夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

愛をこめて花束を

親友が好きだ。こんなことを言うと、自分が色々と勘ぐられることが多い。まあ勘ぐられてもいいぐらい好きだ。でも、そんなことも言ってられない現代社会だ。恋愛以外の心の繋がりも尊ばれる世の中になればいいのに。

 

そんな親友に思いつきで花束を渡した話である。まずは、昔の話を書こう。

 

彼女はとても素敵なので、昔から好意を寄せられる機会が多かったように思える。幼稚園から高校までずっと同じ学校だったので、お友達グループが高校で別れた時も、周囲の人間関係を把握することは出来た。なので、彼女に想いを寄せていた人間のことも、何となく情報だけは耳にも入る。ただ、私は恋愛の話題がこの上なく不快なタイプなのが災いして、面と向かってこの話題について話したことは無いし、当時は恋愛なんぞより楽しいことが溢れていた。

 

 しかし、大学進学を境に、我々は道を違えた。地元と進学先はあまりに遠く、接続するものは夜行バスしかない。寝ても覚めてもGoogleマップが新潟と表示する3列シートの夜行バスは、そのまま心の距離となる。地元の大学で人気者になった彼女の人間関係は把握出来ず、年に数回帰省する時に会う間柄になってしまった。会うには新潟を超えねばならないが、新潟は長すぎる。

 

新潟を越えることに四苦八苦している間に時は流れた。ある年の、彼女に恋人なるものができたという報告の衝撃と、阿鼻叫喚の地獄絵図を私は忘れない。確か、友人も含めたLINEの名前を、小林一茶の「 亡き母や海見る度に見る度に」に変更したように思える。海を見る度に亡くなった母の愛情を思い出すという内容だが、転じて恋愛をしたお前は死んだと同じなのだから海を見る度に彼氏のいなかったお前を思い出すよという意味で送った。過激。一緒に海に行ったことは無い。あとテニミュの画像を沢山送った気がする。スタンプテロに近い。今も見返したくない。

 

親友の彼氏っていう存在が、嫌い。 - 夏さ、また。

↑この記事に当時の気持ちがある。

 

初めての事だったので、そこから1年間連絡を絶った。今思えば嫉妬なのだと思う。あと明るい大学生活を送っている彼女が怖かった。こちとら、おそ松さんを1日3回見ているオタクライフだったのもあるかもしれない。オタクとキラキラ女子大生は相容れないのだ。

 

嫉妬しながらもずっと気にしているので、いいねはしないがTwitterでは覗いていた。ちらっちらっと見てはいるが、遊びの誘いはない。新潟が大きすぎるから仕方ない。

 

しかし、夏にちょっとヨーロッパを1人でぐるぐる旅する夢を叶えることにした私は、テロに巻き込まれて死んだら後悔すると思い、正月の帰省の時に連絡をとった。偉い。そして思い残すことなく、ここ最近連絡をとっていなかった理由を告げた。「彼氏が出来て嫉妬してまして、連絡とりませんでした。今もそこそこ腹が立ってますし、私の方が仲がいいと思います。」

 

  普通は依存してくる幼なじみは気持ち悪い存在なのだが、彼女は言った。「嬉しい」と。初売りに湧くヨドバシカメラエスカレーターで、こいつ意外に変なやつだなと、的はずれな感想を抱いた。今思えば、器の大きさに感服である。いや、やっぱクレイジーが強い。

 

その後も、彼女には恋人が何人かいたように思える。あんまり覚えていない。そんな性別だけで彼女の特等生に座ることが出来る指定校推薦みたいな男たちなんぞに興味はないのだ。私には彼女と過した時間の流れと、彼女のお母さんからの熱い信頼がある。ちょっと背が高くて筋肉質で、性器の形が違うだけで手を繋ぐことが出来る特権を有している、彼女の恋人が狡いのである。

 

それよりも、私たちには語らうことが沢山あった。2人とも酒に強いので、沢山酒を飲むことが楽しかった。どんなことにもユーモアを生み出し、2人にしか分からないツボを押えて笑うのが楽しいのだ。最終的になんでも面白い時間がやってきて、看板や鳩の挙動ですら面白くなるのだ。他人の話なんぞ、する必要が無い。

 

彼女はいいやつだった。就活で苦しんだ私は、色々と終わったあと「就活で自殺しようとしたよ」と言ったら、酒に強いはずなのに彼女は飲みすぎて人生で初めて吐いた。動揺したらしい。就活の記事で、内定が出ない憂さ晴らしに手持ち花火を行ったのも彼女の実家の駐車場だ。スミノフの瓶がエモいとか、ヘビ花火をうんこ花火と呼んではしゃいだ。ジュディ・オングごっこもした。

 

 卒業前に進学先に来たので遊んで、強風の中環水公園近くのテンガン山みたいなオブジェの上でポーズを撮ったり、夜間開館中の21世紀美術館のプールが貸切状態だったので溺れる写真を撮影した。彼女が遊びに来た早朝、緊張で深酒した私はトイレにスマホを落としてしまい、乾燥のためジップロックに米とスマホを入れたものを片手に再会したのを覚えている。

 

社会人になり地元に戻ってからは、年に数回遊ぶようになった。私は地元に殆ど友人はいなかったし、激務で病んでいった。対して彼女は友達に困ることも無く、仕事も順調だったように思える。恋人がいたかどうかは覚えていないが、いると仮定して遠慮した。キラキラと明るくて眩しかったのだ。こんな人間が物理的距離を理由に依存してはいけない。

 

緊張です上手く誘えない期間が長らくあった。転機となったのは、親友の家で遊んでいた時に親友の彼氏が乗り込んできた事件だと思う。帰ろうとした時、数日前に小さな争いがあったという彼氏が手書きの便箋を持ってやってきたのだ。唖然とする私。親友が怒った姿を見たのは、最初で最後だと思う。

 

  許してもらうことだけを考え、自分の何が至らなかったのかという根本的な解決に至っていない弁明の手紙を音読し、添削する赤ペン先生になったのもこれきりだ。私は深夜遅くまで残り、まだ近くにいないかパトロールして帰った。彼女は別れた。今となれば笑い話だが、恋愛という関係の歪な恐ろしさと、「男」という存在の気持ち悪さがピークに達した時だった。人を狂わせる何かがあるのだ。

 

その後、私は病んで仕事をやめて上京した。取り巻く環境は日々変化しているが、幼稚園のお誕生日のお祝いで一日違いの女の子がいるんだなって思った時から、今日この日まで関係は続いている。正月には会うし、年賀状も送り付けている。

 

そして自分に彼氏がいる癖に、今なお親友の彼氏には嫉妬している。親友の彼氏という存在に対抗しているかもしれないし、会わないようにもしている。会わなければ想像の範疇で収まるのでどうとでもなるのだが、会ってしまった時が惨い。社会的にも精神的にも負けてたらどうしよう。そもそも勝ち負けなんか無いのだが、優位な立ち位置を取り続けたい。これでは、別れたくないと弁明の手紙を書いた男と同じである。

 

依存。人に許されているという心地良さに、親友という言葉の耳障りの良さに酔ってしまうが、ただの依存である。ここまで拒否されてこなかったからという甘えが前面に出ているだけだ。同じコミュニティに属していないから適切な距離を取れるだけで、近かったら気持ち悪い人間である。

 

  わたしは彼女が今日何を食べて、今週はどのYouTubeの動画が好きで、今好きなバンドを知らない。それを知るのは、一番会っている恋人だろう。あいつはSNSをしない。知識量がアップデートされない。普通に悔しい。この感情も、あまりよくないのだが思ってしまう。悔しい!

 

ただ、私も大人だ。社会人だ。そんなことが頭に過っても行動しない。普段考えないようにしているし、遠くに住んでいる。会ってそんな話もしないのだ。ただ、この肉体の内側に苛烈な思想があるだけである。なんで親友というポジションは社会的に二番手以下になってしまうのかという悩みと、それは私にとってブーメランになるということ。

 

そもそも大切な人という椅子は1つしかないという訳ではなく、恋人部門や家族部門や親友部門に別れており、優劣はなく並列に語られているということ。

 

ただ、長年の人間の営みと社会性が、恋人を特別視して語ってきただけである。社会が持続するために、家という単位が最小のコミュニティとして機能してきたからだ。家を繋げることが人間の社会を未来へ繋げるいちばん良い形として、効率的であると信じられてきた。

 

  だから、家を目指すのが本能であり、家の素になるつがいを羨望し求める。動物的な種の保存という本能を言い換える形で、「恋人」という座席が尊ばれたのだと思う。尊ばれないと、誰も結婚しないからな!ガハハ!少子化待ったナシ!

 

そんなある年末、帰省した酒の席で彼女が同棲するかもしれないと聞いた。互いに家を保持していつでも別れることが出来る半同棲ではなく、2人で住むための家に引っ越すという正真正銘の同棲だった。あまりに衝撃だったので、帰省の記憶がこの場面と家の近くのバス停に降りた寒さしかない。

 

 20代後半だしな、と思う。中学高校の同級生どころか大学の同級生すら最近結婚し始めてるしな。ブームだよね。いや、人類史始まってから結婚がブームなのはわかってるけどさ、旅行の方が手軽で楽しい趣味だと思うよ。それともあれか、親友の兄が結婚したからか。身近な人がしていると結婚っていいなって生放送が脳に直接お送りされるもんなあ。なにやってくれちゃってんの。

 

私の周りのその遠くの知人はみんな人生スゴロクで駒を進めてさ、昇進結婚妊娠出産とかなんか色々してたけど、他人事だと思っていた。とうとう最寄りの人間のサイコロが振られようとしているじゃないか。

 

困ったな。困ってしまう己の醜い心が憎たらしい。おめでとうと言いたいが、何故か親友の彼氏よりも親友を喜ばせたくなった。

 

一緒に暮らしてしまった以上、出し抜くことは不可能だ。過ごした時間はどんどん増えていく。思い出だって増えていく。男、彼氏にしか許されない領分に立ち入ることはできない。

 

そういえば賃貸契約の時に名前を連ねたりするんでしょう。私と親友の名前が並ぶ法的な書類なんぞ一生手に入らないぞ。当たり前なんだけどさ。法的な立ち位置で並列を望むことはできない。第三者の証明は得られない。

 

そうなると、インパクトだ。でっかいインパクトで霞ませるしかない。なんか文字したら馬鹿らしいな、でっかいインパクト。初めての結婚式とか旅行とか引越とかライブイベント全部を彼氏とすると思うから。何かしらの初めてか、今までの事を霞むようなでっかいインパクトを大脳に刻み込んでやろう。

 

今後、ことあるごとに思いだせるような、土地と結びついたことがいい。何かによってふと、ここであんなことがあったなと思えることがいい。いつも会える彼氏には到底できることがない、突発的で刺激的なサプライズがいいだろう。

 

 たまにしか会わないやつ(自分)&たまにしか使わないけど馴染みがある場所(駅)&人生あんまりないこと(サプライズ)を組み合わせれば、でっかいインパクトは生み出すことができる。27歳が捻り出す語彙では無いけど、いいじゃないか。

 

アクセサリーは重いと同級生たちが教えてくれた。指輪は男の専売特許だ。香水は好みがある。消え物は誕生日プレゼントの枠で渡すつもりだ。家具とか置物は引越しの時邪魔になる。アルバムとかだったら面倒くさい女だ。もっと花火みたいに、瞬間的に記憶に焼き付けるものがいい。

 

ロマンチストな己の心に従って、花束をあげることにした。新幹線で花束を運ぶなんてことはあんまりしないし、再開直後に大きな花束を持って駅に現れたら、一生忘れることはないだろう。大荷物になって不便だろう。大変さも一緒に覚えていればいい。

 

下準備として東京駅の花屋を調べた。新幹線のホームから近いところに花屋があった。どうせ送るなら、真っ赤な薔薇を送りたい。季節じゃないからちょっと高額らしいが、ボリューミーじゃないと花束じゃない。友人の好きな色と私の好きな色を混ぜて、いい感じの花束にしよう。

 

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そして当日購入したものがこちら。この大きな紙袋を持ち、キャリーバッグを引っさげて新幹線に乗るという状況にワクワクする。遠距離カップルみたいで己に酔えてしまう。逃避行する人に見えるかもしれない。わざわざ東京から持って来る人は稀だろう。頭のいい人は地元の駅の花屋で予約して受け取るだろうし。でも、この過程をやってみたかった。

 

親友に花束を渡すのはこれで2回目である。一度目は友人の1人暮らしの家に遊びに行った時、思いつきで買ったことがある。人に花束を渡す機会は人生でないだろうなと、ふと悲しくなったことに起因する。その日は親友の元カレがやってきて最大限に揉めたので、あまり花束にいい思い出がなくなってしまった。

 

それでも親友はその花が枯れても飾ってくれていたので、ありがたいなあと行く度に思ったのである。嫌な思いでも染み付いているだろうに、ずっと花瓶にささっていたのだ。毎日家にあるんだから嬉しさと嫌な思い出が入り交じって、変な気持ちになることもあるだろう。

 

悪いタイミングで渡した贖罪の想いがあった。名前をつけて保存なんかしないで、いい思い出で無理やり上書きして欲しかった。同棲したら結婚するかもしれないし、その前に花束を見たら私を思い出せばいい。結婚式に行ったことは無いけれど、花束は絶対登場するだろう。人生の節目を彩る花は祝福を意味するべきだ。

 

場所は私たちの玄関口である大きな駅だ。駅は3階に新幹線ホームがあり、大きな2つのエスカレータがステンドグラス前と呼ばれる待ち合わせ場所を挟むように伸びている。吹き抜けになっているため、エスカレーターに注視さえすれば花束を掲げている人間は簡単に見つけられる。

 

これぞでっかいインパクト。私は地元に知り合いは殆どいないので、恥を晒してもダメージはない。地元に住んでいる親友は、この先ずっとこの駅を使用して、ステンドグラスの前で私の知らない人間と待ち合わせするだろう。

 

その刹那、変なやつがいたなって思い出して貰えたら。こんなに色々と書いているが、ずっと私のことを覚えていて欲しかったのだ。これからも年に何回も会うし、死ぬまで遊ぶけど。それでもやっぱ、自分をちょっとだけ人と違う記憶の席に座らせて欲しい。正真正銘のエゴだった。

 

やあやあと意気込んで降り立った駅はとても寒い。それもそのはず、2月である。片手には親友への誕生日プレゼントと花束を入れた紙袋をふたつ。もう片手にはキャリーバッグと荷物が入ったトートバッグ。手が足りないのだ。勝手に自分に酔っていたが、荷物過多のちんちくりんである。

 

しかも親友が見つからない。一度エスカレーターを降りるも見つからない。ステンドグラスを見ても見つからない。もう一度上に向かい、また降りた。そこでLINEが入った。

 

「間違って上に行っちゃった」

「服なに色?」

「白い」

 

見上げるとエスカレーターを下る見覚えのある顔。当初のプランは大きく外れ、上下逆になってしまった。仕方ないので、エスカレーターの降り口に出待ちをして合流した。

 

まずは誕生日プレゼントの袋を交換する。それだけで楽しい。その後花束を渡す。膝から爆笑して崩れる親友。そうだ、これが見たかったのだ。このために1ヶ月間プランを練って、全部だめにしたけれど。どんな結果になったとしても笑ってくれる安心感。

 

笑いすぎて息ができない親友を眺める。こんなことを、幼い頃からずっとしてきた。親友の方が素敵で器用で友人も多い。でも、君を笑わせることは結構得意だった。先の長い人生も、ずっと笑わせたいなと思う。君が笑ってくれるだけで、結構どうでもよくなるものだ。

 

  人生とか将来とか関係なく、今親友を笑わせている己の影だけが、環境や年齢を隔てても、学生の頃のようにそのままだった。


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 せっかくだからと手に持たせた。綺麗な花束だ。君が持って完成する。このまま予約してた店に向かった。PARCOの前で、「プレゼントした櫛に模様を彫るサービスがあったので、共通の星座を掘った」と言っていた。君と私の誕生日は1日違いだから、苗字も身長も違う2人にとっての唯一の共通点だった。中々に君も重いなあ、と嬉しくなった。舞い上がっていたのは私だけではないのだ。


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その日食べたジンギスカン。最高に美味しい。

 

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その日食べた好きなお店の前菜盛り合わせ。これも相当美味しいかった。楽しくてたまらない夜だった。こんなに飲んで、騒いだ夜はないんじゃないかな。酒を飲む量が等しい友達はあんまりいないから、こんなに自由に飲めるのは久しぶりだった。

 

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後日友人から送られてきた写真である。嬉しいね。飾ってくれたらしい。前に嫌な思い出が詰まった花を活けた花瓶に生けてあり、上書き保存に成功したのだと嬉しかった。ただ、この部屋に親友は住んでいない。彼と住む部屋に引っ越したのだった。

 

この記事は迷いながら、約4ヶ月の日時をかけてゆっくりと書かれたものだ。もう編集する気合いもないから、二人称のバラバラ感が読みにくかったに違いない。各タイミングで、親友の名前が、君だったり彼女だったり友人だったり変わっただろう。

 

今日、親友が結婚した。LINEが来た。インスタは見ていない。他の友人に緊急で連絡を流した。仕事が嫌で死にたくなって、降るはずの雨が降らない日だった。目の調子が悪くて、高校生の頃のようにメガネで仕事に行った日だった。宝くじを買おうとしたら、冷たく当てられた酷い日だった。親友が結婚した。らしい。

 

友人の1人は、親族の危篤で近くにいなかった。家の遠い友達は、酒をあまり飲まないのに来てくれた。ずっと話を聞いてくれた。2人とも高校の同級生だ。

 

遠く離れた土地で、私は親友の説明をせずに本題に入ることが許された。それだけで、とても恵まれた環境なのだろう。インスタが見れない私に向かって、友人は「指輪と婚姻届が掲載されている」「相手の男が写っている」「お前が苗字で呼んでいる親友の、苗字はきっと変わった」ということを教えてくれた。私はインスタの結婚報告が直視出来なかった。

 

きっとみんな、正しいお祝いの言葉を送っているのだろう。私も送りたい。長めのポエムを送りたい。誰よりもいい文章を、誰よりも高い熱量で送りたい。でも、私はその男に会ったことはないのだ。それだけの人間なのだ。親友と思ってるのは独りよがりで、ファンなのかもしれない。

 

よく分からない空虚を抱えてつらつらと話す私に対して、友人は「今日ここに来てよかったよ」と言ってくれる。何杯飲んでも、3ヶ月ぶりに開けたタバコをふかしても、何も私の周りの空気は変わらない。ただ、そこに惨めな命があるだけだ。親友は駒を進めた。知らない男と、知ってる土地で。私は君の知らない土地で、知らない店で飲んでいる。

 

楽しい話にしたかった。やー、君よ。我々はずっと友達だと。武者小路実篤のように、「実にたのしい二人は友達」と笑うような。細やかな詳細は省いて、笑っていたかった。

 

僕は君に、お祝いの言葉を素直に送らねばならない。それが親友の責務である。しかし僕は、婚姻届に指輪を並べる君に向かって、仮面オーズみたいなマークを作るなと思う。だからオーズのタジャドルのアンクの画像を送り、色々と茶化した画像を送り、紛れるようにジョジョの「祝福せよ」の画像を送った。日本語が打てなかった。友人からは「タジャドルのフィギュアを新居に飾ってる」と返信が来た。そうでは無いのだ。

 

泣きたいのに涙が出ない。やけに煙が見に刺さって片目だけ泣いている。君は幸せであればいい。ずっと幸せであればいい。ただ、君の近くにいないことが悲しいのだ。私が選んだことなのに。私のかなしさはどうしよう。

 

せめて、君の周りにいる純粋な友人のように綺麗な言葉を送れればよかった。3日後には送れると思うよ。送れると思う。君はこんな葛藤を抱えた人間など虫けらのように無視して欲しい。幸せになってほしい。簡単に言えない私を、どうか許して欲しい、

 

マックシェイクを飲んで新宿を歩いた。想像より小さくね?と言ったら、友人が私たちが大きくなっただけだと言う。

 

噎せ返る暑さの中で、故郷の夜の涼しさを思い出した。風が強い日が多かった。星が降る夜なんて腐るほどあり、部活終わり自転車で坂道を下った。話題をそらそうとして色んなことを話したが、全て君に帰結した。思い出が沢山ありすぎるのだ。

 

明日はやってくるのだろう。君は楽しく暮らすだろう。私も楽しく暮らしていくのだと思う。何も変わらないんだよ、苗字しか変わらないんだよって君はいう。これからもずっと遊ぼうねって連絡が来た。

 

 祝う心はある。おめでとうー!って叫びたい。それでも、後ろめたい不思議な心があるのだ。己への憐憫なのか、悼む心があるのだ。顔を知らない君の彼氏を何だか許せないのだ。許せない私に、一番腹が立つ。

 

 何がどうなってこんな感情を苛まれているのだろう。でも、この葛藤を細分化して、名前をつける丁寧な作業はしてはいけない。それこそ、ただの失恋になる。そんな程度の言葉でラベリングなんてされてたまるか。世界で一番、私が複雑な思いを抱えているんだ。この痛みが親友の特権なんだ。

 

誰にも言語化させないし、教えてなんてやらない。感情の一粒、記憶の一欠片さえ愛しく、悲しく、尊いものなんだ。大きいからこそ、虚しいのだ。それがなんだ。いいじゃないか。今はただ、浸らせて欲しい。この感情を抱えることを許して欲しい。

 

私と君だけの27年間は、輝いていた。これからもずっとそうだろう。それが僕らだろう。春夏秋冬日常の一コマに、君の笑い声が頭の中に響くのは変わらない。たまに思い出すこともあるだろう。新しい2人の思い出を作り続けることだろう。

 

苗字が変わっただけなのだ。本当に、それだけのはずなのだ。

 

それなのに、どうしてこんなに喜べないんだ。喜べない自分が憎いんだ。おめでとう、嬉しいよ。一生幸せでいてね。

 

君と僕の間には、くっきりと隔たりがある。それが、可視化されてしまったのだ。情けなくて、たまらない。君の幸福を心から願っているはずなのにね。私が知らない誰かと人生を歩む君を見ていると、寂しくてたまらないのだ。