夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

反省と愛し方

短くてすみません。有機栽培です。

 

朝、異様に早く目が覚めてしまって、まだ日の出ていない布団の中でうだうだしています。覚醒していない脳みそを何とか動かしています。

 

飛び石連休だったので、彼氏と4日間一緒に過ごしました。一日だけ頑張って出社して、残りは基本的に一緒でした。初日にハンバーグとコールスローを作り、肉屋でおいしいお惣菜を買ったりして過ごしたりしました。長くいることになったので、彼の家で洗濯機を回しました。一緒に家具屋に行って、先日壊したベッド横の照明を見たりしました。

 

 楽しかったです。めっちゃ楽しかったです。でも帰る日曜日の夜に言われてしまった。「好き?」と。

 

相手に「好き?」って確認する行為は、不安になってるって証拠じゃないですか。なんでかっていいますと私がそうだから。私は基本的に不安人間なので彼が私のことを好きなのは奇跡だと思ってるためか、好きって言って許されるかどうか判断してる節がある。

 

 それを相手にさせてしまった。やってしまった。悲しい気持ちにさせてしまった。

 

 理由は私です。色々とある。生理前で何かとイライラしてた。いや、イライラしてたからって人に向き合うことに配慮を怠ったのは生理が理由にならない。仮に生理前でイライラしていたのなら、それなりに対処だってできたはずである。私の不遜な態度が悪い。

 

 甘えている。相手が海より深い優しさで包み込んでくれるから、何やってもいいと踏んでいる。大変よろしくない。彼だって人間だし傷つく。甘えてきてくれたら、私の内面の事情はどうであれ抱きしめるのが正解だったのだろう。

 

 相手には過去に何人も恋人がいて友達もいて、私と別れても全然平気だと思う。むしろ今私が別れたら死ぬ。それなのに一緒にいるのが当たり前だから、配慮して甘やかしてくれるのはふつうだからと勘違いして相手を傷つけた私は馬鹿である。

 

馬鹿。人が人と一緒にいるためには好きという感情だけではなく、この人と一緒にいたら過ごしやすいなという快適を提供出来なければならない。それをやらかした。申し訳ない。今後このようなことが二度とないように。私の不遜な無遠慮で傷つけることは絶対しない。

 

慣れは悪だ。相手と私が違う人間である限り、思いやりの欠如は関係の破綻を意味するんだと思う。反省でした。帰り際に「不安になったら言って!いつでも長めの手紙書くから!1万字ぐらいの愛ならすぐ語れるよ!」と言ってしまった。ジャニオタはすぐ愛の度量を1万字で測ってしまう。

 

 

 ところで、人を愛する方法がよく分からない。好きな人はいたけど告白なんぞせずに秘めたまま妄想でキャッキャウフフするタイプだった。おかげで大人になって唾液等で幼い頃に感染してるはずのキス病(伝染性単核球症)になって大変な目にあったことがある。

 

 人と付き合うということは、対人と向き合うことの最上級の行為だと思う。そもそも、人と向き合うことがかなり苦手であり、人生で避けてきた。

 

 トラウマめいたことがある。中学生の時にラケットでボールをぶつけてきた人と対面で話し合えと先生に言われて別室に連れてかれ、そこで同級生から指を刺されながら「偽善者」と罵られたことに起因する。その時から人の顔を正面から見れなくなった。

 

 確かずっと端っこにあった木戸孝允肖像画ばかり見てた。そうしたらさらに怒られたのだが、この事件で私は「全く人の顔を見ずに人と話す」ことでしかコミュニケーションが取れなくなった。

 

 親の顔もそんなに見ない。この前久しぶりに見たらシワが増えて老けていた。友人の顔は高校ぐらいで止まっていて、たまに更新するために見る。密室に誰かと2人机を挟んで厳かな雰囲気で話す(特に大人と)は出来なさすぎて就活で面接が全く上手くいかなかった。

 

 彼氏の肌は弱い。最近目元の薄い皮膚が赤く腫れてしまい、病院に行くと行っていた。先日あったら赤みが引いてたのでよかったねーと言ったら、随分前に良くなってたらしい。そのぐらい人の顔を見ない。見れない。何となくそのことを気づかれてると思う。

 

 漫画や小説で人の顔を真っ直ぐ見ることは、愛するという行為にカウントされることが多くある。目を見て告白するとか、まつ毛の長さの描写だって隙あらば挿入されるし。そうなると私は愛するということが欠如しているのかもしれない。

 

 彼氏に「愛し方が犬と一緒」と言われたことがある。髪の毛を撫で、顎の下を撫で、耳の裏を撫でる。たまにお腹を触る。確かに犬と大差ない。

 

 先述した対面できない事件のちょっと前から、我が家に犬が来た。黒い柴犬みたいな雑種なのだが、小さなシェパード並の大きさだった。親との折り合いも悪く、友情というものに懐疑的だった私は犬しか味方がいなかった。うちの犬はボールも嫌うし撫でても喜ばなかったけど、私は精一杯撫でた。

 

 人間が人を愛し、対面で傷ついたり思いやったりして成長する過程。その間私は逃げて犬を撫でていた。人が人になるための修練から逃げて、サラサラの毛並みをわしゃわしゃ撫でた。おかげで、子供のまま大きくなってしまった歪な犬好きが生まれた。

 

私が最も心を許し、愛していたのは犬だった。そのため、 人を愛する手法というのが分からない。どうやったら好きです、愛してます、あなたに関心があり思いやっていますと伝わるのだろうか。どうやったら相手の機敏な感情の揺れ動きを優しく包み込めるのだろうか。

 

 先日、数年ぶりにアマプラで配信されていた連ドラ(民王)を一気に見た。最近は実写の作品を見ていなかったので、本当に些細なシーンで共感性羞恥が爆発して悲鳴を上げながら見ていた。

 

 コメディというのは、人がちょっと失敗したり窮地だったり焦ってたりするのが面白い。私だってそう思うし、笑ってた。それが今や見れなくなってきている。現実世界で人に失望されたくないという思いから、フィクションの世界ですら恥をかけなくなっている。

 

 愛する手法を学ぶためには、映画を見るのが一番だと分かっているのだが、この尊大な共感性羞恥のせいで見れそうにない。あまりに共感しすぎて、カップルが喧嘩したら泣くんじゃないだろうか。別れたら私も突飛に別れなきゃとか思っちゃうんじゃないだろうか。嫌だ無理恋愛映画は避けていこう。

 

  悩みすぎてここ数日彼氏の夢ばかり見ている。でも幸せな夢ではなく、出先で面倒くさい人に絡まれたら近くに彼氏がいなくて対処に追われる夢ばかりである。今日なんて4時に目が覚めた。

 

 人に嫌われる人間だと思っているし、諦めているつもりである。それにに人に嫌われることを極度に恐れてしまう。一度仲良しになった人とかだと恐れすぎて、逆に私から疎遠になってしまう。それだけは避けていきたい。絶対に避ける。毎日LINE送る。

 

 来週はお互い用事があって会えるのは月末である。それまでに何とか、何とか違う自分になりたい。嫌われたくない。そして早く生理か来て欲しい。この気持ちの不安定加減を落ち着かせてくれ。