夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

先日はどうも

びっくりしてます、有機栽培です。

前の記事の反響が大きすぎてびっくりしています。人生早々無い体験、ありがとうございました。はてなブログのトップページにも載っていたみたいで、フォロワーさんに教えてもらいました。山羊座の星座ランキング一位だったんですかね。

 

ちょっと反応よかったからって、こうやって追記とか裏話みたいなの書くやつは大体嫌われるって知ってるんですけど、人生でそうそうないのでやらせてください。いいかい?いいね。

 

件の記事、確か新幹線に乗っているという書き出しから始まってましたが、あれは実際に乗っていました。新幹線と1時間の公共交通機関待ち、そして夜の数時間を経て翌日職場での昼休みで投稿の流れです。読み返してないんで誤字がとんでもなくあると思います。あと添削もないので非常に長い。見たら12505文字ぐらい。倍量書けば卒業論文だよ。ついでに新幹線乗車中に、赤坂見附の某キャリセンに行った辺りの3000字が不手際で消えてしまって、一度自棄になってます。それがなかったらもっと長い文章になっていたかと思うとゾっとします。

 

よく短時間で一万字も書いたって我ながら思いますが、もともとこのブログは昨年の6月に就職活動で挫折し続けた結果、絶対記録に残してやろうと立ち上げたものでした。といいながら、親友に彼氏が出来たり、恋愛なんてできないわって話など、本来の目的とかけ離れた使い方しかしていませんでしたが。ようやく、前回と今回で本来の姿に戻ることが出来ました。

 

コメントで「よく一年前のことを覚えていますね」と貰うんですが、基本覚えていません。嫌なことは十枚ぐらい蓋をかぶせて包んで無かったことにするタイプなので、常日頃就活のことを思い出しては鬱屈としているわけではありません。また、有機栽培のアカウントは何回かツイ消しをしているので、自分の就職活動期の参考文献が無くてかなり苦労しました。残しておけばよかったと、本気で後悔。

 

その代わりに頼ったのは、写真と音楽でした。当時東京は私にとって近未来的な異国だったので、一人で入った居酒屋や高いビルの写真が色々撮ってありました。音楽は就活期によく聞いていたものです。

 

king&princeの推し最強パートである、シンデレラガールの「AM0時の鐘を聴くころに キミはどんな夢みてる? もしもボクに魔法が使えたなら 夜空越えて会いに行けるのに・・・・・・」という部分は、夜行バス就寝のテーマ曲として、就活後数カ月間封印されたぐらい聞きました。遠距離恋愛してる気分になれるでしょ!岸くんと!!(ジャニオタ)

 

あと関ジャニ∞の象のすばるくんのパート「産まれてくれてありがとう 独りきりじゃないよ」は最強の自己肯定感ソングとして、死にたくなったら聞いてました。同じような理由でV6のジャスミンのサビ「問題はやがてクールに いつかハッピーに咲き誇るよ 咲かない種などは無いから 快晴が続くほどに 少し不安で眠れないけど 涙もそっと しおれそうな心に」もよく聞いてました。推しグループに救われてました。

 

それとこのブログのタイトルの由来になっている、神聖かまってちゃんの「フロントメモリー」もずっと聞いてました。私が大泉洋が大好きだと知っていた友人2人が『恋は雨上がりのように』を見に行こうと誘ってくれました。内定はもちろんありません。何とか日程が合わせられたのは夜の回。終わった瞬間路面電車に飛び乗って、下宿に帰ってすぐに夜行バスに乗らないと明日の面接には間に合いません。映画の感想すら言い合えない、でも話したら劣等感で死にたくなる。そんな時期でした。

 

映画の内容は最高でした。エンドロールが流れるも、私はこれが終わったらすぐに立たねばならない。直前まで何故この時期に誘ったんだ、何故私は己を苦しめるだけなのに映画に来てしまったのだろう、履歴書が1枚書けるというのに。そう思っていた自分に蹴りを入れたくなりました。人の心からの善意を、卑屈に受け取ってしまうのは、本当に余裕が無い証拠です。こんな自分に、良心をはたらかせてくれる存在のありがたさが沁みました。非常灯に明かりがついて、客席がまばらになっていきます。立ち上がって友人たちの手をがっしり掴んで、感謝の言葉を述べました。

 

「生きててよかったわ、最高の大泉洋をありがとう」

 

握手を交わして、きょとんとしてる友人たちを置き去りに映画館を飛び出た。ロスした分思いっきり走って路面電車に乗り込んで。私は作中の小松奈々ではないので、足取りだって重いですし軽快さの欠片もありません。でもいいかな、大学行ってよかったな、どん底でも、明日の面接も上手くいかなくても、遠い土地でたった一人で4年間生きて来たけど。就活中、唯一大学の友人と会ったエピソードです。

 

よく質問が来るのですが、内定が無い友人を息抜きさせたいと思ってる人は、映画かカラオケをおすすめします。理由は会話をしなくていいし、話題も制限されるからです。互いの近況についてほとんど触れることもないし、他人の話もしないので、就活生の子を焦らせたり悲しませたりしないと思います。長話は厳禁です。

 

凄い余談でした。とにかく、それらを聞きながら、あーこうだったなぁ、そういえばこんな辛いこともあったなぁ、こういう時系列だったなぁとブツブツ思い出していました。記事にするために省いてますが、あれ以上に面接もあったし、色々泣きたいこともあったなぁとぼんやり思い出しました。しかし残念、マイナビリクナビも就活終わった日に消したのでこれ以上記憶を呼び起こすものはありません。

 

ただ、負の感情を久しぶりにどっと背負ったのがまずかったのか、見事に高熱を出しまして、昨日は初めて有給を使って寝込んでいました。そりゃ数カ月も死にそうになっていた最悪な出来事を急に思い出したらこうなるか。しかも疲労困憊の状態で無心で書いてたらなおさらです。あと東京で雨なのに傘を差さなかったのも原因かもしれない。後者が8割ですね。メンヘラぶっちゃいけませんね、原因はバカ丸だしの自分です。

 

夕方には熱も下がったので、めっちゃエゴサしていました。己の器の小さいところです。そんなの当然、別に気にしてないわ、私は私ですし、と言ってみたかった・・・!褒められていないせいか、渇望していたんでしょうね。RT先まで見に行って、貶されて凹んだり、意図せぬ方向へ解釈されてたり。そういうのばかり脳に残ってしまうので、エゴサに向かない性格だなと、つくづく学んでくれ自分とため息が出ます。

 

 幼い頃から中から下の人生でした。何か秀でても中の上。無い実力を虚構で塗り固めて、ハリボテのようにアピールして有能そうに見せるような人間でした。要領も悪い人間なので、何回もノートに書かないと単語は覚えられません。字はミミズのように汚なくて男子のノートに間違われるし、ファッションセンスや色彩感覚もダサいです。漢字の書き順もでたらめですし年号も苦手。50m走は10秒台でしたし、音痴でした。私の周りにはそれらのスペシャリストみたいな才能の塊人間がゴロゴロいて、それがやけに身近にいたので劣等感も口に出せずに、いかに自分を大きく見せてマウントをとるか固執していたと思います。今思えば、ですが。

 

そんな私が唯一、人前で表彰されたのは中学生の時の夏休みの宿題だった読書感想文でした。面倒くさすぎて、芥川龍之介の『鼻』という短編で書いたら見事に先生に怒られて、再提出を喰らいました。休日に学校に呼び出されて、カツサンドとプリンをおごってもらう代わりに先生は「本音を書く」ことを強要しました。

 

夏に1カ月間不登校をしていた私は酷く困りました。PSPの充電器で首を吊ろうとした話なんぞ書けるわけがありませんし、自分の本音など知ったこっちゃありません。ここから記憶は曖昧なのですが、それでも書いたのが八束澄子さんの『明日につづくリズム』でした。

 

そして翌年、8割先生の訂正が入った感想文は、郡どまりでしたがほんのちょっと表彰されました。それが生まれて初めて、人に認められた経験でした。全校生徒の前で名前を呼ばれて、装飾の無い賞状を貰ったことを昨日のことのように覚えています。本は、その年の課題図書であった佐藤多佳子さんの『聖夜』でした。

 

内容を覚えていませんが、それが私の文章の原体験です。それ以降読書が好きになったり、文章を書いたりすることはありませんでしたが、こうやって人生が追い詰められたときに内心をそのまま短文にして吐露できるようになれたのは、当時の恩師のおかげだなと思います。

 

色々、前の記事を検索しているとですね。「文章が好き」っていう言葉を見かけるんです。それがとっても嬉しくて。なんでかな、あまりに自己肯定感を欠乏していたのかと考えてみますと、そういや人生で唯一認められたのはあの読書感想文だったなと思い出しました。中学校のことなど忌むべき記憶だと思っていたので、拍子抜けしてしまいました。

 

10年前の死にたかった自分へ。お前の文章、人に好きって言われてるぞ。それを今の私はとっても嬉しく感じている。読書感想文書いてよかったな。当時の先生へ。10年後にようやく先生が私に読書感想文を書かせた理由が分かりました。人に相談ができない、自己表現の仕方が分からない人間に、その術を教えてくれてありがとう。国語の成績ずっと悪くてすみませんでした。今も悪いです。

 

あの記事によく「救われました」「書いてくれてありがとう」とね、ありがたいことに感謝の言葉が集うんです。でもね、皆さんの言葉で救われたのは私です。あんなに好きになれなかった中学時代は無駄ではなかった。それが今につながっていて、人のためになる何かを生み出したんですから。あの苦しみは無駄じゃなかった。そう思えただけで、心の奥の痛みが少し和らぎました。ありがとうございます。

 

 

自分は内心を吐露するのがきっと得意なんでしょうけど、次の就活完結編は前より絶対軽いです。それを書いたらしばらくは特に皆さんが期待しているような沈痛な日々は書かないと思います。旅行行ったーたのしーぐらいのものか、ライブか、生きづらい世の中のことなのかはわかりません。折角読者になってくれたり、フォローして貰ったり本当にすみません。あの就活記事がイレギュラーなんです。

 

数日間お騒がせしました。嫌なことがあったら質問箱にでもぶち込んどいてください。

返信不要とか書いといてもらえれば、無理に回答しないので。文章にして吐き出すというのも、中々楽になる方法の一つのようです。

 

コメントもuser何とかも質問箱もTwitterの感想もだいたい全部見ています。いきる糧にするつもりです。返信できてなくてすみません。心の余裕が取り戻されしだい、着々と進めたいと思います。

 

では失礼します。明日も仕事か!!大変だ生きたくない!!!!!!

 

 

 

f:id:muriyada444:20190613012917j:image

 

「僕を知っているだろうか いつも傍にいるのだけど

 My name is love ほら何度でも 僕たちは出会っているでしょう?

 そう 永遠で 一瞬で 君にとってのすべてだ

 遠くから 近くから 君のこと見ている」

課題図書で出会ってから、ポルノグラフィティで一番好きな曲は『愛が呼ぶ方へ』です。

 

写真は就活期に見つけた菜の花。