である会社の面接を受けた時に、趣味の欄の話になりました。「どこか行きたい県はありますか?」という面接官の質問に対し、「静岡県です。行く機会がなかなかなく、どうやら階段の多い東照宮があるらしいので、行ってみたいのです」と答えました。そうすると、たまたま面接官の偉い人が静岡出身だったらしく意気投合。最終面接を、会社負担て静岡で受けれることになりました。

 

まあびっくりです。「工場を見て、こんな所で働くんだなーって思ってくれたらいいから!」と。トントン拍子で話が進むのは、久しぶりでした。確か帰りに嬉しくなって矢場とん味噌カツ定食を奮発して食べたぐらいの気分の高揚ぶりです。

 

しかし油断してはいけません。今まで、「意思確認だから」と落としてきた企業を、私はいくつも知っています。でも嬉しかった。気がついたら静岡のことをたくさん調べて、宿をとってました。ここ数ヶ月、大好きな旅行すら出来ていなかったのです。少し、楽しみが増えました。

 

東京でとある防災メーカーの面接を行い、馬喰横山に一泊してから静岡に向かうことにしました。この防災メーカーの面接も、なかなか好感触でした。私は博物館実習を得て、文化財保護に携わりたかったので、防災メーカーの商品は私の興味と合致しました。地震を数多く経験してきたからかもしれません。

 

営業部長と、人事部の女性と2対1での面接でした。この時期になると、面接もやけくそなのか、志望動機のみを覚えて、あとはその場で対応していました。自己アピールも、たかが旅行のことですが海外放浪時の話をするようになりました。言うならば、ほぼ素です。吹っ切れていました。

 

そんな面接の後、新宿バスタから早朝の高速バスに乗ります。静岡に行きたいと言いながら、車窓から茶畑が見えて、初めて静岡はお茶が有名だと思い出しました。脳が、衰えているのを感じました。世界に、社会に爪弾きにされている期間が長かったせいか、それらに対しての興味が一切薄れていました。生きる屍でした。

 

 静岡について、最初に気づいたことは就活用のカバンをバスに置き忘れたことでした。たまたま財布とスマホは持って降りていたので、バス会社に連絡して取りに行くことに。でもお昼だったので、有名なハンバーグレストラン『さわやか』に行ってから行こうと思いました。

 

行くとなんと開店前なのに長蛇の列。1時間待ちだったので整理券を貰い、近くの本屋で時間を潰すことにしました。そのとき、『03』から始まる番号から、電話が来ました。東京都と表示されています。昨日受けた会社の面接突破の連絡かと、胸を躍らせて電話に出ました。

 

 

 

 

 

有機栽培さんには、是非春から弊社で働いてほしい」

 

 

 

最終面接を受けていないと話すと、面接のときにいたお偉いさんが私を大層気に入り、最終面接なしで内定をくれると言ったらしいのです。憧れていた、東京本社の会社でした。老舗で、文化財保護にも携われる会社です。

 

 

 

あっけなく、内定が出ました。

 

 

 

 

とりあえず返事をしてたら、丁度お店に呼ばれました。席に座って、ハンバーグを頼み、昼からプレミアムモルツを飲みました。突然のことで事態がよくわかりません。とりあえずかばんは取りにいかなければならない。ハンバーグは美味しい。外は夏で暑い。就活に、一区切りがついた。春から何十社も受けて、出なかった内定が出た。それだけが事実でした。

 

 カバンを取りに行って、三保の松原を見て、静岡市内でおでんを食べて寝ました。次の日に、最終面接を受けて、焼津を観光しました。酒を飲んで倒れて、二日酔いのまま久能山東照宮に登って、砂浜で酒を飲みながら海を眺めました。

 

初めて静岡で就職活動の結果が出ました。確か就活垢で報告したところ、見たことないいいね数と祝福のリプが来て、びっくりしたことを覚えています。それほどまで、みんなに心配をかけていたことが分かりました。そして、一週間ぶりに家に帰って数日後、静岡で受けた会社の内定が出ました。もうわかりません。突然、内定が2つになりました。

 

話しは、まだ終わりません。私にはもう一枚、手持ちのカードがありました。それは、東京の東証一部上場までしていた大手印刷会社でした。大学のある場所に支店があり、人事役の人が同じ大学出身の人で意気投合し、本社に呼ばれていました。そこは人材と印刷をしていたのですが、私は印刷志望だったのでかなりの狭き門だと覚悟していました。そして一日で筆記と面接を2回、最終まで行うというハードな試験でした。

 

私の就活の原点は、暮らしの必需品に関わるということでした。そして、創作物は私の暮らしの中心でした。内定も出て自棄だったので、素のまま話して帰りました。一緒に受けた方女性が同郷だったので、駅まで地元に話をして帰ったことを覚えています。東京の、海が見える大きなビルをワンフロア。ドラマみたいな場所でした。

 

 

 

そして内定が出ました。もうよく、分かりません。

 

 

 

あんなに難しくて、しんどくて、つらくて、死にたかった就活が、急にうまくいったのです。一度出た内定の恐ろしさを知りました。自己肯定感こそ、面接で最強の武器になります。内定が出たという人間の自信は、その人の輝きをもっともっと増してくれます。それを実感した二週間でした。

 

そして、人生の呆気なさを知った二週間でもありました。この感覚のために、私は命をすり減らしてまで頑張ったのかと。大人に気に入られる、その一点のみで就職活動は終わります。目に見えない感情で、私たちの人生は左右されてしまうんです。それがどうしようもなく許せなくて、就活生という弱者は救われないんだと。「一緒に働きたい」、「組織にとって有益な人材か」、「好きか、嫌いか」。この3つの思惑で、私たちは振り回されて、自殺していくのだと知りました。これが、就職活動の本質です。

 

嬉しかったのは確かです。親に連絡したら、すごい喜んでくれました。私も嬉しかった。でも呆気なさすぎて、現実に頭が着いていかないのです。

 

終わったことは確かだが、本当にそれでいいのか。これで、終わらせて良いのかという不安が過ぎりました。そして新社会人というものが、一気に現実を帯びてきます。私が選べる選択肢が、具体的に目の前に現れました。どれを選んでも、過去に戻ることはできません。最善最良の未来を選ばないと、一生後悔することになります。将来への責任が、ぐっとのしかかってきました。

 

残すは、地元市町村の最終面接です。そして、私は大きな壁に直面します。どの内定を選べばよいのか、どれが自分にとって一番幸せに近いのか。次回は、公務員試験と内定先絞り、そして就職活動の終わりです。よろしくお願いします。

 

ついでに野球は見事に雨天中止でした。笑えない。

 

 

 

あと今見たら、防災メーカーまだ募集してました。印刷も、私は夏に受けたんでまだ募集してるかもしれません。皆さん探してみてください。

 

 

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勝利のさわやかハンバーグ


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そしてストロングゼロを飲みながら眺めた、静岡の海です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから私の近況です。就活の話は上で終わりなので、以下は愚痴と吐露。

 

 

先日野球が中止になったので、高校時代の同級生と昼から飲んでいました。仕事の話になって、飲んで、吐いて、記憶をなくして、雨の中倒れて、親に迎えに来てもらって昏睡状態で寝て、起きて、仕事に行きました。

 

自治体の偉い人と面談する機会がありました。「仕事量が多いのですがどうすればいいのでしょうか?」と聞くと、「今年は沢山人を取ったんだが、その分辞めてしまった。定員には50人ほど足りていないが、一年間若さと元気で頑張って欲しい」と言われました。

 

直属の上司は「仕事が何も終わらない」と嘆きます。行きたくない飲み会で課長に「怒られないのは一年目だから」と釘を刺されました。ある新入職員が強制参加のプロジェクトがあるのですが、その元締めが後ろの席の人で、その仕事に対する新人への不満を話しているのが嫌でも耳に入ってきます。夏祭りのボランティアは強制ですが、女性だけ盆踊りも強制です。

 

職場の飲み会で新人は全員ならばされ、恋人の有無や好きなタイプを聞かれます。

 

付箋の向きで怒られました。マニュアルも無いのに、見て覚えろと言われます。挨拶しても、中年男性は返事をしません。真面目な人ほど、仕事に潰されます。フロアに同期がいないため、職場で私だけが戦力外です。残業代は支給されません。昨日補佐が課長に「これから残業代は実績が無いと払わない、その審査は俺がする」と言ってたから、そうなんだと思います。一度も申請したことはありませんが。

 

先日10時近くまで仕事が終わらないで残っていました。いろんな部署の人たちが残っていました。全てのフロアに電気がついています。これが自分の未来かと思うと、怖くて怖くて、帰りの車内で運転中に涙が止まらなくなってしまいました。安月給で、これか。

 

入庁して一週間。職場で首を吊る夢をいっました。そこから、ほぼ毎日仕事の夢をみてしまい、寝た気分になりません。7月になったら食欲が失せてしまって、朝は何を食べても吐くのでグミ一つで過ごし、昼はうどんかそばしか喉に通らず、夜はまた何も食べない日が多いです。病気で倒れて、仕事が休めたら本望です。

 

仕事の夢を見て、疲れた体をなんとか起こします。毎日職場の服のままで寝落ちしているので、シャワーを浴びます。仕事行きたくないと呟きます。車を運転しながら、そこら辺の森に突っ込んで死のうかな思います。職場を過ぎて、遠くに行こうかなと思います。朝早く職場に着いて、机を拭くなど雑務を終えます。そこから席に座ってると話題を振られたくないのでトイレに籠ります。始業5分前にトイレから出ます。

 

区長さんと議員さんに頭を下げます。何故50を過ぎると人間は横暴になるんですかね。ふんぞり返って、自分が偉いと思うんですかね。そしてクレームおじさんの怒鳴り声を聞きます。標的にされないことを祈ります。

 

仕事をね、辞めたいです。

 

今週は明日休日出勤があるので休みが今日しかありません。ウケる。

 

親の「市町村は仕事が楽、定時で帰れる」という言葉を鵜呑みにしたのが馬鹿だった。2年目の人は2時まで残ってるそうです。役所に入って、定時で帰って、安月給だけど趣味に生きようと思っていた私は大バカ者でした。

 

閉鎖的な思想と人間。現状を誰も変えようとしない人々。蔓延する噂話。結婚こそ幸せと信仰する風潮。もう限界です。

 

なにも考えずに仕事をしてれば、こんなに悩むことはないと思います。我慢すればいい、そう思います。でも、何故かダメなのです。中学のいじめっ子だった人が高卒で入っていたという事実も、働きたくない要因の一つです。

 

こんな小さな社会で、安月給を貰って、趣味すら出来ずにのうのうと精神を病んで死ぬのかと思うと、私が今まで精一杯己の可能性を信じて生きてきた22年間に申し訳なくなります。

 

だからね、辞めようと思います。あんなに嫌だった就活をもう一度やろうと思います。休職すると再就職しづらいだろうから、死なない程度に。まだこの部署にいるうちに、やれることはやっていきたい。

 

目標は県庁職員。面接は厳しいらしいんですが、毎日新聞読めばどうにかなるかな。あとは友人が務めてて、おすすめされた警察事務。田舎なので、女性が差別されず給与もそこそこよく、安定してるとなるとここら辺になります。

 

来年中には辞めて、自由になりたい。そこだけはこの先、この職場に好感を持てたとしても変えないようにしたい。とんでもない時代に入庁してしまった。

 

ああ、東京の会社で働いていたらこんなに悩むことは無かったのかと思うと、死にたくてたまらない。ブログを書いてて、あんなに選択肢があった自分が羨ましい。なんで公務員を選んでしまったのでしょうか。田舎の役所は地獄です。そして日本は、人生をやり直そうとする人に厳しい。スキルを持ってない人間に厳しい。悲しい。

 

おすすめの資格とかあったら教えてください。仕事しながら勉強するのは大変だけど、でもそうするしか手っ取り早く辞める方法が無いんだ。

 

私は良い成績で入ったらしいです。いや、優秀な人間はこんなところ受けないわ。県庁の方が残業が多くても構わない。一度もここから出たことないのに、この土地を楽園と盲目的に信じて、勇気をもって飛び出た人を馬鹿にする。そんな人たちが大嫌いなんだ。外の世界を知っている人たちと仕事したい。それだけなんだ。

 

というわけで、有機栽培、転職します。

 

どうせ地獄で首を吊るのなら、私は少しでも居心地のいい地獄で首を吊ります。