夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

友達役割分担派

 おはようございます。有機栽培です。

 

 先日高校の同級生たちと会う機会がありました。日中は明るい今どきの趣味を持ち、長く付き合ってる彼氏がいる、どちらかといえば陽キャな人たちと洒落たかき氷を食べました。夜は趣味を強く持ち、個々に独立しているため相談ができて、人生観が似ている人たちと家で日本酒を飲みました。

 

 そんな夜。友達Aがふと呟きました。「友達がいない」と。確かに友達Aは転勤族で、最近まで遠方に住んでいたため学生時代の同級生は周りにいませんでした。ふとした時に会うには物理的に距離がありますから、友達がいないと思うのも当然です。

 

 「いや友達おるやろ」と私は言います。昼に会った人も夜に会った人も、全員友人Aのために隣県ではありますが遠出してきたのですから。交通費を払ってでもその人に会いたいと思われているということは、人に親しみを持たれないとできません。

 

「友達がいないのよ」

「いや友達おるやろ。だってみんなお前に会いに来たんだし。友人Bと連絡だって取ってるし。私なんか酒を飲まないと人を誘えないぞ」

有機栽培っていっつも酒を飲むと人に遊ぼうってLINEするよね」

「酒によって自己肯定感を増幅させないと誘えないからね。平常時に誘って断られたら半年ぐらい誘えない」

「でも、それでもLINEできる存在がいるって羨ましいわ」

「いやいや、LINEできるのは2人だけだし。しんどい人生よ」

「嘘だぁ、有機栽培めっちゃ友達いるじゃん」

「心の準備が必要なんよ。その人に会うために見合った話題とかがないと申し訳なくて会えない」

「えっ、友達ってなんでも話せる存在を指すんじゃないの?」

 

 実際にあった会話です。目から鱗でした。友人Aも私も口癖が「友達がいない」だったんですが、そもそも友達の定義が異なってたのです。

 

 友人は「友達オールラウンダー派」でした。友達には何でも相談できるし、どの話題を振ってもいい。素の自分を信頼してくれて、こちらも素を出すことができる。友人に会うからと身構えたり準備をすることはせず、会うだけでストレス発散になる。なのでギャルだったり文学少女みたいなタイプの違う友人もいるし、その人たちの根本が気に入ってるので、生活状環境や価値観が変わっても友情を継続することができます。ただ、そんな全幅の信頼を寄せれる人は貴重なので、絶対数は少なくなります。

 

 私は「友達役割分担派」でした。その日会う友達によって話題やキャラや服装メイクも全部変えます。この人には呪術廻船の話をカジュアルボーイッシュな服装で、この人相手にはスカートを履いてジャニーズの話を、この人相手にはアクセサリーが着けれるし人生が辛い話ができるな、とか。話題の分だけ友達はいますが、その話題がなければ誘うことが難しい。その人の趣味が変わると、もう会えなくなります。LINEに友達はいますが、社会人になると出会った時と趣味も人生観も変わってしまうので、誘える人は皆無です。

 

 なんで自分は「友達役割分担派」になってしまったんだろう。理由を考えますと、多趣味であったからだと思います。学生時代に人見知りをしない人間だったんですが、何分多趣味だったので、相手と共通の趣味を見つけて盛り上がることが多くありました。そのせいで、趣味の話以外の会話をあまりしてこなかったせいで、この人にはこのジャンルを話せば楽しいし困らないと刷り込まれたんだと思います。現に、何気ない雑談が苦手です。おしゃべりオタクゆえの苦悩。

 

 あとは自尊心の低さ。私と話してくれるありがたさが第一に来るので、せっかく自分に貴重な時間を費やしてくれてるのだから楽しませたいと思ってしまいます。相手が望んでいる自分を演出しないといけない。彼女とは高校生の時にあったから、突き抜けた馬鹿にならないと。君とは大学の時に会ったから、行動力のある旗持ちをやらないと。そんな感じで自然にスイッチが入ります。不誠実そうに見えますが、全てが私の要素で嘘ではありません。本来の自分に自信が持てないので、過去の強かった自分の面影を武装してるだけです。

 

 共通の話題から会話を始めてしまい、それに甘えてしまう癖と、相手に楽しんでもらいたい思い。そして価値のない自分は見えないようにする気丈な振る舞いが、いつしか「この話題はこの人」っていう縛りを作り上げ、「友達役割分担派」な自分を生み出したんだと思います。

 

 あとブスって小学生の頃に言われたのも関係あると思います。過去のブログでも書きましたが、「ブス」は呪いなので。顔に価値がないから、せめて面白い楽しい人にならなきゃ。ブスだからカジュアルな服装をしなきゃ。そして彼氏ができたら、ブスは女の子っぽい服装や恋愛の話をしたら気持ち悪いので、友人に会う時は昔の自分でいなきゃとか。人生縛りプレイが長くて大変です。

 

 前者の友人に何でも求めるタイプの友人は少ない理解者から「友達がいない」といい、私は素が出せないゆえに誘える人が無く「友達がいない」と言ってました。どちらもタイプは違いますが、孤独感との戦いがあります。

 

 他の友人は私と同じタイプだったんですが、地元のコンビニで偶然知り合いに会うが地雷っことで意気投合しました。スイッチや会うという気合や準備が無い状態で、急に知人にあったらびっくりしますよね。素を受け入れられてる自覚があるならばいいんでしょうけど、私は己のキャラを壊すことに酷く抵抗感があるので、オフの自分は見せられないです。

 

 みなさんはどっちのタイプでしょうか。友達は多い方がいい、いや少ない人と深い仲の方がいい。どっちが幸せとか、羨ましいとかではなく、己の孤独感の奥底にある理由を考えるのも大事だなと思った出来事でした。あとその場にいた全員が「最も難しいのは人間関係の継続」と答えてました。学生時代のように3年サイクルで人間関係をふるいにかけていきたいのが理想です。そしてどっちにしても人は孤独。