夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

被災者なのか、そうじゃないのか

お疲れ様です、有機栽培です。

 

職場で黙祷をするぐらいには、被災地に生まれ育っています。かと言って被災者と言えば、それは違うなぁと否定するぐらいには被害は少なかった。兎にも角にも、この時期は感傷的になりますね。

 

当時中学生だった私は、1週間ぶりに通った電気にはしゃいでテレビをつけました。そして、幼い頃に家族と遊びに行った空港で、止めてあった数十台の車が流されてる映像を見てしまってからというものの、津波や震災の映像は見れません。

 

被災地に住みながら、親戚は亡くならず。家も流されず。でも震災の映像は見れないし、卒業式でもなにかの挨拶では必ず「絆」と「復興」を言わされた世代です。

 

高校時代チェロを片手に県代表で出場した時も、私たちは「復興」と「絆」を背負って舞台に立つことになりました。別に、チームの高校はどこも流されてない。それでも数年前の震災を背負う。私たちはなんのために呼ばれたのかわからないまま、カルメンを弾きました。大人が欲しいのは被災地の学校のひたむきさで、そこに通う学生はどうでも良いのです。思うに、震災の呪縛に囚われた世代でした。

 

そのちぐはぐ感に今になっても違和感を覚えています。被災者なのか、そうでないのか。災害後に恐ろしくなって一度もボランティアに行けずに見なかったことにし続けた私は非国民なのか、罪なのか。

 

もっと大変な人がいるはずなのに、被災地だからと贔屓してもらってた私たちはなんだったのか。どんなに頑張っても「絆」と「復興」を背負わされた私たちの努力はなんだったのでしょうか。

 

何が正解なのか、9年たった今でもわかりません。

 

当事者であり、どこか他人事だった大震災。悩み続けることが、私たち中途半端な被災者もどきに課せられた、使命なのかもしれません。

 

復興への罪悪感と、青春を歪ませた苦い思い出を抱えながら、私は今日も地元で生きています。