夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

親友の彼氏っていう存在が、嫌い。

みなさんこんにちは

相変わらずのNNTの有機栽培です。

 

ぼちぼち夜行乗って東京行って、ボロボロで帰ってみたいな日々を続けています。

 

 

そしたら明日の夜行バスを間違えて東京駅ではなく新宿行きにしちゃうし、明日の御社の履歴書書けてないし、てか明日の御社のことを調べてみたらまさかの昨年度赤字だしっで嫌気が差してます。

 

 

就活という終わりなき、評価無き努力が身にこたえる日々にこれは辛いぜって感じでまいってます。

 

 

でも昨日のジャニーズたちが格好よかったし、夢に中村悠一さんも出てきたので幸せです。(マウント)

 

 

 

さて、本題だ。前にTwitterで『昔言われたデブとブスとか、そんな彼氏いない歴=年齢の女の恋愛観を書きたい』とツイートしたところ、反響が大きくて嬉しかったです。しかし自分の恋愛観を語るには色々な要素が多すぎて、とっ散らかる上長文になるので、少しずつ分けて書こうと思います。

 

 

栄えある第1回は『親友の彼氏っていう存在が嫌い』

 

 

私には将来嫌われててもいいから、這ってでも葬式に参加することを決めている親友が2人いる。

 

1人は幼稚園で、もう1人は中学校で知り合った。

 

 

私は昔から陽気な性格が災いして、学校に顔見知りが大量発生する人間だったので、基本進学を理由に人間関係をリセットする癖がある。その中を勝ち抜いた2人だ。人として尊敬できる、すぐに知らない人に自慢したくなる2人だ。いい人。

 

 

私は自分には自信が無いが、この2人と友達になれた自分の審美眼偉いぞって自己肯定に繋がるレベル。

 

 

今回はその前者の親友の話。

 

 

幼小中高、高校に関しては部活まで一緒だった。一緒にオタクとして楽しく生きてた。彼女は容姿も優れており、また天性の愛されキャラであり、高校では沢山の友達に囲まれていた。

周囲の友人達に嫉妬することもあったが、まあ私が一番と納得できていた。

 

 

なぜなら、私たちが所属する文系3クラスには、男子は1割しかいなかったのだ。そのうえ彼女は女子クラスだった。私の嫉妬対象も女子なので、ある程度考えも読める。つまり、多感な高校3年間、私も彼女も男が排除された世界で楽しく暮らしていたのだ。

 

 

事態が急変したのは大学進学。彼女は地元の大学へ、私は日本海側のまだ見ぬ土地へ、それぞれ進路を決めた。基本何でも隣で面倒を見るタイプだったので(アイツ……1人で大学まで行けるんか……)って不安になったことを覚えている。

 

 

かなり遠い場所に進学したため、帰省もあまり出来ず。そんな中親友からLINEが来た。

 

 

『彼氏が出来た』

 

 

??????

 

 

その時の暴走は酷いものだった。LINEを遡ると当時の混乱がよくわかる。彼女と、もう1人の親友、私の3人で構成されたグループLINEを見てみよう

 

 

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ひどい……確か「古文や名文送り付けよう、あいつは違う人類になってしまった」という意図の元、もう1人の親友と荒らしたと思う。

 

これも重いもので、冒頭の

『我を思ふ人を思はぬむくひにや
我が思う人の我を思はぬ』という古今集の歌。

 

 

この意味は『私を好きだって人を何とも思わない報いなのだろうか、私が好きな人は私のことを振り向いてくれない。』つまり、お前のこと好きなのに何でそっちと付き合うの?ってことである。親友に送る歌ではない。

 

 

この時LINEグループ名も変更されており、

『亡き(親友の名)や 海見るたびに 見るたびに』となっていた。

 

 

元ネタは小林一三の『亡き母や 海見るたびに 見るたびに』という俳句であった。死別した母に向けた歌である。つまり当時の私の解釈では、『彼氏の出来る前の私の友であったお前は死んだ。このラインは、死んだあなたを思い出し偲ぶ唯一の場所である』という意味なのだと思う。重いよ……。

 

 

余談だが失恋や別れの古文や名文のあとには、セルフテニミュ(氷のエンペラー)が開催されていた。大量の跡部様と幸村精市の画像もあった。

 

 

話は逸れたが、つまり親友の彼氏というのは私史上初、前代未聞の大事件だったのである。

この直後から、私は親友と一方的に絶縁状態に陥った。認めたくなかったからである。最初から彼女の存在を己から排除してしまえば、私を襲った理解できない喪失感や怒りはなかったことになると思ったからだ。

 

 

でも耐えられず、半年後の正月に2人で飲んで和解をしたんだけどね。親友は初売りのビックカメラにて「彼氏出来たのショックすぎて連絡くれないとか、怒るべきなんだろうけど、なんだろうそれだけで嬉しいわ」という言葉を残している。最強のお人好しである。だからお前は愛されるんだぞ。

 

 

さて、それから3年後。親友は違う男だが人と付き合っている。確か1年ぐらい。

 

 

その男は違う大学の男で、バンドマンらしい。私は1度も会わせてもらったことがないが、SNSではたまに仲良さそうな2人を見ることがある。ただ親友とTwitterで絡んでいると、親友のツイート全てにいいねを押してきて、まるで監視されているようで吐き気がするぐらいだ。吐き気しすぎて確かブロックした。

 

 

ここでふと気づいたのだ。なぜ私がこの彼氏に対して下手に出なければならないのか? 

 

 

今のところまだないが、彼氏の約束を優先されたらどうしよう。私が最初に会おうと言ってたのに、彼氏がどうしてもって言うから~って言われたら泣く自信がある。とりあえず古今和歌集は開く。

 

 

まずおかしいと思うのだが、何故10年来の親友はぽっとでの『彼氏』枠の男に勝てないのだろう。私と彼女の関係は『親友』で打ち止めだが、ぽっとでの男は易々と『彼氏』、そして『夫』のポジションを手に入れることが出来るのだろう?

 

 

何故男は、簡単に親友の唯一無二になれるのだろうか?私と、親友の彼氏。出会ってからの年月は私の方が上だ、両親兄弟の信頼もある。なのに何故、ぽっとでの男に親友と親友と過ごす時間を取られなければならないのか?

 

 

不思議でしょうがないのだ。それが恋愛というものなんだろうか。理屈も何もかもを吹き飛ばす『恋愛』というマジックカードは、優先順位もぶっ飛ばしてしまうのか。

 

 

私の親友は「良い人がいたら別れる」「私を頼りにしてるレベルだよ?不甲斐なさ過ぎて、○○(私)には会わせられないや」と言っていた。

 

 

彼女は自己肯定感が低い、そのため近くに味方がいて欲しいのだと思う。話を聞く分、彼氏はベタ惚れらしいので、そういうとこらがメンタルに効くのだろう。

 

 

なら私でもいいじゃないか!!!!なんや不甲斐ないって!!つまり私の方がしっかりしてるんじゃないか!!ならそのポジション私でよくない??

 

 

 

 

……取り乱してしまった。謎、謎、謎なのだ。何故ぽっとでの男に、親友を奪われなければならない。私と彼氏の違いなんで、性的欲求を満たせられるかどうかじゃないか。身体的特徴の有無じゃないか。そんな本能的なところの差で負けるのか。人類は理性的で、もっと高度な人間関係の構築をすべきではないか?文明も進化してるはずだぞ。その一点だけで私は負けるのか?それが悔しくて悔しくてしょうがない。

 

 

言っておくが私はレズではない。好きになった人たちは男だ。もっと恋愛とかじゃなくて、人間として彼女が好きで、そしてそこら辺の男に負ける惨めな女だ。

 

 

なんで人間として彼女が好きな私が、いやらしい性的な目的を見据えて好意を口にしたかもしれない男より立場が下なのかが分からない。その本能的な部分が無かったとしても、彼氏はその子が好きか?私は命をかけれるぞ?って首根っこを掴みたい。私の想いの方が純度が高いはずなのに、きっと『重い』と彼女の彼氏に嘲笑される惨めな女だ。

 

 

まず『恋愛』という関係性が嫌いなのだ。なんだ恋愛って。終わりが見える関係じゃないか。そんな刹那的な関係に燃え上がる人達が解らない。一瞬の輝きより、ずっと隣にいてくれる友人の方が私は大切だ。何故期間限定な相手をずっぷり愛し、優先させるのかが分からない。

 

 

 どうせほとんど別れるじゃないか。そして付き合っても愚痴ばかりじゃないか。なぜ一緒にいて文句が出る相手を、自分にとって一番近くに置くのだろうか?ストレスなら置かなきゃいいのに、何故関係を続けたがるのだろうか?それもやはり、同性の友人にはない性的欲求を解消してくれる相手だからなのだろうか。

 

 

私は処女なので、性的なことに関するものは知識しかない。でも、だからこそ、私は人間的な『愛』を信じている。そこに性別は関係ない。『親友』は愛すべきものだ。ただあなたがやさしくて、一緒にいて楽しくて、ノンストレスで、居心地が良くて、幸せを願って、困ってたら人生を捧げる覚悟がある、だから近くにいたい。これが私の考える『愛』だ。私が親友に対して常に思っている『愛』だ。ここに本能的に携わっている性的な願望や欲求はない。贔屓目もない。人間らしい理性で考えてた結論だ。きっと男性を好きになっても、この基準は変わらない。

 

 

 でもこの『愛』は、そこら辺の本能に負ける。男と女の野性的な本能に負ける。3大欲求に負ける。原始的で根本的な一点に負けるのだ。どちらが純度が高い愛かは明白なのに。

 

 

その点を抜きにしたら親友の隣に立つ権利を得れたかもしれない。この世界は厄介なことに、隣に立たなきゃ、手を差し伸べることができない。親友はあくまで他人で、彼氏はあくまで身内なのだ。世間体も敵だ。

 

 

性別が違うだけで親友の隣に立つ男は、今日もきっと彼女を所有しているつもりなのだろう。その考え方すら憎らしい。今日も彼女の唯一無二だと甘んじてるのだろう。私のことを知らずに、のうのうと生きているのだろう。

 

 

 

 

彼氏は他人に紹介されるが、親友は紹介されない。

 

彼氏は世間に認められるが、親友の過干渉は糾弾される。

 

彼氏はいつか夫として法律に守られるが、親友はあなたの一番近くにいることはできない。

 

 

 

 

性別、本能。この2つに私の愛は負ける。彼氏という存在が簡単に手に入れた立ち位置に、嫉妬し続けるだろう。理性的な愛は、本能に負ける。長年の親友は、刹那的な関係に負ける。 

 

 

でも私はこれからも、親友の幸せを願ってやまない。親友の私が彼氏に勝てる唯一のことは、永遠を願えることだから。過去も未来もひっくるめて、私は見守り続けるだろう。

 

 

結論は『性別という一点だけで、性的な目線を含んだ本能的な彼氏の愛に、親友の理性的な思考に基づく愛は負ける。それが悔しくてしょうがない』っていうことです。男女の固定観念は変わらない。しんどいね。

 

 

私が男の人と付き合って、処女じゃなくなったらこの考えも変わるのかなあ。変えたくないな。もっとちゃんと理由を考えて、好きと言いたいね。理由がなくても、性的なことを一切排除して好きと言いたい。私自身『あなたが女だったら親友』ぐらいの人と付き合いたい願望があります。いねぇよ!いやね、喪女は理想が抽象的な上に高くて困っちゃう。

 

 

 

 

 

あーー!!親友が将来結婚するんだったらボロ泣きだろうし、親友代表の手紙が私じゃなかったら死ぬな!!!友達が多いやつが親友だった時の弊害はこれ!!私にとってあなたはオンリーワンだけど、お前のオンリーワン候補は沢山いるんだよ!!

 

 

 

そんな感じです。長々とよく分からない話を読んでいただいてありがとうございます。親友の彼氏、いつか会ったらメタクソマウントをとりたい。そんな醜い感情をこころに隠して、さよならです。

 

 

このブログ記事、絶対アイツに見つかるなよ!!

 

 

 

では。