夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

日曜日の憂鬱

 

 お疲れ様です。有機栽培です。

 

 普段は何かしらテーマを決めたり、伝えたいことを最低限決めて記事を書くんですが、今日は疲れたので今の状況と考えてることを、脈絡なく書き残そうと思います。私は女ですが、自問自答するときの本来の一人称は僕なので、僕を使います。でも私も出るのでごちゃごちゃしてます。ご了承を。

 

 そういえば今日、三浦しをんさんの「風が強く吹いている」を読んだけど、主人公たちがひたむきに努力する姿と、己の現状と太った肉体を考えて悲しくなった。フィクションの世界と現実を比較することほど不毛なことだが、それでも輝かしい登場人物と薄暗い自分を比べてしまうのは、就活以降からでた悪い癖だ。そして必ず自己嫌悪に落ち込んでいる

 

 さて、話を戻す。どのくらい疲れているかというと、急に涙が出てくるぐらい。もう病気なんだと思う。日曜日の夜になると月曜日の仕事がいやで、すべてのバランスを崩してしまう。

 

 休日に明日の仕事を考えるだけで涙が出るって普通じゃないですよね。一年目はつらかったけど乗り越えたという人は、仕事がいやで泣いたりはしなかったのかな。怒られて涙が出るのはわかるんですが、想像して不安になってたら勝手に涙が流れるのは異常だよね。そして「普通」じゃなくなったことに、涙のしょっぱさで気づかされて、僕はそのショックでまた泣くのです。壊れた精神は戻らないと、どこかで見たことがあります。

 

 最近はもっぱら転職について考えています。実際にWEB履歴書も何社か送っている。この前たまたま一社通りまして、仕事内容も興味があると喜んでいたんですが、賞与なし退職金なし住宅補助なし。月給25万円で東京1人暮らしは可能なのか。まず僕の貯金が10万あるかないかだよ。だって一年目で転職しようだなんて思っていなかったし、実家を出ようとも精神科に通おうとも思っていなかったのだから。暮らせるのか?まず引っ越せるのか?敷金礼金すら払えない。それなら2年間頑張ってボーナス貯めて、新卒採用で大手を受けてみるのが堅実なのかなとも思います。僕の精神が保てばだけど。

 

 最初はライターになりたいと考えました。社会人になって褒められたのは、SNSのみんなから褒めてもらったブログだけです。それが嬉しかったので、文章を書く仕事なら向いてるのではないかと思いました。でも、未経験の募集がほとんどない。基本的に「2年以上の経験」という言葉が並びます。

 

 ライターがだめなら、作家を補佐する編集を探しました。特に雑誌編集というのは、好奇心が旺盛でミーハーな私にとって向いてると思いました。いろんなジャンルに夢中になれる人のほうが、あらゆる記事に関わる雑誌編集にぴったりだと。でも、こちらも経験者募集ばかりでした。新卒でこの業界に入らない場合、契約社員で入社して正社員を目指すしかありませんでした。しかし私は地方在住の身。東京に実家があればチャレンジしていたかもしれませんが、人生を賭ける踏ん切りがつきませんでした。

 

 転職サイトをフラフラして次に見つけのは広告代理店でした。自分はコピーライターという職業も格好いいなと思っていたので、何社か応募しました。クライアントのためを思い広告を打ち出すことは、就活生の頃に提案型営業のメーカーを受けていた自分の就活の軸と変わっていなかったので、良さそうに思えたのです。実際1社書類も通りました。前述した賃金形態が微妙な企業になります。

 

 でも今日図書館で広告代理店のことを色々調べたんですが、みんなが憧れるような華やかさは皆無らしい。しごかれたりするらしい。家に帰れないらしい。そういや電通で過労死した女性がいたなと思い出しました。業界トップで、最近の著名なコピーライターは皆電通で仕事していると言えるほどの大企業でも人が死ぬ。そんな業界で働いたら僕は潰れるだろうなと予感してしまう。

 

 結果的に何にもなれないことが判明しました。クリエイティブな職は付きたいけど実績が無い。ゆったりと働きたいけど、独自性が求められたい。威圧感につぶされたくないが、求められたい。あぁ矛盾。人間は矛盾しかない生き物だから、それごと愛せばいいと誰かが言ってましたが。障害でしかないよ。

 

 また転職が現実味を帯びてくると、本当に公務員を辞めて良いのか不安になってくる。福利厚生はすごくいいんだと思う。誰もが憧れる職業なんだと思う。口の軽い母が親戚の叔母さんに私が病んで辞めそうだと言ったら驚いた反応を返したらしい。それぐらい、辞めるヤツがおかしいと思われる職業。なまじ、職場の人間関係は別に悪くない。部署の人たちは全員忙しそうで、自分がいかに無能かいつも考えさせられる程度には優秀な人たちの集まりだ。忙しそうなので、最近まったく報告も相談もできないけど。てかトップが威圧的だから、報告なんてほとんど怖くてできないけど。

 

 誰にでもできる仕事、公務員。それすらできない私が何ができるんだって話なんですがね。僕の机は今、考えたくもないほどの仕事があふれている。マルチタスクが死んでいる。今週大きな会議があるから、上司に相談しなくちゃいけない。相談しないと正解が分からない。あっ、明日行きたくないな。行ったらまた落胆が見えるし、私はトイレでご飯を食べる。便所飯のコツは咀嚼音を出さないこと。便座には座らず、個室の床で体育すわりして時間がたつ恐怖におびえる昼休みにも慣れてきた。いつか1時間昼休みが貰えたらいいな。

 

 職場の人は優しいけど、何人か地雷みたいな人たちがいることもうわさで聞いている。みんな結婚と子育てが幸せの条件で、田舎から出なかった人たち。公務員になりたくて勉強した人たち。幸せの条件も、この職業への執念も違う私は浮いている。何も勉強せずに受かった私は、入った成績もよかったと間接的に聞かされた。でも半年たっても1人で仕事もできない。精神だって崩壊して、日曜日は憂鬱で涙が勝手に流れる。薬をアルコールで流せば倒れないかなと願う。仕事がいやで、眠れない。親、親戚、友人、同期、職場の人たち。すべての人の期待を裏切って、仕事ができないから辞めようとしている。

 

 なんで仕事ができないんだろう。答えは明白だ。辞めたいから。涙が流れるのだって、私は追い詰められてるんですアピールだし、トイレから出れないのもきっと書籍で読んだ病んだ人の症例をまねているんだろう。そういうずるい思考回路なんだと思う。そんな人間に仕事なんかできない。でもいままでこんなことしたことなかった。これらの行動が自己防衛のためだとしたら、私はかなりのストレスを抱えているんだろうな。

 

でも辞めたいんだから。こんなところで僕という人間を終わらせたくないから。なんか、なにか活躍できるフィールドがあると信じて。少なくとも還暦まで絶対に勤めたくない職場なんだから、1年目で辞めるのも38年目で辞めるのも変らないんだから許してほしい。

 

 プライドが高いのだろうか。みんな思わないのだろうか。どうして私だけ苦しいのだろうか。みんな自分の内面と向き合わないで、鈍感に生きているのだろうか。自己見つめることは、昔から社会において軽んじられている。相手のことを自分のように考える力と、自己を見つめながら深く考察する力。そのどちらも「思慮深い」という共通の言葉で表現されるけど、前者はコミュ力と持て囃され就職活動で無双するのに対して、後者は陰鬱な引っ込み思案と断定されて詰む。他者ではなく自己に思考のベクトルを向けてしまった人間は、作家になる以外食べていけないのだ。一個間違えただけで、決定的に人生ハードモード。

 

 職場では早く辞めたいと願いながら、仕事ができない烙印を押される。この田舎で呼吸をするだけで、いろんな人の落胆の声が聞こえる。都会に出ようと転職活動をすれば、私の22年間の人生の無価値さと対面する。必須条件経験者という文字に、あんなにつらかった就職活動は何だったのかとやるせなくなる。

 

 

  仕事のことを思い出して、人生の失敗に悲観して、涙こぼれる。痛くないし悲しくないのに、涙腺が緩む。楽しく生きてきた、大学卒業までの22年間が今の不甲斐なさを生む。罰せられるべき犯人は自分だ。過去の自分が今の無能を作り上げた。

 

 

 学生のまま死ねばよかった。毎日友人と何も言っていないのに学部棟の1階に集合してご飯を食べて、教授の部屋で近況をうだうだ話し、バイト先で後輩と馬鹿笑いして、夜中10時集合で友人たちと家のみして朝4時解散。カラオケオールだってしちゃうし、そのまま1限を寝過ごそうとする友人を叩き起こしたり。

 

 あの頃の自分がこちらを指さす。「社会人になれない人種なのだから、死ねばよかったのだ」と。幸せなまま死ぬのは、自由な選択だと。来年から奨学金の返済が始まるのに、東京なんて出れるのか。やめてくれ、それでも私は今の職場を辞めたいんだ。辞めたいし、少なくとも10年はこの土地に住民票すら置きたくない。東京に行っても幸せになれるという確約は無いというのに。ここから逃げ出したくてたまらない。

 

 朝は机を拭くんだぜ?職員のもだ。どこの自治体もやってないのに、ここは慣習として残っている。女性だけの集まりで盆踊りの練習をさせられる。新人は半強制。1月には泊りがけの新年会。誰かがやめようといわない限りずっと続くのだ。みんな口では変だと言いながら、だれもやめようとしない。そんな組織、だれがいたい?変革すら起こらない。だって自分は新人じゃないからしなくていいし行かなくてもいい。おかしいでしょ。おかしいから辞めるのです。馬鹿らしい。うんざりするよ。

 

 どっちに転んでも地獄なんだ。東京に行ったら金が無いし、まず行く資金すらない。もっと病むかもしれない。けど今の職場はもう限界だ。入ってから分かったが、公務員は向いていない。公共の福祉の精神はあるが、組織が壊滅的に合わない。1年間は公務員が合わないという勉強料だったのだろう。そう信じさせて。

 

 

 発作だね、発作。明日が仕事かと思うと弱音を吐きださないといられない。己を責めないといられない。やりたいこともないのに認められたい。好きなこともないのに必要とされたい。得意なこともないのに褒められたい。何も持たないのに羨ましがられたい。月曜日が来るからと眠らない脳で、ぐるぐる考えている。

 

 

 

 

 あぁ、日曜日の憂鬱。誰か、朝の自分を殺してあげてください。