最近、社会に向いてないぞって思うことが多い。いや、今までの振る舞いが許されなくなってきたなあ、と薄っすら背中が寒くなる。仕事はできない、会話も難しい。いじられキャラとしてヘラヘラするしか組織に属せない。それは、私が私自身に甘いせいで、流され続けてなんとなく生きているからに他ならない。楽に流されている自信がある。
公務員時代に苦労して、もう頑張ることをやめよう!と東京に来たのだが、公務員時代も別に頑張ってはいないのである。ずるい人たちに囲まれて、犠牲になって働いただけだ。犠牲と努力は違う。犠牲はただ消耗するだけ、努力は高みを目指すこと。
生きるためのスキルなんて伸びない。怒られることを極端に恐れる、笑われることに徹する人間にジョブチェンジ。でも、笑われる道理もないだろうと叫びたくなる。
ちぐはくが心を壊すことを知っている。矛盾こそ病の源だ。顔だけ平気なふりをして、心が辛い底に飛び込むことだけを考えていると、だんだんと虚無感に蝕まれることになる。鬱の入口は簡単にやってきて、肉体もろともぬかるんだ泥に沈むような感覚に囚われる。
病むまで働いて鬱になったとして、精神科に行ったことは誉ではない。その時で私の活力も生き抜く術も上限になってしまった。時間だけが過ぎ、周りの同級生が先に進んでいくことをじっと見ているだけだ。鬱は時間を無視して停滞し続けることなのかもしれない。時計の針が進んでいって周りが結婚出産昇進をしていく中で、私は新卒2年目の精神性しか持ち合わせない。
何も取り柄がないなあ。凡庸以下。この前の休みは、暇が嫌になって酒を飲みに行った。友達と遊ばない休日が怖いのだ。暇になった途端、空っぽの自分の輪郭がはっきりする心持ちになる。誰かと話して意識を外に向けるか、何かに夢中になるしかない。この年で夢中になるための好奇心は底を尽きたので、目を瞑って眠るしかない。
埋めるたびに何かを食べてしまう。鈍くするために酒を飲む。意識を背けたくて本を読む。病みたくなくて外に出かけてラジオを聴く。小さな達成感欲しさに料理を作る。
人生は死ぬまでの暇つぶしというが、正気に戻って死にたくならないように常に意識を逸らし続けることが、私の人生のような気がする。消極的人生。いのちのかがやきがテーマの時代に似合わない標語だ。夜景とか見たら目が潰れるんじゃないか。それとも慈悲深い心が深夜残業の光だと涙をこぼせるのか。
仕事では手がつけられなくなってから営業に相談されるし、日記祭は落ちましたし。私って何もないなあって思い続けてました。いやあ悔しかったね!当選メールが来たと思ったら不手際で落ちてましたすみません!とすぐメールがきました。友人は受かったとのことなので、余計ダメージを負ってました。ぐええ。下北沢に縁がない。普通に実力不足で面白い本を書けてない私が悪い。委託も落ちてるし。
11/23の文フリは初めて参加する予定です。近い日程で友人がコミティアに出ると聞いて、私も文フリでるよーっていうか言わないか迷っています。恥ずかしいので。
前にこのブログで、彼氏ができたからってリアルの友達は率先して話題にしないで欲しいと書いたら、それを読んだ友人から謝罪の連絡があって気まずくなりました。読まれてたことを知らなかったのです。ここで書いたことってリアルの人間関係に影響するのは嫌だなあと。誰にも読まれてないか好き勝手書ける反面、リア友に読まれたくないことは書かない方がいいのなという悩みがあります。
私のことだけ知ってて、そっちの内面のことは知らないのにね。フェアじゃないよね。と思ってるんですが、何かアカウントとかバレるんですよ。酔った拍子に言ってたとしても、友人たちが見ている前提で書いてないんだから見ないで欲しい。見ないでくれ!!見るんだったらそっちのアカウントも教えてくれ!!相互ブロックだ!!
インターネットは難しい。ずっと気持ちが落ち込んでいるんでネット断ちしてよく寝れば幸せになれるんでしょうか。それが停滞する原因だってね。鋼のメンタルが欲しい。ちやほやされたい。温泉行きたい。週末友達と温泉旅行だ!三連休まで生きよ。
元気が出たら原稿頑張ります。薄くてもいいのでなんか出せるように頑張ります。

写真フォルダを漁ってたら多幸感溢れる桃パフェが。職場の人と食べに行きました。親戚一同皆バラ科の果物が食べられず、りんご農家の孫なのにりんごも桃も生色ができません。先日セブンイレブンの桃アイスを食べたら喉が痒くなり、とうとう私も発症かと怯えていたのですが、無事無傷で食べることができました。
アレルギーは私の中のキャパシティを超えると発らそうです。これからは年に一度、とても美味しい桃パフェを食べることを縛りに生きていきます。加熱したら失われる瑞々しい甘さと渋さのバランス。果物で一番美味しいのに!!

私が調理できない料理の一つ、ゴーヤチャンプル。ゴーヤの下処理、豆腐の水抜き?がよくわかなくて敬遠している。子供の頃、母親が味の素アンチだったからかスパムも食べたことがない。
彼がお土産で買ってきてから少しずつ口にする機会が増えました。今年も作ってくれたので、缶ビールと共にいただきました。別れたらゴーヤチャンプルを作るたびに思い出すことになるのか。思い出が増えると気づけば当たり前になっていることが多い。製氷機で氷を作ること、わさびはちょっといいチューブを買うこと、ワイシャツを干す時はボタンを2つしめること、寿司はご馳走様ということ。ずっと当たり前であって欲しい。
そろそろ最寄り駅です。それではまた。