ちよっと前に行ってきました。そういえばブログに残してないと思い、慌てて書いています。明日違う展覧会に行くのでその前にまとめないと。
一言で感想を言うと、すごい良かった。明治維新以降の日本絵画の流れがよく分かりますし、時代によって評価される絵が違うということも、面白くて勉強になりました。
この展覧会は、東京国立近代美術館で開かれています。コンセプトは、明治維新以降に描かれた数多の作品の中で、重要文化財に指定された作品の過半数を一挙に集めるというとんでもないもの。去年の東京国立博物館の国宝展の衝撃も凄かったですが、これも中々インパクトが大きいです。
山田五郎さんがやっているYouTube「オトナの教養講座」が大好きで、青木繁や藤田嗣治、高橋由一や原田直次郎等の動画も拝見していたので、あの人たちの実物が!!と息巻いて行きました。
そんな日の記録です。
私が東京国立近代美術館に到着したのは午後4時。なぜなら、前日大学時代の友人と通話ながら家でウィスキーを開けた結果、二日酔いでゲーゲー吐いていたからです。胃に水を入れては吐くの繰り返しで、まいっていました。
不幸中の幸いだったのは、訪れた日が土曜日だったこと。夜まで開館している日です。予約したチケットも無駄にはならない!水とラムネを必死に胃に入れて戦った後、満身創痍の私は竹橋駅て降りたのでした。
夕日に照らされている東京国立美術館。設計は金沢が産んだ谷口吉郎。東京国立博物館の東洋館もこの人の設計です。
近くにあった、毎日新聞社。まだ引っ越したばかりで、有名な会社が駅直結であるのすっげー!!って思って撮影しました。講談社も護国寺駅に直結の入口を持ってて、歴史ある会社は駅まで動かせるのかと感心しました。
今回の展示は、一部作品の写真を撮ることが可能です。しかし、あまりの作品の力に圧倒され、そんな暇は殆どありませんでした。カメラよりも、肉眼に収めたくなります。
以下、ハイライト。衝撃だったのは、入って直ぐにあった横山大観の「生々流転」。全長40mにも及ぶ水墨画の巻物には、水が雨となって降ってから山や街を通り、やがて海に流れて龍になる様が描かれていました。
とにかく長い!!長いのに飽きない!!私は水墨画に詳しくないんですが、墨は一発勝負ですよね?これを、迷いなく筆を動かして40m。常人じゃない…。この作品は関東大震災の日に初お披露目されましたが、被害を逃れました。そのドラマもまた、この絵の神秘さを際立たせます。
国宝展にも展示されていた、宮川香山の褐釉蟹貼付台付鉢や、私が勝手に大正製薬と呼んでいる、鈴木長吉の十二の鷹もありました。新海竹太郎のゆあみもよかった。彫刻や焼き物、彫像はやっぱ生で見ると迫力が違いますね。高村光雲の老猿も、想像の3倍は大きい。
絵画ではね、青木繁が最後の力を振り絞ったわだつみのいろこの宮も展示されていました。海の中の描いているという、不思議な作品。私は海の幸も好きなのですが、これは展示されてなく。いつか生で見たいところ。青木繁は若くして亡くなったので、作品数が少ないです。
この時代、病気や精神状態、栄養状態で画家が若くして亡くなることが多いのが悲しいところ。今回展示されている信仰の悲しみを描いた関根正二も、20歳で亡くなってます。
最新の重要文化財も展示されていました。他には、和田三造の南風の肉体美には惚れ惚れしたし、今村紫紅の色使いの柔らかさはとても好みでした。平福百穂の豫譲のドラマティックな一瞬を捉えた屏風絵もよかった……。色々と書きたいのですが、とにかく見てくれ!!!見たらわかる!!!全てがメインで何から書けばいいのかわからん!そう言わせちゃう展覧会。
今回、私はこの展覧会に福田平八郎の「漣」を見に来ました。少し前にこの作品の存在を知り、戦前の作品とは思えない現代アートのようなデザインのような、そんな水面の構図に目を奪われたからです。琳派の絵も好きなのが、やっば大胆な構図というのが、私の趣味なのかも知れません。
最初は、これはなにを描いたのだろう?と足を止めてしまうのですかが、タイトルを見て納得する作品です。作者は、釣りをしていた琵琶湖の穏やかな水面を見て描いたらしいのです。確かに、この穏やかな波は、川じゃ海では無いですよね。キラキラと、晴れた日の湖が眼前に広がります。
展覧会は、ノーマークの作品からお気に入りが見つかることがあります。それは、一目惚れのような、目を止め足を止め、これ以外を視界に入れたく無くなるような感覚。
私はアイドルが好きなので、推しに出会った時、自担にしようと決めた瞬間のような。今まで、それは地元の小さな展示ブースで見た、川川瀬巴水の版画で起こりました。
そして今回。久しぶりにそんな感覚になったのです。それが、河合玉堂の行く春という作品です。
長瀞の急流には船が浮かび、ゴツゴツとした岩の上には見事な桜が咲いています。丁度見頃なのか桜は散り始め、水面には花弁が浮いています。
私は、長瀞に行ったことがありません。ただ、私がよく知る地元の川、父親と行った奥入瀬渓流、猊鼻渓。大学時代原付で白川郷に向かう時に見かけた庄川の上流を思い出すのです。山に生まれた私の、様々な川の風景が混ざりあってこの絵に行き着いたような、そんな懐かしさを覚えました。
生まれた時から、私の実家の庭には、桜が2本生えていました。濃い桃色の彼岸桜、薄く白いソメイヨシノ。毎年父が手入れしていたものです。家の窓から春の少しの間だけ見える、鮮やかな世界が好きでした。東北の、寒く長い冬の終わりを知らせるような色彩だったのです。
そんな桜も、昨年父が亡くなったことで手入れする人がなく、大きくなっていた彼岸桜を、小さくなるまで切りました。そして、桜の開花を見ることなく、私は上京したのです。
桜を切ったことは、父への裏切りでした。引っ越したので、もう実家の桜を見ることは無いだろうと思っていました。しかし、この大きな屏風絵を前にして父との思い出が蘇り、足が動かなくなりました。私と父の思い出は、この絵のような風景だったなと。
ちょうど屏風絵の前に椅子があったので、30分ぐらいのんびり見ていました。川は、同じ形をしていません。波は揺れ、水は跳ねて歪んで形を変えます。桜も、次の瞬間には風が吹いて花びらが舞います。
この一瞬。息を飲む一瞬。静かで、まだ冷たい風と温かな陽光が混じり合う、穏やかな春の一瞬。静寂に包まれながら、私はこの風景を勝手に父親との心象風景にしていました。天国が、こんな素晴らしいところならいい。三途の川には、見事な桜が咲いていればいいと。
美しい絵でした。作者の違う作品も見たいと思いました。厚みのある花弁がキラキラと輝いて、本当に素晴らしかった。またいつか、この作品の前に立ちたいものです。
沢山写真を取れたはずなのに、さっきのものと、有名な教科書でお馴染み高橋由一の鮭しか撮っていない。想像より大きいし、想像より美味しそうです。日本の洋画は記録としての写実から始まるのですが、この作品も生活の写実ですよね。
大満足で閉館までいました。時間が無くて常設は歩きながらしか見ることが出来ず。今度は常設展示だけでゆっくりしたいところです。ポストカードと、図録を買って後にしました。
散歩して帰ります。千代田区役所の方の、お彫りの横を歩きます。途中、犬が縄に繋がれて放置されてるのを中学生ぐらいの男の子がみつけ、警察と話し合ってるのを見かけました。
九段の方まで歩いてきました。
小川町かな?スポーツ用品のお店が多くて不思議に思っていたら、有名なんですね!スキーとかスノボ専門店からゴルフまで、歩くのが楽しかったです。このまま神田まで歩いて帰りました。夜の神田は道が狭いのに大学生と黒服とガールズバーが道の端に立ってて怖かった。
人生初の松屋の牛カレー。めっちゃ美味しい。東京って安くて美味しいカレーが24時間食べれるのすごいなあ。
実家にポストカードを置いてきてしまったので、東京に来てからのものしかありませんが、貼りました。夜にエゴン・シーレの自画像と目が合うと怖いです。
今回触れた作品は、展示替えで無いかもしれません。しかし、重要文化財が一同に会する機会はそうありません!!!ぜひ!!!!!!オススメです!!!多様な作風の作品がありますので、自分のお気に入りを探してみてください!!