お疲れ様です。有機栽培です。
今回は近況報告が中心です。まずは、巷で話題の感染症のことから。
母親が陽性になってしまい、程なく私も陽性になりまして、数週間1歩も外に出ない生活を送っていました。母親は祖母からうつり、祖母はディサービスで感染したので、避けられない経路でした。
私は当時残業続きで殆ど母親にあっていないのに罹り、その後父親や親戚も全滅したので、感染力の強さにびっくりしています。同居家族が感染したらほぼ避けれないし、保健所の方も忙しいので陽性患者を直ぐに療養施設に連れてってくれないので、最初の検査で陰性でものちのちに陽性となるので気をつけてください。
なお、親戚の症状の内訳は、祖母が歳もあるので入院し、後にリハビリのために転院しました。母親はホテル療養から悪化させ入院し点滴を受けました。私は軽い肺炎を起こしてホテル療養。父親は無症状で陽性。1番大変だったのは還暦を迎えた叔父で、重症患者としてICUに入り、右肺が機能停止となり人工心肺をつけてました。奇跡的に命は助かり、来週リハビリのため転院します。
自分の症状は軽かったのですが、咳が酷かったです。最初の検査で陰性で濃厚接触者として自宅待機をしてました。まずは一日だけ熱が出てすぐ下がります。その後ずっと咳が続き、これって咳のまま職場復帰できるのかと保健所に相談したら陽性でした。当時毎日サビ残深夜帰りだったので、友人たちには「休めてよかったね」と言われたんですが、私は「あっ職場での居場所が無くなった死のう」が最初に思った言葉です。
怖かったのが濃厚接触者に該当して自宅待機をしてた時、私の車が常にあるからと近所の人から母親に連絡がいって、コロナとバレたところ。田舎の近所って怖いね。自宅待機もかなりリスキーです。
また、家にいる間、友人と通話をしてたんですが、あまりの咳に酸素が吸えず、電話越しの友人から「寝たら死ぬんじゃねえか」「救急車では?」と言われ、ようやく保健所に連絡した次第です。毎日電話で健康情報を入力するのですが、「悪化したら連絡ください」なスタンスなので、普通の咳は風邪だろって思ったら苦しみました。もし濃厚接触者になったら、素直になんでも報告した方が良いです。なおこの日は咳が酷くて一睡もできませんでした。
私は味覚障害にはならなかったのですが、肺の機能が落ちました。コロナ闘病中は深呼吸ができず、浅く息を吸うことしかできません。血中酸素濃度も95とかになります。深呼吸が出来なくなったら、確実にコロナを疑ってください。といいますか、濃厚接触者になってから風邪の症状が出たらコロナの可能性が非常に高い。私は昨年罹患した伝染性単核球症と咳ぜんそくのせいで、コロナと気づくのが遅れて辛い思いをしたので。
ホテル療養が決まるとタクシーで大きな病院に連れてかれて、医者の診断を受けるのですが、その時は「軽めの肺炎」と言われました。あとタクシーの運転手が暴言当たり前運転最悪な人だったので、そこは運になります。あとお医者さんに「君の親戚みんな陽性でほとんど入院なの?弱い一族なんだねぇ」としみじみ同情されたのを覚えてます。まじで、一家全滅だよ。
そのホテル療養について。家まで保健所が手配してくれたタクシーが迎えに来て連れてかれます。ホテルの入口は厳重なんですが、病院帰りに外に放置されたり、今から病院に行くタクシーが来ると言われて入口まで言ったら放置されたりするので、鬱の時は「私は人の手を煩わせる最悪な人間なんだ」と悲しくなることがあります。後で書きますが、ホテル療養は鬱になる。
持ち物で注意して欲しいのが、衣服は手洗いになります。なので服のための洗剤と、ハンガーとか持ってくと便利です。また、ご飯の量が決まってるので、インスタントコーヒーやお茶、スープなどを持って行って気分転換してください。マイカップも必須です。積読がある人は本を持ってくといいと思います。野菜不足を懸念する人は野菜ジュースもいいかも。電気ケトルと冷蔵庫はあります。
食事は一日3回。夕食も夕方と早かったです。また、ご飯を廊下に取りに行く以外に部屋を出ることはありません。ご飯の放送とラジオ体操、検温のお知らせが時間になって流れるのと、たまに事務局から電話がかかってくる以外は外部からの何かしらの働きがけはないので、大変な思いをしているスタッフの皆さんに迷惑をかけながら管理され、生かされます。ホテル療養してるだけで、己は大変なことをしてしまったという罪の意識に苛まれます。
最初は持って行った本を読んだんですが、どんどん活字を読む元気がなくなります。6冊ぐらい読んでやる気が無くなりました。アマプラで映画が見れたので、スマホで大好きなベネディクト・カンバーバッチ主演のイミテーション・ゲームを見ました。sherlock好きすぎてロンドンに飛んだ人間なんで、ベネネの瞳は時代が時代なら宝石で権力が動くと思ってます。あと曲だけ知っていたブロードウェイミュージカルの映画、「RENT」を見ました。課金して視聴しましたが、あんなふうにエネルギッシュに人と関わって生きてみたい。seasen of loveいいよね。村井良太さんが主演した時の公演も見たかった。ただ、楽しい時間も少しだけで、段々時間を持て余します。
暇な時間があると、人は段々と無気力になり寝れなくなります。友人が電話をくれても、話す内容がないのでつまらない時間を与えてしまい、自分が友人の貴重な時間がを奪ってるような気になります。コロナに感染してしまい、職場では今まで発生しなかった事務処理が増えてしまったし、色んな人が私の陰口を叩いているだろう。ただでさえ人がいないのに抜けてしまってどうしよう。批判する電話も届いているのだろう。医療従事者の皆さんの仕事も増やしてしまった。人々の税金で生かされており、迷惑しかかけない存在だ。外に出ても復帰する自信が無い。我々家族はあの土地で生きていけるのか…。
朝に事務局から電話がかかってきます。それに応えた時、「まだ療養が必要ですね」と言われるとホテルから退去しなくて済みます。仕事や家に戻らなくていいので安心します。しかし、ホテル療養をしてると医療従事者の皆さんの負担になり、税金だって私に無駄遣いされます。とても困りました。
お医者さんや看護師さんやスタッフの皆さんが大勢働いてるんです。土日問わず働いて、毎日電話で体調を聞いてくれます。こんなに大勢の人の時間を費やしてまで、世話してもらう人間じゃないのに申し訳なくなります。それが仕事と言いますが、いやいや絶対休みが少ない。プライベートの時間も少ない。この人たちは頭がいいのに、こんな馬鹿のためにすみません。そう思った結果、とにかく事務局には連絡をせず、手のかからない療養者になろうと思いました。
生活が昼夜逆転し、ここから出なくていいよという連絡を朝に貰ってから寝ます。ご飯の時間が決まってるので、取りに行けずに飢えます。社会のお荷物なので、布団から動けません。何もしなくても涙が出てました。大島てるを見て、知ってる通りの事故物件の情報を眺めながらここなら死ねると考えたり、ホテル療養が終わったら失踪するプランを考えるも懲戒免職で名前が発表されるリスクに怯えたり。いのちの電話の番号を眺めるも、深夜だからどこもやってないことに笑ったりしました。
最後は部屋中のタオルや充電器がかけられそうな場所に実際にかけてみて、体重に耐えられるか調べたり、NHKのハートネットTVが持ってる自殺者志願者と遺族の思いが吐露されている掲示板を眺めたりしました。結果、ドアノブで自殺できることが分かりました。
毎日ここから出ることに脅え、咳で息が苦しくなり、親戚の死に脅え、社会的な死に脅え、私の死を望む。そんな毎日でした。
ホテル療養が終わると告げられた日はパニックになり、でも死ぬ自信が持てず、死ねない自分が嫌になり己を責め、情緒不安定でした。遺書を書いてたら、とにかく「ごめんなさい」という言葉が溢れた文面になったので、生きてて本当に恥さらしだったんだと自覚しました。謝ることしかできず、必要とされず、人の仕事を増やすだけの生命って生きる価値がないですよね。そのことに気づけただけがマシだし、もっと迷惑をかける前に死んだ方がいいんだと悟りました。
その後、あまりに泣きすぎたので、客観的な意見を聞こうと思いました。入所した時に渡された紙の中で、メンタル相談の電話番号を思い出し、電話をしました。優しい女の人が出てくれて、ずっと泣いてしまいました。「今の状況じゃ誰でもふさぎ込んじゃうから」「ここから出たら美味しいものを食べなさい。そこから考えなさい」と言ってくれました。
毎日空腹だったので、死んだらあまり体液が出なくて良いのではと思ってたんですが、その言葉で酷く安心し、泣き疲れたのもあって寝ることが出来ました。翌日出所して、言われた通りハンバーガーとラーメンを食べて、公共交通機関を大荷物で乗って、家に帰りました。家族は全員療養中でしたし、どこに行ってもいいと言われたので。
家に帰ったら犬が喜んでくれました。何週間分か分からないほど撫でて、寝ました。家族がコロナで全滅すると犬が心配になります。我が家は別居してる兄が面倒を見ましたが、場合によっては保健所がペットホテルを斡旋してくれる場合があります。
私の職場は理解がないのかクソなのか、ホテル療養が終わった次の日には職場に行かねばなりませんでした。私が休む少し前に1人が適応障害になったので人手不足だったからだと思います。そこから後遺症の咳を抱えながら、毎日サビ残11時帰宅の日々を送ってます。次は過労死が待ってますが、療養中の鬱からは忙しさのおかげで脱却してます。
対処して嬉しかったことは、自分の意思で好きな食べ物を選んで食べれることでした。メニューを見たり、コンビニで買い物したり、そんな当たり前なことがとても大切に思えました。私は、食べることと選ぶことで、日々のストレスを発散してたんだなと気づきました。
復帰して大変だったことは、1週間咳が止まらなかったので、少し走ると死にかけることです。今は回復しましたが、直後は地獄でした。でも電話にはでないといけないので、必死に息を殺してました。次に筋肉痛。殆ど歩いてなかったので、全ての筋肉が落ちてました。歩くだけでふくらはぎが痛みます。あと車の運転も久しぶりすぎて、通勤がとても怖かったです。
あと感染したことを言うと、いつ文句を言われるか分からないので、感染したことがない人を装わなければならないのも地味にキツイです。職場が公表していたので、「コロナでたんでしょ、怖いよね」と言われたり、美容院でコロナの話題を振られたり。言うとどこから文句を言われるか分からないので、苦笑いで過ごしてます。
味覚障害がないことが救いでしたが、とにかくコロナはメンタルがやられます。人に管理されなきゃ生きていけない、人に後ろ指を指され非難される状況に自分はいて、職場家族医療従事者の皆さんなど、全ての人に多大なる迷惑をかけて生きる苦しさがあります。今でも、死んだ方がよかったとも思ってますが、何とか生きています。
ホテル療養という閉塞的な空間は、とにかく鬱になります。もし、感染したならばとにかく自分を責めないでください。仕事のことは忘れてください。とにかく療養を終わらせて、外に出て食べたいものをリストアップしててください。それだけで救われる精神があります。
コロナに感染した自責の念と慢性的な職場の人手不足のせいで、今年度の転職が絶望的になったのは辛いです。長期間休んだので、職場に対する申し訳なさが強く、辞めるに辞めれない状況になってます。早く辞めさせてくれ……。でも適応障害で抜けた人の穴は埋めないといけない。早く逃げたもん勝ちですわ。私が辞めたいはずだったのに、いなくなりかけてる人の負担のせいで逃げられなくなってる、すっごい可哀そうな感じになってます。
健康を害しながら働き続ける道と、迷惑かけて後ろ指をさされながら辞める道と、ふらっと失踪して懲戒免職になる道と、死ぬ道。選択肢はいつでもあるし、そのことに気づいた療養期間でした。入っても地獄だし、出所しても地獄。
遺書を書く時間はあったので、ふらっといつでも死ねる状態になったのはありがたいです。私が何かの拍子に死んだら、知人は私の赤いパソコンのフォルダに遺書という名前のワードがあるので、よろしくお願いします。書いてから1年は有効だと思うし、都度更新していくので。
不穏な感じですが、ホテル療養の時よりは元気です。とにかく休みの日は予定を入れて、暇な時間を作って病まないようにしてます。
おまけ
コロナでホテル療養だった時に食べてたご飯です。
朝ご飯かな?よくポテトが出て、貴重な揚げ物でした。パンケーキは意外にお腹に溜まる。
たまに生野菜が出るのが嬉しかった。昼ごはんかな?ドレッシングが美味しかった。
見てわかるとおもうんですが、こういうのが3食なので空腹がすごい。朝は早いので、ご飯食べてから寝ます。夜は5時半に少量なので、昼夜逆転すると飢えの時間が長くなって、生死について考えるようになります。
調理が簡単だからなのか、煮込みハンバーグにほぐれた茹で卵がまぶされた「タンパク質摂取セット」がよく出ました。
漬物がつきますが、白ご飯との戦いなので、ふりかけやお茶漬けを持ってくと言いと思います。
最初は写真を撮ってたんですが、だんだん無気力になって一切写真がなくなったので、このあたりから病んだなっとしみじみしています。なお、ホテルの廊下に飯を取りに行くときだけ、外に出ることができるんですが、各部屋のドア越しに咳の声や子供の声、目の死んだマスクのつけた同じ陽性者とすれ違うだけ。世紀末。収容所ってこんな感じなのかもしれない。
一番美味しかったご飯。山わさびなのかな。それがとても美味しかったです。