大体何かしらのことに思考を飛ばしたり、己の内面を伺って対話をしようとする時、場所は電車であることが多い。
それは、転職先の職場まで1時間近く揺られる満員電車であることもあり、地元に住んでいる彼氏に会うために乗った新幹線でもある。
そしてそれは、祭りのような楽しい時間や、苦痛のような仕事の時間が終わった帰路にある。現実という救いようのない、騙しようのない孤独の入口に差し掛かった時に、己の座標を確かめるように私は文字と向き合う。
最近あった嬉しかったこと。大学時代の友人と卒業ぶりに会ったこと。結婚した人が周りにいない上、夫婦共々知人という環境は初めてで、お家にお邪魔したがこれが結婚という状態なのだということを知った。
それが自分に作用された時、耐えられるかどうかは別の問題だと思う。それでも、人間が古来から幸せの最も上の位置に置いた「結婚」というものは、適応できる人にとっては最上のものだということが分かった。文字通り、世界を敵に回しても、己の味方だと無遠慮に信じられる異性に会えると言うのは、稀な事だと思う。尊ばれるべきだからこそ、儀式的な結婚式があり、祝いの言葉があるのだろう。
この友人に連れられて、スラムダンクの映画を見た。スラムダンクのイメージが、不良の桜木花道がバスケをする、しか無かったので、心が180度ひっくり返った。先駆者が面白いというコンテンツには、人気な理由がある。スラムダンクも類を見ず、最高に面白かった。
面白すぎて、このまま私の中のスラムダンクを終わらせては行けないと、翌週初めて行った漫画喫茶で新装版を全部読んだ。ざっと7時間かかったが、後悔などしていない。それだけ、夢中になれた漫画だった。
映画の影響で、宮城リョータが好きだ。映画では、彼の育った環境や抱えているものが分かるが、映画で初めて明かされた情報ということがびっくりした。宮城リョータのエピソードを添えずにして、完璧な物語であるスラムダンクの恐ろしさ。このエピソード無しにして、大人気なのは恐れ入った。
スラムダンクはあまり、キャラの過去を掘らない。だからこそ、余白が生まれる。それが、友人でも別に家族の話とかしないような距離感。学生時代の同じ時間を過ごす濃密さと、秘密主義の希薄さを思い出して、心地よかった。
なお、私が好きなキャラは、先述した宮城リョータ(映画とは違って漫画では等身大の高校生。扉絵でお洒落で格好いいし、想像の3倍彩ちゃんが好きで目を奪われているのが可愛い)、仙道(陵南戦の仙道よりも、海南VS陵南であるエースとして全ての人間の心を掴んで話さない仙道が好きです)が好きです。
でもさ。三井寿が好きだ。神奈川MVPで、怪我で不良になって。後悔の中バスケに復帰したあと、罪滅ぼしという自責の念を抱えながら、誰よりもバスケに誠実にあろうとした人。大人になると、後悔から距離を置いてしまって逃げちゃって、もう無かったとこにしてしまうから。真正面からぶつかって苦悩して、それでも美しいスリーポイントを決める三井寿が好きです。あと、映画の沢北も好きです。
一応ゲームの結果は知っているのに、手に汗を握って応援してしまうし、ゴールを弾いてしまった後、リバウンドを取れるかどうかのところで桜木花道に願ってしまう。分かっているのに、流川の覚醒に喜んでしまう。スラムダンク、本当に心惹かれたコンテンツでした。
映画を見る前に、近くでハンドメイドアクセサリーの販売をやっていて、友人が大きい指輪の方が似合うよって行ってくれたから、金色の真鍮の指輪を買った。それが、今のところ、私とスラムダンクの、あの衝撃的な映画にガツンと頭を殴られた記念日の証拠として残っている。
来週、大学時代の友達たちが東京に来てくれるので、横浜に出かける。みんなで、心の中の神奈川由来の推したちのことを考えて、最高のデートコースみたいな旅程で遊ぶつもりだ。夜に、みなとみらいの観覧車に乗ろうと思っているので、その時プレゼントされたという設定でよろしくお願いしたい。
今日彼氏と、早い時間から飲んでいた。彼が来月、友人の結婚式の兼ね合いで我が家に泊まりに来るという話から、私のことを友人たちにも話しているということを知った。
出会って4年。そりゃ、週末の予定が合わない理由を友人に言わないのはおかしいよなって思うが、彼の生活の前提の中に、私という存在があるのだということを、改めて分からされた。
学生時代恋愛なんてしたことがなかった。恋愛という環境に相応しい人間ではないと思っていたし、女の子という髪の毛が長くて綺麗な色の服を着て、細くていい匂いのするふわふわな生き物と、私は別だと思っていた。恋愛する資格はないと思っていたので、片思いばかり重ねていた。
今も、そういう癖が残っている。何かしら、推しのアイドルやキャラにかこつけないと、The女の子みたいなアイテムは買えない。指輪は三井寿と宮城リョータだし、香水は推しの芸人、高いアイシャドウは丸山隆平のために買った。
だけど、この変な障壁。理由を求めて、私に相応しくないものを何とか買うという姿勢。これ自体、26歳にして、「痛い」そのものだと思う。
自己肯定感。それは、生きていいということでもあるし、己の性別を迎合することだと思う。少しずつ馴染んできたが、格好つけてボーイッシュな格好をし続ける私にとって、まだ抵抗がある問題だ。
それでも、何となく彼氏がくれたイヤリングを身につけている。今日、何気ない会話の中で「デートの時、着けてくれるね」と言われた。オシャレは己のためだと思っている。それでも、それを見てくれて、ずっと気づいてくれる人がいる。その尊さに、改めて気づいて噛み締めた。
お金なんてないし、社会的な地位もないない。身近に友人もいないし、酒も好きだ。体重は前職のストレスのせいで増加傾向にある。それでも、自分のつけてるアクセサリーに、気づいてくれる人がいるというのは、今までの人生の中で一番だったのではないか。
ありがたいと思う。先のことなんぞ分からないけど。なんか、この瞬間だけでも小躍りしたいぐらいには嬉しかった。帰りの新幹線の中でも、忘れたくなくて書くぐらいには。
明日からまた仕事で疲弊して、人生を呪って職場の人を呪って、満員電車にイライラする。筋トレは辛い。寝てる時の、何も考えていない時が1番幸せだと思い、ずっと寝てるようにも思う。
でも、なんかちょっと嬉しかった。ちょっと嬉しいことは、他人の幸せという在り来りな型には収まりきらない。比較できない。この感情は、私の心の中にしか存在しない、文字化できない。細分化された文字は、私にか読めない場所にしまっている。
嬉しいね。嬉しい。この嬉しいという感情が、確かに今日あったということ。2023年7月9日の私は。いや、7月7日の夜に駅の改札で再会した時から、織姫とかいう遠距離の先輩たちよりも、確かに幸せだったということを、ここに残そう。
美味しかった焼肉。遅れた誕生日祝いをしました。