夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

学校を抜け出す

 

こんにちは。有機栽培です。

 

今日は違国日記という唯一買い続けている漫画の発売日でした。高校生が出てくる漫画なので、否応なしに自分の学生時代のことを思い出します。

 

そういえば、私は中学生の頃、学校を抜け出したことがあります。こういうとオシャレな若気の至りだと思われるが、当時の私は切迫詰まった結果の逃亡でした。

 

確か生徒間の問題に巻き込まれて、夏休み前の1ヶ月間不登校を決め込んだ後だと思います。学校にいやいや復帰すると、今度は私に強く当たった人がクラスメイトから疎遠にされてて、かと言って不登校だった私に対して先生は厳しく。

 

学校のルールで、部活は強制加入だったので転部しようとしたら、色んな先生達に厄介者扱いされてしまって。私は被害者だと思ってたんですが、大人は加害者にも被害者にも、暴力的に公平を重んじます。

 

特に、不登校になって周囲の生徒の同情を集めた私は気に入らなかったのでしょう。現に、私に酷く当たった同級生は、他の人達から疎遠にされてたので。私にとっては、学校を休んでた時にあった政治的な動きなんぞ知りません。不登校の間、先生に言われて家にやってくる同級生に対して、最新作のポケモンを攻略してる姿を見せていただけです。

 

ただ、学びはありました。大人ってものは味方にならないんだということ。先生たちにとって、私は厄介者だということ。そして、学校の先生には絶対にならないでおこうと決めたのでした。

 

私は社会科目が得意で、そっちの方の学部を出ましたが、周囲に勧められても社会科の先生にならなかったのは、ここから始まる「学校嫌い」と「先生嫌い」がトラウマだったのだろうと今になっては思います。

 

さて、生徒間同士が揉め事を起こすと、「話し合い」の場所が多く持たれます。大抵は準備室とかいう名前の密室です。最初は当事者同士で話し合いが行われたんですが、私はずっと床に置かれた木戸孝允肖像画を眺め、相手からは罵声を浴びたのはいい思い出。おかげで対談や面接すら苦手になったなあ。

 

当事者同士の話し合いが上手くいかないと、先生たちとの話し合いが始まります。担任、部活の顧問、ほかのクラスの先生、学年主任、教頭、スクールカウンセラー、等など。

 

先生に話しても、私の話は先生たちのいい感じの若いストーリーに組み込まれて、いいように解釈されて終わります。だんだん反論するのも嫌になります。しかし、学校は図書館で本を読むにしても何しても、先生の目が光っていました。

 

でも教室には先生がいるから行きたくないし、面談には行かないといけない。嫌だなあ。不登校してるから授業も遅れてるし、期待されてた進学校には入れないだろうし。不安と怒りと虚しさが込み上げて、トイレの個室から動けない。

 

でも昇降口から逃げると教室の前を通ってばれちゃうし、裏口は先生たちの出入りがある。そもそも外靴がないだけで騒ぎになる。

 

そう思って、上履きのまま女子トイレの窓から逃げました。

 

家に帰るとさらに怒られるから、先生たちが探さなくて制服でもバレなさそうな、人気のない歩道橋に逃げて、夕方までぼんやりして帰りました。

 

誰もいない歩道橋は景色もいいですし、この時間に真面目に授業を受けてる人がいると思うと笑えました。そして、誰も血眼になって探しには来ない現状に、私という存在のちっぽけさを改めて感じました。

 

その後のことは覚えていませんが、親に凄い怒られたことは覚えています。急にいなくなったら、大問題ですもんね。当時は携帯もなかったし。

 

今でも、女子トイレの窓から逃げたことだけを思い出します。壁をよじ登って、飛び降りた足の裏の痛みを思い出して、よくやったなあって褒めたり。

 

卒業以降、1回も同窓会も成人式も行ってないし、今後も行くことはないけど。窓から逃げたことが、私と地元を徹底的に隔てた決定打なのでしょう。ここじゃ生きれないと、強く思った出来事でした。

 

本当に、中学校は楽しくなかったなあ。高校ではテスト期間に近くのおもちゃ屋で電動のシャボン玉機買って、中庭で遊んだぐらいには楽しかった。それでも、今でも連絡している人間は極わずかだけど。

 

人間関係の構築が下手になったのも、窓から逃げることを知っちゃったからかもしれない。逃げて、そのコミュニティから逃げれば、私という個人は、悪夢から覚めた私が尊重してあげれるので。

 

今度は、自分の住んでる県から、東京に逃げ出そうとしている。大人になるにつれて、逃げる距離も大きくなってきた。このままだと、いずれ離島が海外に飛んじゃうかも。

 

私は、死ぬまでに後何回、よじ登った窓から逃げ出すのだろうか。