夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

読書(4冊読んだ)

 お疲れ様です。有機栽培です。

 

 時間ができたらしたかったことの一つが掃除、もう一つは読書だった。連絡をくれる友人はいるが、みんな勤め人で忙しい。彼氏が気を遣って三日に一度通話してくれるが、日中はやることがない。

 

 いい機会だったので、Amazonで文庫本を数冊購入した。本当はkindleで読んだりする方が安上がりなんだろうけど、アナログ人間だったので文庫本で買ってしまう。母親が学生時代に集めた海外作家の文庫本が壁を埋め尽くしているのを見て、ちょっと憧れたからかもしれない。

 

 母親は読書家である。電車もない田舎から、数時間かけて街の女子高に通っていた時にたくさんの本を読み、車酔いで気持ち悪くなって途中下車して学校に行けなかったらしい。目が悪いので最近は図書館で借りた本しか読まないらしいが、幼い頃の私の記憶では常に本を携帯していた印象がある。

 

 母の本棚は赤毛のアンといったり、とにかく海外の作家の本が多くあった。小学校の頃、ナルニア国物語が映画化されたときに、ふらっといなくなったと思ったらママチャリの籠に全巻セットを入れて数キロの道のりを帰ってきた姿が懐かしい。まぁ、全巻読まなかったのだけど。

 

 私はほとんど本を読まない。小学生の頃一番読んだ本は、学童保育で暇だから読んだ日本の歴史である。小さな図書コーナーにある歴史の本は全部読んだ。漫画は買ってくれなかったので、無限に買ってくれた図鑑も読んだ気がする。物語は読まないが活字は好きなので、高校生ぐらいから買ってもらった電子辞書の中にあったブリタニカ国際大百科事典をずっと読んでおり、あまりに授業中読みすぎて古典の授業ノートの余白にプロイセンの歴史を書き連ねて提出したことがある。古典は見事に赤点だった。

 

 あとはウィキペディアばかり読んでいた。今もしょっちゅう何時間もウィキの記事を飛んで読み続けているときがある。基本的に人物史をよんでいる。個人史や伝記を編纂する仕事があったら天職なのだと思うので、誰か紹介して欲しい。犯罪者であれ偉人であれ、全ての人間の歴史は豊かで面白く、尊ぶべきものである。この前は円谷プロを調べてから、関係者のウィキをずっと読んでた。楽しいのでおすすめである。

 

  他は文豪の擬人化ゲームにハマったのもあって、無駄に文学史について詳しい。詳しいと言っても素人だが。文豪の名前と人物史をどんぶり飯を食べるかのように、貪って読んだことがある。すぐ関係する書物やウィキを読む癖があり、昔友人とギャグマンガ日和にハマった時に河合曾良の本を図書館中から探して借りたのはいい思い出だ。といっても数冊だが。

 

 大学で人文学部を卒業しているが、本を殆ど読んだことが無いのはコンプレックスだった。ちゃんと読んだ本はダレンシャンぐらいであるし、読書感想文は嫌いである(いつか書きます)。しかし本を読んで他の人の人生や物語を実体験のように追体験すれば、自分の人生を希釈することができ、あまり真に受けずに生きれるんじゃないかと思った。あと、薄っぺらい自分の人生観や言葉に説得力が欲しいので、暇があったら本を読みたいなとぼんやり思っていた。よく母親に「これも読んでないのか」と呆れられるのも、なんだか申し訳なかった。

 

 本を読むと、自分の人生にあまりゾッコンしなくてよくなる。それは、他の人の人生を知ることで、客観的に俯瞰的に他者の人生を見つめることで、まぁ下の中ぐらいの人生を歩めてるしどう頑張っても無理なものは無理よと達観できるのだ。ウィキペディアを読んでると、極悪人以外は成功者ばかり記録に残っているので勘違いしてしまうが、記録にも記憶にも残らない有象無象がこの世の99%なのである。

 

 そんなことを、私は太宰治人間失格伊坂幸太郎の死神の精度で感じた。死神の精度は大学生の時に好きで、ヨーロッパ旅行にも持っていったほどである。ところで大学生はなんで伊坂幸太郎を読むのか。私の同級生はみんな読んでいたのだが、無常な感じが受けたのか、それとも文章の読みやすさなのか、答えを知ってる人がいたら教えてください。

 

 話がずれた。とにかく自分は本を読まないタイプの人間だった。年間5冊読めばいい方なんじゃないかと思う。アニメやドラマは毎週楽しみに待つことができず飽き、映画は長時間席に座って集中することもできないので見れず。そう思うと文庫本は比較的安価で、映画の何倍もの情報量を得ることができる、コスパのいい娯楽であることに気づいた。

 

 あと想像力頼りなので共感性羞恥も感じられなくて済む。自分はひどい共感性羞恥の持ち主で、実写映画はことごとく見れなくなってしまった。人が登場人物の躓きに笑っているのを見ると、この世はなんて残酷なんだろうと周囲が気になって集中できない。あと死にたくなる。失敗は敗北で恥ずべきという教育のなれの果てだろう。フィクションを純粋に楽しませてほしい。

 

 以上が私の思う読書に対するあれこれである。色々書いたが、とにかく今週はいくつか本を読んだ。その感想を手短に残そうと思う。これを書いてる途中で数カ月ぶりに大学時代の恩師に送ったメールに返信があり、内容は殆ど先方が好きな乃木坂の話だったのだが、本を書いたことがある人のメールは知的で面白く、自分の文章力に挫折感を感じている最中である。まぁ私の文章は金にならないので、稚拙な文面を容赦願いたい。

 

①よみがえる変態 星野源 文春文庫

 2019年発売。星野源さんのエッセイは、前に「そして生活はつづく」を買って以来。学生の頃大学の図書館にダヴィンチがあって、バイトまで時間があるときに暮らしの手帖と共に読んでいたが、そこに星野源さんのエッセイがあって面白くて読んでた。

 

 すっごい有名な人だし、それまでに努力して誹謗中傷にも耐えて、すっごい人なんだと思う。けど、登場するものが庶民的で楽しい。読んでる己と星野さんと私って同じ学校だったけ?って親しみが生まれるんだけど、星野源さんと同じご飯を食べて同じ臓器が内部に詰まってようが、大スターとクソ田舎の一般人は全く違うわけで、話に共感した自分が一方的に裏切られて悲しくなって死にたくなる。あの、有名人のエッセイを読んで感じる寂しさは何なのだろうか。何回も言うが星野源さんは何も悪くない。人生腐らせてる読者が悪い。

 

 深夜まで空いてるデニーズがあるって都会だな、ちょっと外れた人たちが集まれる場があるっていいな。田舎で深夜なんて暴走族のエンジン音と、誰一人歩いていない県道に、うすーく遠くに光っているコンビニしかない。不特定多数のはぐれ物が一か所に集まって、なれ合わないもよくわからない共犯者的な一体感が心地よい深夜のデニーズに憧れた。人がいるといないでは雲泥の差である。人がいる方が健全だ。

 

 前に使ってたウォークマン星野源さんの昔のアルバムを入れてて、当時聞いてた曲の作曲風景が書かれてて懐かしい気持ちになった。このエッセイでは星野源さんが二回大きな病気に倒れて生死を彷徨う。私が何も考えずに聞いてた曲の裏で、想像を絶する苦悩がある。読めば読むほど、私のような人間が健康でいるのが馬鹿らしくなる。星野源さんが病気になるより、自分が病気になったり死んだ方が絶対世界のためなのでは。

 

 命の価値は平等というが、死の機会が不規則で平等であるだけである。命の価値は平等じゃない。平等だったら葬式は国費で賄われてるし、偉い人が死後コメントを出すのは命の価値が高かった人ばかりである。生きたい人が好きに生きれて、死にたい人が好きに死ねたら幸せだろう。よくSFとかであるが、寿命を売買できる世界みたいに分け与えられたらいいのにと思う。そしたら有名なアーティストに全部貢ぐのに。最高の推し活である。

 

 結果どんどん死にたくなるので、健康な精神の時に読めばよかったと思った。輝いてる人の話を読むと、思考が暗くなるのをやめたい。本自体は何も悪くないし、ユーモアで面白いし明るい下ネタもあるので是非。恥の多い人生を送っていて、何者にもなれず苦しい人は有名人のエッセイは読まない方がいい。生活がちょっと重なるような人だと特にダメージは大きい。こうなって寝れなくなる。

 

 ここまで書いて流石に鬱だと思い、晩御飯を食べたら気持ちが上を向いた。疲れ会時には温かいスープを飲むといい。今日は白菜とたまごの中華スープだった。

 

 余談ですが好きな曲は「WeekEnd」と「桜の森」と「創造」です。でも一番好きなのはニセ明が歌う「君は薔薇より美しい」だったりします。カラオケでめっちゃ歌う。超楽しい。お金がたまったら、アルバムを通勤用に買おうと思う。

 

②ビール世界史紀行 ビール通のための15章 村上満 ちくま文庫

 2010年発売。大学を卒業する時に教授の研究室から勝手に拝借したもの。所属していた研究室には、今でも友人間で伝説になっている私が作った「卒論体験談」というレジュメがあり、卒論後に友人たちと「卒論について語り足りないし、苦労もあったからみんなで発表会しようぜ~!」と会議室を借りて集まった時に作ったもので、今読んでも笑える。個人情報のオンパレードなので詳しく書けないが、その代わりに強奪してきた本である。借りパクかもしれない。

 

 内容はタイトル通り、世界中のビールとその醸造の歴史である。日本では何故エールじゃなくてラガービールが流行ったのか。世界ではいつからエールの代わりにビールが出てきたのか。そもそもビールの定義とは。そんな内容が大ボリュームで書かれているのだ。学生の頃、チェコでは水よりビールが手ごろでピルスナーばかり飲んでたし、ミュンヘンでも大きなジョッキの甘いビールを飲み、ロンドン最終日では勇気を出してハブでギネスを飲んだことを思い出した。海外に行く前に読んでおけばよかったと後悔。

 

 中世の修道院でビールが醸造されていたことも知らなかった。日本は神社に日本酒を奉納するが、海外は自主製造である。しかも女性が家庭でビールを作ってたと聞くと、どぶろくとか味噌とかを思い出す。世界でも発酵は女性の仕事なのかもしれない。

 

 またアメリカはビールを喉の渇きを癒すものと認識しているが、ドイツは栄養価の高い食事のようなものと考えているのも驚いた。ビールは栄養。確かに穀物を使っているのだからカロリーもあるし、厳しい大地であるドイツには必需品である。だからって修道院の断食ではビールOKなのは笑う。昔のビールは今と違って、まったりとしてるのかもしれない。酔っぱらったら怒られるのは、どこの世も同じである。

 

 イギリスのインド植民地化などで、遠くに運搬できる腐らない安全な水分補給のために、度数の高い濃いビール(のちのIPA)が作られ、どんどんビールが伝播していく。その理論なら遠足の水筒にビールを入れても怒られない世もあったかもしれない。水より安心なアルコール。消費量もすごかったのだろう。今は欧州やアメリカでは消費量が伸び悩み、アジアの時代らしい。中国産のビールは青島しか知らないので、いつか飲んでみたい。とにかく海外産のビールが飲みたい。元気になったら必ず飲む。

 

コンビニ人間 村田紗耶香 文春文庫

 話題になった第155回芥川賞受賞作品。コンビニでパートをしている主人公の話で、劇的な展開も特になく、コンビニと家ぐらいしか場面もない。なのにこんなに話題になったのは、主人公が異常だと世間に認識されたからだろう。

 

 確かに幼い子が同級生の喧嘩をスコップでぶん殴ることで止めることに躊躇ないのは怖い。大人になって周囲と話が噛みあわないことが認識できず、他者が共有している規律や観念が通じない恐ろしさ。怖い。ところで怖いという感情は理解できないから引き起こされるらしい。なので世間はこの作品を問題作と唱え、異分子な主人公の生き方を恐れ、やれサイコパス発達障害やと感想を並べた。

 

 私が読んだ感想としては、当事者意識をもってこうなりたくないなって思いました。世間から浮いてる自覚があった私も、あまりの生きづらさに耐えかねて自暴自棄にマッチングアプリで彼氏を作ろうとしたので、彼氏がいれば周りの友人や親が安心する様を見たことがある。みんな「よかったね」って言うんですよ。何がいいのかっていう中身はどうでもよくて、「彼氏ができてよかったね」って妄信的に恋人がいることは幸せだと思ってるんですよね。気持ち悪いぐらい大多数が。

 

 同じように「正社員」も楽だと思ってるんですよね。コンビニのパートの方が稼げるし、主人公のように自分を必要にしてくれる場所がある方がよっぽどいい。でも30代後半でパート生活なのは不幸で、正社員は正しく幸せな道だと思っているんですよね。中身はどうでもよくて、「正社員」っていう肩書だけが重要。

 

 「恋人」とか「結婚」とか「女の幸せ」とか「正社員」とかとやかくおせっかいに口を開き、お前は間違ってるよと親切心で罵ってくる人の多くは、これらを満たしているのです。満たしている自分が間違ってないと思いたくて、他人におすすめして矯正しようとしてきます。だって根拠なき幸せに飛び込んで不安だから。そんな、人の「幸せ」の定義をそっくり自分の幸せと当てはめて脳死で生きてる人間より、根拠ある己が信じた生活を送ってる主人公の方が、よっぽど間違ってないと思います。

 

 自分は、ちょっと己の主軸がずれたら、主人公のように他者に馬鹿にされたことも気づかず、頭がおかしやつだとレッテルを張られる怖さがあります。主人公よりは他者の目に敏感だから、罵倒されている理由も分かって苦しみそうだから、そうはならない様に注意して生きないといけない。他人ごとではありません。浮いた人間は異分子だから、社会のシステムでうまく立ち回れなくて、その上奇人にはなれない臆病な精神を何とか守って生きていかないと。

 

 あと他者を矯正する有象無象にもなりたくない。今はたまたま恋人がいるから、世間マジョリティ幸せ部門にノミネートしてるし、その部門の参加者とお話しする機会もあるが、だからと言って恋人がいない人は不幸であると決めつける人間には絶対になりたくない。恋愛至上主義と子育て至上主義の世の中に、バーカ全部が個人の自由選択に基づく趣味のようなものだ!!と叫んでくのが私のポリシーである。仕事に貴賤が無いように、生き方にも貴賤はない。恋愛と子育てとお菓子作りとソシャゲ課金は、全部同じ「幸せ」を感じるための方法にすぎないのだ。恋人がいなかった時代だって、私は幸せだったんだから。

 

 本の感想を書き終わった瞬間お腹を壊した。今日は白湯しか飲んでいないのに。本の感想や自分の将来や転職をぐるぐる考えて悲観して死にたくなって胃腸が真っ先にくたばるのやめたいです。

 

 

④明るい夜に出かけて 佐藤多佳子 新潮文庫

 作者が前に書いた本が課題図書で、読書感想文を書いたことを思い出して買った。山本周五郎賞を受賞したともニュースで見た。ついでに歴代受賞者を確認したのだが、私は重松清さんはてっきり戦前生まれの人だと思っていた。教科書に載るのは死んだ人という認識を改めなければ。カンガルー日和村上春樹もそういえば存命だった。

 

 あと題材が深夜ラジオと聞いていて、前から気になっていたのもある。今でも暇なときはラジオを聞いてしまうので、ハガキ職人に憧れがあった。作中でも主人公の青年が初めて本格的に聞いたのはくりぃむしちゅーのANNとその前の番組とあった。私もくりぃむしちゅーのANNが大好きで、現役では聞けなかったものの今でもYouTubeで聴いている。だからか余計物語にのめりこむことができた。くりぃむのANNのリスナーはパーソナリティの2人を晋也と哲平って呼んじゃうし、松戸市在住のせんずりは今でもヒーローだ。

 

  主人公は元ハガキ職人だが、接触恐怖症で彼女に触れれなかったことをきっかけにネットで晒されて大学に行けなくなってしまった。ハガキ職人である過去も封印し、コンビニで生活を支えながら新たに生きようと試みるも、店内で優れたハガキ職人しかもらえないはずの缶バッチをつけた変な女子高生と遭遇してしまい、そこから妙な縁で集まった人たちと関わることで、少しずつ己を取り戻していく話である。

 

 歌い手とかハガキ職人とかアメーバピグとか、私が10代の時にのめりこんだものがたくさん出てくる。インターネットが家にやってきて、学校とか部活といった日の当たるリアルな居場所が見つけられなかった人は、ネットやラジオといった姿の見えない夜の居場所にのめりこめた。逃げ場だと笑われたけど、本気だったしどんな友達よりも正面からお話しできた。みんな年齢とか住んでる場所とか、好きで選んでない共通事項に縛られずに、好きなコンテンツを語るために好きで集まれたから。匿名のいいことは、どこに住んでても年齢も経済状況も何もかも違くても、一緒の時間を共有できることである。一人じゃないって思えることである。

 

 特に深夜ラジオの「一人じゃない」感は異常だ。深夜までこっそり起きて、布団にかぶってラジオの周波数を合わせると、色んな人が同じようにこっそり聞いていて、投稿して、声を押し殺して笑う。読まれるかどうかドキドキしながら、親が聞いたら卒倒するような下品な内容に耳を傾ける。自分だけが笑ってても、ふたを開ければ日本中で笑ってる。目に見えない居場所があったのだ。

 

 学生の頃の、みんなとずれている孤独感はしんどい。だって学校しか知らないし、学校でほとんどの時間を過ごす。でも、ラジオの周波数は全国共通だった。あの頃の私もラジオに救われてたなと思う。

 

 作中では奇妙な縁で集まった4人で、夜に集まっている。それはコンビニだったり、登場人物の家だったり、ライブ会場だったり。正直羨ましい。すっごく羨ましい。表の居場所じゃなくて、自分の所属するコミュニティの外側に居場所があって夜に集まれるのすっごい羨ましい。もう職場と家の往復で、会う友人も学生時代の友人で、休日の登場人物が更新されない。学生の頃に戻りたいと叫んでいた。あーー友人が欲しかった!!好きなことを見つければよかった!!創作とかすればよかった!!まぁ、もう遅いのだが。

 

 

 以上が最近読んだ本である。我ながらたくさん読んだ。あとまだ買った本があるので、読んだらここに書こうと思う。大体の感想が情緒不安定になると思う。コンビニが舞台の本を2冊も読んでしまったので、元気になったらコンビニ行って海外のビールを買いたい。

 

 この前公募ガイドを見たが、今はラノベやミステリーの方が、著名な文学賞より賞金が高くてびっくりした。物価も給与も上がってるのだから、有名になれるという特典に胡坐をかかずに、みんなが応募したくなるような価格設定にしてあげたらいいのにと思ってしまう。文学を志すのも、金持ちの道楽の果てみたいなのだろうか。昔から高等遊民の職業だったしなあ。

 

 自分は想像力が無く、その上想像力が自分にしか働かないので物語を書ける人は本当にすごい。自分にしか興味がないし、自分のことばかり考えて死にたくなるのもどうかと思うけど。もうちょっと楽に考えて生きたいです。人間関係不得手、自己愛強、客観視無理、自滅哉。