夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

「生きてていいよ」券

お疲れ様です。有機栽培です。

 

絶賛有給消化中なので、今日はオードリーの若林さんのエッセイ「完全版社会人大学人見知り学部卒業見込」を読み、生理が来て萎え、東京で購入したポモロジーのクッキー缶を食べました。珈琲もいれた気がする。

 

 そして、久しぶりにヤマシタトモコさんの「違国日記」を読み返しました。あまり漫画は購入しないんですが、この本と三月のライオンは買ってしまう。そして、どちらも避けてきた自分の考え、人生、悩みを表面化させますね。その力がある作品です。

 

 主人公である15歳の朝ちゃんは急な事故で両親を亡くし、今まで交流がなかった作家であり叔母である槙生と同居を始めます。そんなお話。

 

 この漫画を読むと、自分を取り巻く人や、なんならすれ違うだけの人に対する想像力が働きます。色んな人の、色んな事情が丁寧に書かれているので、自分のことばかり悩んでいる私にとって、その悩みは自分だけでは無いという安心感と、他者へ配慮をすべきとだという反省を与えてくれます。

 

あと、あの時人に言われたことに対して反発したけど正しかったのかとか、あの時放置していた私の中の許せないことがあったなとか。抽象的な話が多くて恐縮なのですが、思考の一助になる本です。

 

 私は人間関係を維持するということが苦手で、どんどん気軽に連絡できる人が減っています。それは、人になにか言われて傷つきたくないという臆病な心と、こんなに悩んでる私ですら分からないのにお前に分かるかという傲慢で構成されています。

 

 文字化はできるのに、なかなか飲み込めないのでしんどい病です。高校とか大学とか、コミュニティに属してる時は頑張るんですが、そこから離脱した瞬間、キャラを守ることに必死になり、あの時のキャラとは違う現在を見せる勇気がないんです。

 

 今年は特に大変でした。父親は亡くなるし、仕事は鬱病で辞めるし。さらに、鬱病なのに病休はキャラじゃないからって無理して体壊しながら逃げるように辞めたし。ハード。

 

 人生のキャリアのすごろくってありますよね。昇進、結婚、出産とか。親の介護とか止まる人が多いマスもあります。親の死だって、誰もが必ず通ります。年代はいつかは分かりませんが。必然的に。みんなが通らない道は、まだ先駆者がいないから心細い。

 

自分の意思でサイコロを触れたらどんなにいいんだろうと思います。親の死は40代以降がいいなーとか、結婚は20代がいいなーとか。でも、現実はそうはいかない。

 

 鬱病、父の死、退職、転職活動。別に私から動いた訳では無いのに、ポーンと駒が動いてしまった。今年の下半期が怒涛。その余波、荒波に溺れている感覚。自覚したくないので、転職活動に熱中して忙しなくし、何とか逃げるように残業多めの東京の営業事務の内定を得ました。

 

そこに入るかどうかは分かりませんが、年末年始は色んな企業がお休みに入るので、忙しなくできません。そうするとボコボコ不安が溢れます。

 

東京に行ったら、母はこの家に一人暮らし。彼氏は転勤職といえ、遠距離になる。遠距離になったら、お金がかかる。そもそも東京に住むなら何から始めればいい。来月は辞令交付があるから職場に行かなきゃ。内定どうしようか。お歳暮の御礼で電話が来る度に、お母さんが私の退職を話してて居心地が悪い。

 

 正しい人生なんてないと思います。正しい考えなんてもののなく、強いて言えば、私が思っている考えを正しいと信じてあげることが大事なんだとも分かっています。

 

 ただポーンと人生の駒が、何かの作用に押し出されてしまったから、そしてとうとう暇になってしまったから。迷って、悩んで、そもそも何に悩んでいるのかという輪郭を認識することから始めて、久しぶりに喉が絞れるような感覚が起きてます。

 

ある面接の時、「安定してる職業ですし、内定出てから辞める人が多いですよね?」と言われたので、「そうですよね、でも公務員辞めちゃったんですよねー」って笑いながら返したら、「やめなきゃ良かったねー」と言われました。

 

他の面接では、「あなたは笑顔が特に印象的ですね」「あなたの経歴や考えを聞くと、他者への配慮を強く感じます。それら素晴らしいことです。ただ、そんなに優しくて、辛くないですか?」と評価されたので、あははと笑いました。

 

 私は、私は間違った道に落ちていくことに対して、人並み以上の恐怖を感じます。公務員を辞めることなんて、その最たるものなのでしょう。死んだ父が最後まで反対してましたし、私の行動は親不孝なのかも知れません。

 

ただ、初めて会った面接官は、誰も褒めてくれなかった笑顔を褒めてくれました。誰も、誰も偉いねって言ってくれなかった、人生の取捨選択を立派だと認め、私を案じてくれました。

 

初めて会う人だからこそ言われる無遠慮な言葉も、初めて会う人だからこそ言われる嬉しい言葉も、全て私を表す言葉なのでしょう。

 

嫌いな、霧の深い夜の県道の運転。街灯はないから自分のライト頼りだし、そもそも通行量が少ないし、なんなら対向車線のライトが眩しくて逆にまた見えなくなる。でも通らないと家に帰れない。本当に嫌だし辛いけど、ビクビクしながら運転するしかない。それに似た日々が待っています。

 

 頑張らないとなって思います。腹括って、人生歩かないとなって思います。私のことを全く知らない人に、あの人はいい人だねって言われるように。最低限、後ろ指を刺される事したくない。

 

2022年は最悪でした。来年はいい年であって欲しいし、これ以上嫌なことなんてないんじゃないかとも思えば、私の中の不安が「もっと病んで滅入って死にたくなるかもよ」と囁いています。

 

 幼稚な私の心が今きっと欲しいのは、「生きてていいよ」という免罪符。それが手に入るまでは、苦悩の日々は続きます。

 

明日から親友と半年ぶりに遊ぶから、一旦明るいキャラに戻らないとね!こんな暗い話はリアルでは出来ないので、エンタメに徹します。だから私は、ここでしか本音が言えずに摩耗して自分の言葉で自傷するのだけれど。

 

欲しいなあ。欲を言えば「あなたのまま、好きに生きてていいよ」券。それがあったら苦労しない。