夏さ、また。

日々のことを、だらだら書いてるだけです。

バレンタインは遥か遠く

今週のお題「会いたい人」

 

 久しぶりです、有機栽培です。

 

 相変わらず発狂直前憂鬱真っ逆さまな日々を送っています。平穏だけど、いつか残業だらけの毎日がやってくるかと思うと怖くて眠れない。相変わらず嫌な仕事は先送りにしてしまってます。だから私は仕事ができない。

 

 暇すぎてはてなブログのお題に沿って文章を書くということをしてみよと思います。日々文章を書くことで、自分のアウトプット能力が少しでも向上することを願っています。

 

 

 皆さん初恋っていつですか?どんな人を好きになりましたか。

 

 私は小学生の頃から好きな男の子がいました。と言いましても当時は恋はダサいと考えていたので、お気に入りの男子と解釈していましたが。

 

 小学生の頃って足が速くて、クラスのお調子者みたいな男子がモテる。身長や顔や学力は関係なくて、カリスマさえあればモテる。人間の魅力ってやつで勝負される時期でしたよね。

 

 そんな中私が好きになったSくん。Sくんは小学校全部クラスが一緒だった。足も速くて、水泳は入選して表彰されるぐらい。何より、頭がよかった。まぁまぁ頭がよかった私が得意な社会科目以外全部負けるぐらい頭がよかった。言わずもがな私は運動音痴だから、ほとんど白旗を上げる。Sくんは圧倒的だった。

 

 自分を負かす、驚異的な存在。そしてさわやかなイケメン。そんな彼に惹かれるのは無理なかった。後に大人になってから、当時の様子を唯一知る親友に恋心を打ち明けたら「有機栽培、確かに彼は格好良かった」とお墨付きをもらうぐらいである。

 

 好きになったのは、たぶん小学校6年生。当時テレビ朝日で年に一回放映されていた「30人31脚」の練習で一緒に肩を組んだ時。練習したことがある人は分かると思うが、30人31脚は最初から全員で走ることはしない。まずは足が遅い人を早い人を組ませて2人3脚から始める。そこから3人4脚、5人6脚と人数を増やしていくのだ。

 

 クラスで一番足が遅く、走るとき背筋がまっすぐになるからスマブラのサムスにそっくりだから「サムス」と呼ばれた私と、クラス選抜リレーの選手のSくん。当然ながら組まされた。気になっていた人の前で醜態をさらさなければならない地獄のはじまりである。

 

 字のごとく私は足を引っ張った。細い彼よりぽっちゃりし、背も15㎝ほど私の方が高かったので、見事な重しになっていた。それでも彼は嫌味を一つも言わず、さっきよりよかったよと前向きな言葉を投げかけてくれたのだった。汗でドロドロなデブなぞ気にせず肩を組んでくれた。

 

 大会が終わり、その年の2月。私はパウンドケーキを焼いていた。理由は一つ。Sくんにあげるためだ。見目もよろしくない私は、30人31脚でSくんからもらった優しさでキャパオーバーを起こしていた。普段貰わない男子からのやさしさを受け取りすぎて、困ってしまって、何かしら感謝を述べなければならないと躍起になっていた。

 

 躍起になっても小学生の作るお菓子などたかが知れている。きっと思い出すにパッサパサのケーキが出来上がっていたのだろう。食べたってきっとおいしくない。でも当時の私は、自力で作ったケーキが精いっぱいのもてなしだったのだ。

 

 絶妙にいい子ちゃんだった私は学校にバレンタインのお菓子を持っていくことだけは避けたかった。しかし当時は携帯も無い。とった作戦は、直接休みの日に家に出かけて渡すことである。ついでに言えばSくんの家など行ったことが無かった。初特攻☆初バレンタインである。若さってすげえな。

 

 バレンタイン当日。私は自転車をこいでSくんの家にやってきていた。はやる鼓動を抑えながら、後ろに控えた友人に目配せしてピンポンを押した。出たのはSくんの母親であった。そうだ、Sくんは習い事を沢山している。サーっと血の気が引いた。しかしSくんの母親は何かを察したようで、すぐにSくんを呼んでくれた。私は何個か会話を交わして、Sくんに初めてバレンタインを渡したのだった。

 

 過去のこと過ぎてもうほとんど覚えていない。しかし中学卒業まで、彼にバレンタインを渡すことは止めなかった。周りにひやかされない様に早朝に渡したり、お約束になっていたかもしれない。周りがあか抜けていく中、一人オタクを極めていたけど、学校をを不登校して帰ってきてから、彼との成績差は途轍もなく離れてしまったけど。それでも彼は一度も私からのバレンタインを拒否しなかった。それだけが救いだった。

 

 中学3年生のときは、中指を骨折してるのに気づかないまま、強風の中自転車をこいで家まで私に行った気がする。その時はクラスも離れて、会話らしい会話もしたことが無かったけど。もしかしたらSくんは、誰かとこっそり付き合っていたかもしれないけど。それでもやっぱり受け取ってくれた。

 

 お返しも色々貰った気がする。一番に覚えているのは綺麗な缶に入った手作りのチーズケーキ。頭もよくて運動もできて、そのうえ料理までできるのかよって心の中で突っ込んだ気がする。

 

 一番近場の高校に進学した私に対して、Sくんは県内で一番の高校へ進学した。これ以降Sくんとは一回も会っていない。彼は高校3年生の時に水泳で大きな大会に出ながら。現役で筑波大へ進学したと風のうわさで聞いた。地方国立下位に進学した私にとって、雲の上の人になってしまった。

 

 大学生の時、フェイスブックを見つけたらマチュピチュの画像が上がってた。ヨーロッパを一人でふらついてた私とは雲泥の差である。成人式はいけなかった。Sくんへの初恋は、いつかコンプレックスに変わっていた。会ったら幻滅されるかもしれない。それならば、かすかに残ったバレンタインのやさしい思い出をあたためていたかった。

 

 Sくんは今どこで何をしているのだろうか。成人式に友人に頼み込んで送って持った、Sくんが男子と撮ってる集合写真をトリミングしてお守りにしているぐらいには、彼のことは今でも気になっている。成人式ではそのイケメンっぷりに話題になったらしい。彼を見つけて、きっとはじめてバレンタインを渡したのは私である。今もなおねちねちと小さな誇らしさと、莫大なコンプレックスを抱えている。

 

 Sくん。私は結構可愛くなったらしいよ。中学の友人に卒業以来久しぶりに会ったら「めっちゃ変わって誰だか分らなかった」って言われるぐらいには変わったらしいよ。だから街ですれ違っても、もう互いに気づけないね。

 

 私の知らない土地で、私の知らない人と幸せになっていてください。たまにふと、人生で3回ぐらいでいいんで、バレンタインがやってきたら私のことを思い出してくれたら幸いです。あぁでも、やっぱ垢ぬけた私の顔で思い出してほしいから、誰かから写真を入手して!!