夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

友達はいるはずなんだ

 

社会人になって7カ月が経過しようとしている。職場にも慣れ、春先よりできることが増えた。冷静に今の状況を分析して、来年中に仕事を辞めようと考えてはいるけど。とにかく新社会人として頑張っている。

 

最近、孤独感が凄まじい。寒くなったから、人恋しい季節だからと揶揄わないでほしい。実家に暮らしているのに、世界で一人きりだと思ってしまう。友人はいるはずなのだ。いるはずなのに、寂しくてたまらない。

 

先週は高校の同級生と急遽集まって2件居酒屋をはしごして、まねきねこで朝まで歌った。朝焼けの中で解散をしたのだ。次の日は違う友人と有名なお寺をめぐって、帰りにアウトレットで服を衝動買いしたじゃないか。昨日はたまたま連絡した友人が通話に誘ってくれたので、一時間ほど話した。

 

でも、基本友達からLINEの通知来ない。来るのはスタンプ獲得のために登録した企業のアカウントからの白々しいメッセージだけ。そしてSNSでこちらからリプすら送れない。

 

不器用や臆病といった言葉では片づけられないほど、社会人になってから人間関係が機能不全に陥っている。学生時代にコミュニティの構築に失敗した私は、孤独に押しつぶされそうでしんどい。

 

なんでこうなってしまったんだろうか。答えは明白である。友人たちに絶対寂しいと思われていないし、友人が自分以外にもいると思われているからだ。そう思わせたのは私の強がりで、喧伝したのは見栄っ張りな性格だった。

 

小学生の頃から班長やリーダーをやるタイプの人間だった。本当は目立ちたくないし、目立に値する実力など持っていないと気づいたのは中学生の時。それでも、ここまで気づき上げた校内でのキャリアと人より大きかった身長は、独立した女子生徒としてみんなに認識されてしまっていた。周囲の期待を裏切りたくはなかったので、その道を歩まざるを得なかった。

 

高校生の時、一人暮らしがしたくて、友人たちの中で唯一北陸への進学を決めた。田舎を捨てて、異なる田舎へたった一人で進学した私は「珍しい」存在だった。珍しい私は、実益ではなく好きな学問のためだけに田舎に来た異端児でもあった。その特別性を勘違いしたのか調子に乗った私は、今まで隠し通してきた生来の寂しがりを表に出すチャンスを捨て、強い女にジョブを進化させてしまった。

 

強い女というキャラが確立しまうと、もう後には引けない。行動力はあったので、バックパッカーに行ってしまった。その時なんて周りから「さすがだね」「一人で生きていけるね」と称賛をいただいたが、欲しい言葉はそれじゃない!寂しすぎて画像フォルダはアイドルでいっぱいになったし、ホームシックになって泣きながらマルコメの味噌汁の出汁の味に縋りついていたわ。でも、そんなことキャラじゃないから言えない。

 

キャラじゃないから、自分から友人を誘えない。誘うんだったら直接会って、偶然を装って誘う。大学の周りにみんな住んでいたし、大学に行けばみんないたのでそんな芸当ができた。ラインでは誘えない。簡単に断られるし、断られた言葉がずっと残ってしまうから。ナイーブな精神に、SNSは毒だった。

 

恋人がいなかったのも大きいかもしれない。恋人ができると、みんなスマホにつきっきりになる。聞くとメッセージが送られてくるらしい。恋人を持たない私は、気軽にメッセージを送る訓練をせずに、大人になってしまった。

 

新社会人になって地元に戻ることになったので、大学時代の友人とさよならした。気軽に会えなくなってしまったし、彼女たちは仕事に邁進している。ただですら連絡を取ってこなかったので、メッセージをどのタイミングで送ればいいかわからない。お話ししたくて?仕事がつらくて?そんなの「キャラ」じゃないのだ。

 

大学の友達と連絡が取れなくなったが、私は友達が多いと自負していた。高校の同級生に連絡を取ればいいのである。スマホを開いた。誰にどう、連絡を取ればいいのだろうか。強い女を大学の友人の前で演じたように、高校の同級生の前でも演じていたのだ。一人田舎を飛び出した、自立心の強い女。私に貼られたラベルは、私の本心とかけ離れてしまったのだった。

 

まいったのが最近である。大学生の頃は己の寂しさを友人で埋めていた。でも、友人はいない。いるはずだけど、近くには誰一人いない。気づいたら彼女たちはそれぞれ新天地で新たなコミュニティを形成しているし、恋人なんかもできている。

 

心にぽっかりと開いてしまった穴を埋めれないのだ。失ったものが大きすぎたのだ。数年間かけて周囲からの「キャラ」に答え続けた結果、私は一人になってしまった。強がりだから己を隠して、見栄っ張りだから強いアピールをした結果がこれである。だれにも頼れない。

 

仕事もうまくいかなくて、縋ろうと思ったものは手のひらには存在しなかった。ドーナッツの輪のように、私の周りに人がいない。いるのはSNSでできた、唯一素を出すことができる顔の知らない知人たちだけだ。でも、君たちは私の葬式には参列してくれない。

 

SNSで友人に連絡が取れない私は、スマホの中で孤独死をする。自分が作った虚像に看取られながら。でも、友達はいるはずなんだ。