夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

ことばの教室

 

最近家の大掃除をしているのだが、その時に卒業式の時に書いた作文と、記念写真が出てきた。これは、私が通っていた小学校のものではない。ことばの教室を卒業した時のものだった。

 

 小学生の頃、ことばの教室に通っていた。私の住んでたところではこう呼んでいたが、ネットで調べると言語障害通級指導教室というらしい。つまり、言語を上手く喋れない子供が通う教室である。私は、母音がイ音の言葉の発音が苦手だったらしい。

 

「らしい」と言うのは、私は面と向かって友人や先生に「滑舌が悪い」とか「変な発音」と笑われたことがなかったからだ。カタカナの「ン」と「ソ」を区別して書くことが出来ず、模造紙に自分で調べたことを発表した総合の授業ではクラスメイトに嘲笑されたことはある。ただ、変な発音でいじめられることは無かった。周りの人に恵まれていたと思う。

 

あまり小学生の時の記憶がないのでうろ覚えなのだが、高学年になって通いだし、6年生の3月に卒業した気がする。内容としては、週に何日か放課後の掃除の時間をサボって、迎えに来てくれるシルバー人材センターの人の車に乗り、近隣のことばの教室がある小学校へ通った。恥ずかしいとかそういう気持ちはなく、お菓子が食べれる嬉しさの方が勝ってた気がする。特別扱いされた喜びが勝っていた。あと先生は独り占めできるし楽しい。単純である。

 

前述したとおり、私は母音がイ音の音の発音が難しかった。特に「キ、シ、チ」は何回も練習させられた。今でも、これらの音は、母音と子音で訳で発音しそうになる。サとイをどんどん早く言っていくとシになるからだ。

 

ことばの教室の内容で覚えているのはお菓子のことである。舌の動きが硬いのか、薄くほんのり甘いせんべいをした全体で舐めたりした。上手くいくと食べれるので嬉しい。お母さんが買ってくれないポッキーも食べさせてくれた。優しい女の先生と、美味しいお菓子のイメージが強くて、己の食いしん坊に感謝している。

 

鏡の前で、己の下の動きを確認した気がする。この音は上顎に舌をつけるとか、タンギングさせるとか。1時間ほど、練習した。早口言葉もやったかもしれない。

 

紙風船を膨らませることもした。私は、生まれた時の体重が1700グラムしかなく、未熟児で即保育器行きだった。出てきた私は吸う力が全くなく、母乳は直接飲めなかったらしい。食器入れの橋の棚に、今もプラスチックの注射器のようなものがあり、私はそれで口に母乳を運んでもらっていたという。それだけ、口周りの筋肉がなかった。麺も啜れない。調べたら、この吸う力や吐く力が発音にも必要らしい。

 

私は何となく、お菓子が食べれるからと知らない小学校の一教室を使って行われていたことばの教室に通っていた。ランドセルを背負って知らない学生が階段を掃除してる脇を通るのは恥ずかしかったけど、お菓子と先生の優しさで卒業まで通った。今思うと、本当に通ってよかったと思うし、何も知らない私を通わせた母親に感謝である。

 

母親。すごい不安だったのだろう。私は同い年の兄がいていわゆる双子なのだが、同じ生育環境なのに私だけ発音が苦手だったのだから、慌てただろう。この子は発音が出来ないのは、未熟児だからか?高齢出産だから?それとも一度流産したから?不妊治療?と色んな可能性が巡っただろう。学年でことばの教室に通う人はおらず、きっと周囲に参考になる生徒もいなかったかもしれない。それでも、必死に調べで、通わさせてくれてありがとう。

 

ことばの教室の卒業式では、先生と送迎してくれたおばさん、校長先生と母親の前で何かしらの文章を音読した気がする。大人たちが涙ぐんでいたのは、このまま発音できないまま思春期や大人になった時にぶつかる壁を回避出来た安心かもしれない。人前に出たり、音読するのが好きな子だったから余計だろう。

 

おかげで私は、大学を卒業したし、人前に出て何かをすることをやめなかった。お喋りも大好きだ。たまに口を開かずに喋って滑舌が悪くなるが、これは父の癖そのままである。音痴なのは昔からなので人前で歌うのは苦手だが、音程で注意されても発音は問題なしだ。母親と、ことばの教室の先生以外には、発音のことを言われない。

 

私の幸福なことは、大人たちが私が自分の発音で嫌な思いをする前に、適切な対処をしてくれたことである。そのおかげで私は、人ができることが出来ないと悲しむことがなかった。本当に感謝している。

 

このことをブログに書いたのは、今までことばの教室、言語障害通級指導教室に通ったことがある人に会ったことがないからだ。ネットで調べて、「ことばの教室 通わなくていい」「ことばの教室 意味ない」という言葉が見受けられたので、自分の体験を書いてみた次第である。

 

私は発音が出来なかった人間なので一概には言えないのだが、とにかく通ってよかった!通わせてくれてありがとう!の気持ちだ。恥ずかしいことなんて全くない。むしろ、恥ずかしいと思ってしまう前に通ってよかった。

 

もし、ことばの教室に通うか迷ってる人がいたら参考にして欲しい。私は、通っていた時は事の重大さを認識していなかったが、今思い返すと感謝しかない。今日までことばの教室のことを忘れていたぐらいには、苦しんだ「いきしちに」は身体に染み込んでいる。