東京に来てから赤字続きで、貯金を切り崩して生活している。なのでいっつも憂鬱。お金のことは人に言えないので、このブログにばっか書いてしまって申し訳ない。
憂鬱になると、何もやる気が起きなくなる。やる気が無くなると、食べることと飲酒ばかりして、その後生活に金がかかることを自覚し、死んだ方がいいなっていう安直な結論に落ち着く。
うだうだ言っても金は増えないので、さっさと忘れて質素倹約につとめればいいのだけれど、金がなければ都内一人暮らしの生活に彩りがなくなってしまう。せっかく都内に住んでるんだから、どこか行かねばと外に出てしまう。数少ない友人を誘ってしまう。図書館も散歩も飽きる時は飽きるのだ。
そもそも、ボーナス少ないのに遠距離恋愛だからと頻繁に新幹線に乗るのが悪い。就活生の時の夜行バスに乗って往復するガッツはどこに行ってしまったのだ。なんならしめしめと、ちょっと早い新幹線に乗ろうとしている。割引も忘れて直前に予約する。そういう、収入に対して傲慢な姿勢が悪いのだ。実家暮らしの頃に比べて、家賃がかかっているのだということを、もっと正面から受け止めるべきである。
前置きが長くなった。いや、前置きというより今先程まで考えていたことをここに愚痴っただけである。身体は元気、メンタルも元気、職場ではイヤミを言われてるが何かもう気にしないようにしてる。定期預金も始めた。また話が逸れた。つまり、お金を適切に使った日は、とても楽しいということである。
朝起きる。正しくは友人の家の床で起きる。友人をAとしよう。前日、どうしても焼鳥が食べたくてAに連絡をした。すると、以前一度だけお会いした、Aの幼なじみ(B)も会えるといいので、3人で焼鳥を食べたのだった。しかも北陸に何店舗もある秋吉が都内にもある。安くて美味しくて懐かしい。
2度目ましてのBはオタクなので、ここにオタクが3人揃った。オタクはジャンルは違えど、一度信仰心を持ったもの同士なので、波長が合えばトントン拍子で仲良くなれる。そこで、友人が明日誕生日ということが分かり、何がしたいと言えば「肉ケーキを見てみたい」と言う。それならばとその場で予約した。なんなら、明日はAとBのオタク仲間の、初対面であるCも来るらしい。オタクの話は早いのだ。友人の友人という信頼感が保証してくれるから気が楽でもある。
サイゼリヤで〆にワインとドリアを食べて解散。そのままAの家で寝た。誕生日プレゼントに中島健人表紙のan・anをコンビニで購入したので、私とAが目が覚めて最初に見たのは中島健人。そのまま、友人の家にあるぬいぐるみに対してan・anの読み聞かせを行ってから、コンビニのカービィの一番くじで微妙な景品を貰って帰宅した。朝からセクシーを浴びたぬいぐるみたちは驚いたことだろう。美しいか?これが中島健人だよ。
微妙な時間なので、余ったひき肉でドライカレーを作った。ドライカレーはカレー粉で作れると思ってレシピを見ながら作ってたのだが、最後の工程でカレールーが飛び出てきて裏切られた。仕方ないので、コンソメを入れる。だいたいコンソメが解決してくれる。
初対面のCに会うので、ちゃんとしないといけないと一軍の化粧品を出陣させ、アイロンまで熱した。この時間までに2回ほど、博物館の予約時間を変更している。変に気合を入れると凝り性になるのは悪い癖だ。AとBは日中、推しのぬいを持っておしゃピク(オシャレピクニック)をしてから、Cと合流して映画を見るらしい。タフだ。
15時ぐらいに東京国立博物館に着く。上野公園ではサルサフェアみたいな感じで色んな人が踊ってた。あそこだけ南米だった。
東博は土曜日は夜間もやっているし、日曜美術館でまだ放映していなかったので、国宝展よりは混んでいない。それでも絵巻が多いので、のんびりと最前列のために待つような観覧スタイルになる。でも最前列でみたいものばかりだから仕方ない。日本四大絵巻もある。
大ボリュームなので足の痛みとの戦いであった。ピンヒールでデートに来ていた女の子は強い。カップルと解説おじさんが近くにいたら、安定のノイズキャンセリングと適当にヨーヨー・マのチェロの演奏を流せば穏やかな観覧ができるのでおすすめである。
よかったもの。平安時代の日記や公文書は読んでもわかんないしなぁと軽く見て終わりにしようとしたら、藤原道長の御堂関白記があり2度見。列に並び直した。平安時代の文章が普通に残ってて、今の時代に読めるって不思議だ。暦とかもきっちり書いてた。来年の大河は紫式部だから、ちょっと楽しみだったりする。
信貴山縁起絵巻も始めてみた。何となく今回の展覧会のグッズに俵があるとは聞いていたけど、まさかこれだったとは!最初見た時はお盆が流れてて、急に空に米俵が飛んできてどういうこと?と思ったが、ネットで調べて改めてストーリーを思い出しながら見てみると面白い。倉庫ごと飛ばすのだから、米俵を飛ばすのも容易いんだろう。
百鬼夜行絵巻も面白かった。昔からある付喪神思想なんだろうけど、みんなおどろおどろしい妖怪っぽくなっている。愛着を持って使ったのだから、綺麗な感じになってもいいとは思うのだけれど。でもどれもかわいい。仏鬼軍絵巻も、地獄にお仏さんが沢山やってきて、鬼がぎゃーーってなっているのも、コミカルでなんかかわいい。
他に、辟邪絵 神虫もあった。化け物が何かを食べて血飛沫が上がっているが、神虫とあるように善い神様とのこと。イメージは蛾らしいが、やっぱ悪魔にしか見えない。病草紙や地獄草紙もあって、私のように和歌や古典に詳しくない人間も楽しい。病草紙に屎を吐く男とあり、漢字が読めなくて帰って調べたら糞だった。不眠の女や痣のある女とかならまだ分かるがとげんなりしたが、今調べたら尻に穴がないという解説が。同情せざるを得ない。口しかない。
在り来りたりだが、鳥獣戯画が特に感動した。鳥獣戯画風のイラストを見る機会もあるほど、現代文化に浸透しているにも関わらず、実物を見た事がなかったのだ。しかも今回は甲巻。有名なカエルとウサギが登場するものだ。
イメージと違ったのは、想像より動物たちの絵が大きかったこと。そして、状態が良かったこと。鳥羽僧正覚猷という偉いお坊さんが作者だと思ってたら、その人を含めた幅広い年代のお坊さんが書いたと聞いていた。なので、お寺にある作者不詳の落書きノートがたまたま残っていて、たまたま見つかっちゃったんだろうと正直舐めてた。全然違う。宝物を舐めてた。
急な上から目線だが普通に絵が上手い。本業がお坊さんだとしても、片手間で書くようなもんじゃない。漫画の元祖とも言われるように、そこら辺の本屋の新刊の表紙を書いててもおかしくない。また、この展覧会で展示されている絵は時代ごとの様式がかっちりしているため、この絵だけ異質である。それが新鮮だった。
東博で鳥獣戯画が展示される度に、なんであんなに混雑するんだろうかと疑問だった。グッズ化しやすいから、スポンサーの広告会社の宣伝なのかと思っていたけど、何度でも見たい気になる。でも作者は不詳。それがまた、絵だけの魅力でここまでやってきたような気がして、作品の力に圧倒されるような気になった。
別に、当時の生活様式や宗教的な秘密が隠されてる訳でもないし、歴史に名を残した貴族や武将も絡まない。それでも、俵屋宗達の風神雷神と同じタイミングで、1952年に国宝指定。この早さから、作品を絶対に守り続けるという意志を感じた。さすが宝物、恐れ入った。
20時までやっているので、帰りはライトアップされていた。建築には疎いが、荘厳で格好いい気がする。鳥獣戯画のポストカードも買えて嬉しい気持ちもある。購入したウサギとカエルのマグネットは、今冷蔵庫に貼ってある、オリックス山本由伸投手マグネットの横に並べよう。かわいいの渋滞が起きてしまうな。
ここから昨日約束した焼肉に向かう。場所は新宿駅東口の方。いつもは上野から新宿が遠くて嫌になるが、疲れた足を休ませるにはちょうどいい移動時間だ。しかし不安が募る。新宿は殆ど行く機会がないのだが、酔って予約した焼肉屋は歌舞伎町にあったのだ。
歌舞伎町。なんかやばい街。就活生の時夜行バスで新宿に着いた時、龍が如くをプレイしていた友人の付き添いで、朝5時に歌舞伎町のドン・キホーテに行ったことがあったような気がする。あとは、ゴールデン街を歩こうとコロナ前に行ったような気がする。どれも遠く、昔の話だ。トー横界隈なんて言葉は存在しない時代だ。
そもそも、焼肉屋の店名が新宿東口店だったから紛らわしい。まあ、トー横とかそっちじゃないからいいかって思って足を向ける。歩けども歩けども、若者外人キャッチホストの同伴のオンパレード。もう怖い。なんでふわふわのニットを着た女の子がうずくまって泣いているんだろう。若い黒マスクの男と、同じぐらいの背になるぐらいの厚底を履いた女の子がタバコ吸ってるんだろう。なんか、細身のパンツの人多くないか。
焼肉屋の前に集合10分前に着いたが、隣は無料案内所。怖くて近くのコンビニに入ると、聞こえる会話は「この前行ったクラブのDJがさ~」とか。若者ってクラブに行くの、都市伝説じゃないんだ!助けて!と思いながら、やけに売れていくモンスターを眺めてた。
怯えてコンビニの日用品コーナーに縮こまっていたら、自動ドアの外から大きな笑い声。友人たちが着いたのだ。いかにこの場所が怖かったか必死に訴える私、カバンから「この前名古屋いったからさー」ってお土産のういろう(推しのぬいの手作りステッカー入り)を渡す友人B。突然の事で爆笑。腹の底から元気になった。
焼肉は美味しかった。乾杯の際、Cが「何に乾杯する?肉?」といい、全員で「いや、Aの誕生日だった気がする」と突っ込むぐらいのゆるい集まり。予約したのに、なんかしてない感じになったけど、課金した肉ケーキはぱちぱち花火が煌めいていたし、肉は美味しかった。AとBは無事に日中、新宿御苑でおしゃピクを遂行したらしく写真を見せてくれた。楽しそうで何より。
3人は合流して何回も通った映画の最後の上映を見てきたらしく、その話題でもちきりだった。ぬいぐるみを持ち歩いているとは聞いていたけど、焼肉に備えてジップロックにみちみちと入れられているぬいは、ちょっとかわいい。
念願の肉ケーキが来る直前に網の上の肉を全て平らげて、ぬいを出せるように煙を換気扇に吸わせる用意周到さ。突然始まる寸劇。肉ケーキの後ろにぬいを配置して記念撮影。それを受け入れてしまう私。
友人たちは推しの声優さんの名前で呼びあっているのだけれど、私の推しの年齢層が高めで、「気軽に名前で呼ぶのは恐れ多い」「世話になっている」「呼ばれる私が赤面する」という理由で私の呼び方が有耶無耶になった。Cとは初対面だったけど、下の名前で呼ぶには恐れ多い推しの話で盛り上がって、同じ信仰心を持ってる人間は打ち解けが早い説がまた強固になった。
自分の推しではなく、友人たちの推しの妄想をするのが楽しかった。なぜ自分が相手だと何も思いつかないのに、人のデートはこんなにポンポンとアイデアが浮かぶのだろう。人に妄想され、きゃーとわざとらしく顔を手で覆い、笑いながら肉を食うこの時間が、とても楽しい。
友人たちは明日の朝から映画との事。店を出て歌舞伎町の細い道を歩いてる私たちに声をかけるキャッチ。「朝8時集合なんで!」と言うと「それは仕方ないね!!」と諦めるキャッチ。素直か。田舎の地元のキャッチより早起きに理解がある。
早い時間に別れた。帰りはAと一緒だったが、酔った私はずっと「面白かったね…」「面白かったとみんなに伝えて…」と言い続けていたらしい。急に決まった焼肉なのに、こんなにオタクの話が出来る場所が上京してなかったので、とにかく楽しい時間だった。
大人になると、ここでこの話は出来ないなってことが増える。初対面だったら尚更だし、腹の探り合いをするならば、いっそ何も話さない方が得なことも多い。そんな中で、まだ日も浅いのにこんなに話せる機会って早々ない。子供の頃に会っていないのに、子供の頃摂取したものは同じ。この奇妙な一体感は、何事にも変え難い。
昨日読んだ伊坂幸太郎の砂漠にある文章があった。それも引用で、正しくはサン=テグジュペリの本の中にある文章で「真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係という贅沢だ。」というものがある。私はこの奇跡的な日に適切なお金を使って、贅の限りを尽くしたのだ。
翌日。何となく野菜が食べたくて、肉を食べたから魚だよなと反動で安い真鯛を買ってカルパッチョを食べた。リッツの横に添えられているのは、ガーリックハーブ味のブルサンというチーズだ。このチーズと白ワインの美味しさを教えてくれた友人とは、何年も音信不通である。
会えなくなる人もいるし、昨日みたいに奇跡的な出会いもある。色々あるのだけれど、展覧会と人の集まりにお金を使うことは悪いことじゃない。日々が鬱屈としていたら尚更である。