夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

費やす旅

 

お疲れ様です。有機栽培です。

 

久しぶりに公共交通機関に乗っている。田舎に住んでいる私の家の周りには何も無いため、車を買ってしまうとそればかりになってしまう。

 

 思えば小中高は徒歩と自転車でどうにかしていた。中学生の頃、親の方針は「自転車で行けるところならどこに言ってもいい」だったので、ママチャリで数時間かけて漕いで、何個も山や坂を登り、市街地に行っては漫画を買い、滞在2時間でまた自転車を漕いだりしていた。

 

 いまは数時間かけて自転車を漕いだり、坂だらけの道をひいひい汗を流しながらたどり着いた場所に、車を使えば数分で行けるので便利な環境になったと思う。自転車を漕いでる時にゲリラ豪雨に遭遇して、制服をぐちゃぐちゃにすることも無くなった。

 

 徒歩と自転車。汗と時間と体力を惜しみなく消費する移動が身に染み付いてしまったせいか、公共交通機関にのると落ち着かない身体になってしいる。

 

 近頃殆どしていないが、旅をするとなると必ず電車や飛行機や新幹線に乗ることが多い。目的地まで最短でたどり着ける。理想的な旅の序章だ。

 

 それでも、物足りなさを感じてしまって、旅先でひたすら歩くことが多い。大人になったのだから、レンタカーやタクシーを使えばいいのに、地元の人しか乗らないようなバスに乗ったり、2キロまではひたすら歩いたり。楽をしたいのに、身体が疲労を欲すのだ。

 

 夜行バスなんて最たるものだと思う。お金が勿体ないと今でも使ったりするが、あれはきっと旅を感じたくてたまらないんだと思う。私は限界まで体力をすり減らして、すごい遠くにやってきているという旅の味を満喫したいのだ。

 

 前から話しているが、私は学生の頃ヨーロッパをふらふらしていた。ユーレイルパスを買って、1日中電車に乗った。3時間なんて短いもので、中には7時間揺られることもあった。そして、目的の街に着くと、バスもタクシーも怖いからとひたすら石畳を重い荷物を背負いながら歩いたのだった。

 

 幼少の頃の思い出、大学生の時のヨーロッパ大移動。これらのせいで、私の中で旅は冒険であり、とにかく時間と体力を消費して、己を限界まで追い詰める儀式になってしまった。

 

 そういえば、飲み屋を決める時も、私は繁華街を歩くのがくせだった。一通り全ての道を歩いて、店の外観とメニュー、地元民が通ってそうな雰囲気を察し、ハズレの無い1軒目を吟味する。努力した追い詰められたスポーツ選手が輝くことを追体験したいのか、歩いて歩いてその先にある生ビールを美味しくしようとしている。随分俗物的な儀式である。

 

 この前、車で県内の温泉旅館に行った。泊まるのが2回目だったため、近隣の観光もそこそこに、宿を楽しむのが目的だった。ご飯も部屋もお風呂もよかったが、何かが物足りない。あれはきっと、自分を甘やかしすぎてしまったせい。歩かないと、旅とは言えない。日常の延長線になってしまって、いまいち納得できなかったのだと思う。

 

 クタクタになるまで歩く旅。出来たら知らない土地がいい。国内だったらドキドキしながら路線バスに乗ったり、飲み屋街をぐるぐる歩いて1軒目を探したい。国外だったら長い時間電車に乗って、ぼんやりと外を眺めたい。

 

 時間と体力を存分に使って私を追い詰めた、贅沢な旅をもう一度。